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月の雫  作者: 空雛あさき
第5章 零れ落ちる月暈の雫
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01:銀と藍の密会

 続々とエノンサを中心とした地域に、兵が集結しつつある。リムデルヴァの国境付近ではその集った兵士達が、戦争の空気に勇み、湧き立っていた。

 そんな彼らの姿を一瞥して肩を竦めた男は、密かに砦を出る。人目を避け、待機している兵達を迂回しながら森の中へと分け入って行く。無論後をつけられていないことも、誰かの目に留まっていないであろうことも確認しての上でだ。

 進みゆくのは、国境間近の森だった。深く踏み入れば踏み入る程、ラグジエントに程近くなる。

 国家間の緊張感が高まっている中で、それが危険な行動であることは男も充分に承知している。ゆえに身を隠しながら慎重に歩を進めていくのだ。

 森は木々が密集し、深く暗い。明かりを必要とする程ではないが、潜めばその影は見つけ難かろう。下生えの草を踏みつける度に、緑の匂いが濃くなっていくのは、群生している野草の特徴ゆえにだろうか。

 暫く歩いた先で見つけた人影に、男はほっと胸を撫で下ろした。態と草を掻き分ける音を立てて注意を此方に向けるように近づけば、視線の先にいた『影』は弾かれるように振り向く。全身を覆う暗い色のマントを羽織り、フードを目深に被ったその姿は一見して性別すら分からない。が、小柄な身長と、事前情報から女性だと予想がつく。そして、マントの人物が間違いなく隣国であるラグジエント王国の人間だということを男は知っていた。


 やあ、と男は気安げに声をかけた。腰に佩いた剣の柄に手をかける必要はない。

「遭遇できて良かったよ、お嬢さん。それとも“銀影”と?」

「その名で結構です。同感ですね、“藍狐”。間に合ったと言えるかは何とも言いがたいですけれど」

 藍狐と呼ばれた男は小さく肩を竦めた。男の方は、ある日エノンサの砦で『少佐』と呼ばれていた者だった。無論それを“銀影”は知らない。

 涼しげな声で“銀影”が言葉を返す。

 互いに面識がある訳ではない。他者を介してその暗号めいた名を聞いているだけだ。“藍狐”が普通に顔を晒しているのは、見咎められても然程支障がないせいでもある。此処はまだリムデルヴァの国内だ。対して“銀影”が顔を隠したままなのは、それなりの理由があるのだろう。問おうとも思わなかったが、顔をついとあげた“銀影”の顔を覗き見て、“藍狐”は思わず口笛を吹きそうになったが、済んでのところで止まる。

 とりあえず、事前情報にある人間と相違ないようで、“藍狐”としては一先ずは安心である。

「此方もまた軍がガノス砦に移動しています。到着の予定は五日後」

 女性の言葉に、気を取り直して、ふうんと“藍狐”は首を傾げた。ガノス砦はラグジエント王国側にある、最もリムデルヴァとの国境に近い砦だ。ナヴェインからガノスまではもう少し早いかと思っていたのだが。

「思ったよりも時間が掛かるんだなぁ」

「そうですね。此方は事前情報の通りブラックドラゴンを伴っての移動を行っています。その為でしょう。ですが、到着の予定が早まることはあっても、遅れることはないと思って頂いて構いません」

 素直な感想に、“銀影”はあっさりと頷く。

 実際のところ、不確定事項が多すぎる上に、“銀影”及び彼女の上官の懸念が的中したならば、到着は更に前倒しになるだろう。もしくはラグジエント軍が自滅し、代わりに『大量破壊兵器』が持ち込まれる。それを伝えるべきか、伝えざるべきか。一瞬だけ悩み口を噤んだが、結局開いた後に続いたのは、それとは多少異なる点についての忠告だった。

「尚、ドラゴンに対しては昼夜問わず警戒は厳重に敷かれています。手出しは不可能と見た方が良いでしょう。奪取、殺害などは考えませんよう。それに、もう一つ」

「なんだい?」

「此方でも確定できていない情報が多過ぎます。被害を抑える為にも戦端が開かれるのは極力遅らせて下さい。最悪、私達が此方を止められない可能性もあります」

「……それは避けたい話だねぇ」

 片足に体重をずらして斜に見た“藍狐”は、肩を竦めた。

 止められないということは、自分達が行ってきた全ての努力が無に帰すと同等の意味を持つ。

「此方の進軍停止と停戦に向けては、別働隊が動いています。貴方は此方には構わず、其方の進軍停止に注力して下さい」

 瞬き一つ程の時間だけ考えて、“銀影”は「此方の連絡は以上です」と締め括った。

「じゃあ、俺の方は――」

 続いて挙げたのは、集まってきているうち幾人かの勇将の名前、予定される陣形と攻め込む予定の場所。

 自国の軍を敗走させるためとしか思えない程の情報を“藍狐”は“銀影”に伝える。

「信憑性の程は?」

 静かに聞いていた“銀影”は顔色を窺わせぬまま、首を小さく傾げて問う。

「低く見積もって六○%程度かな。物資の分配状況と運搬予定から見るに、大きく変えることは出来ないだろうねー」

 確信を持って答える“藍狐”に、なるほどと“銀影”は頷く。

「こっちはこれで出せる情報は全部」

「分かりました。ではこれにて失礼させて頂きます。尚、以降は当部隊との接触は困難となりますので、定期連絡は行えません。既に密偵は放っているでしょうから、情報の入手は其方から行って下さい」

「了解したよ。健闘を祈る」

 ラグジエント側とて彼女の隊とは別に密偵が放たれているのだろう。その辺りの情報戦に、実のところ“藍狐”は深く関わってはいないのだが、それは伝える必要のないことだ。残念に思っているわけでもないので問題はない。

 では、と“銀影”が身を退く。

『平和調停を見られることを願って』

 二人の言葉が重なる。

 互いに身を翻し、共に振り返ることなく静かなままに森の中へと姿を消す。

 藍狐と呼ばれた男に“銀影”を追う理由はない。“銀影”もまた“藍狐”を強襲することはないだろう。

 両国で秘密裏に動く陣営は、最後に交わされた言葉の通り、戦争を回避し平和を得るために動いているのだ。国同士の思惑は兎も角、今此処で密会を果たした両陣営の願いは其処に集約される。

 リムデルヴァ側は軍の統制と、好戦的な国王の説得に全力が割かれていたが、ラグジエント側は今まさに引き起こされようとしている国内の災厄に対して、一部――“銀影”が所属する部隊――は奔走せざるを得なかった。

 その災厄が引き起こされた暁には、“銀影”が懸念している通り、ラグジエントが『大量破壊兵器』を得ることになる。

 そうなれば、事はリムデルヴァとラグジエントの戦争が始まるだけに留まらず、リムデルヴァの壊滅と、武力による革命の可能性すら待ち受けているのだった。

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