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月の雫  作者: 空雛あさき
第4章 猜疑の檻
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06:檻の中の真実

「拘束された? 何かの間違いでは……」

「間違いではないよ。収監した賊の殺害及び他国への情報漏洩の容疑で、僕が拘束し牢に入れたんだ」

 伝えられた話に、少女は踵を返す。

「待ちなさい、エリノア。行って如何するというんだ」

「本人から直接話を聞きたいの!」

 背に掛けられた義兄(あに)の制止の声を振り切って、エリノアは駆け出した。




 時はやや遡る。

 水滴が石を穿つ音。その雫が定期的に刻む拍動(リズム)は、静謐な地下の空間によく響いていた。

 う、と呻き声を洩らしてレオナルトは薄らと目を開く。

 頭が重く、頬が冷たい。視界は些かぼやけたままで、焦点が定まらない。湿気た空気と淀んだ水の臭いが、微かな異臭を伴って鼻腔に届く。

「……何だったんだ」

 軽く持ち上げた頭を、緩く左右に振る。

 視線を上げたが、夜間である上に外に通じる窓もないこの地下牢にいては、時間の経過は分かりにくい。だが、感覚的には意識を失っていたのはそれ程長い時間ではないような気がした。かなり長い時間倒れていたのだとしたら、看守が流石に様子を見に来ただろうが、それもなかったのならば――という推察によるものでもある。

 徐々に意識が鮮明になるにつれて、意識が途切れる前に見た牢の中の男の笑みをレオナルトは思い出した。

 不可解な笑みだった。

 人払いをさせ、何を言う気だったのか。それとも何かを仕掛ける心算だったのか。

 そもそも如何にして自分の意識を奪うような真似が出来たのか。

 身体検査は充分に行われた筈だし、魔法封じの石を置いてある以上此処で魔法を使える筈もない。

 はた、と我に返ったレオナルトは、跳ねるように身を起こす。

 その際床に着いたその手に、硬いものが触れた。

「……?」

 手に触れていたのは一振りの剣だった。

 ラグジエントの軍人に支給されているのものだ。概ね使用するのは一般兵で、レオナルトは自分専用の剣を持っていたが、これとて修練でも使うため、見慣れてもいるし使い慣れてもいる。

 ただ、本来鋼色の刀身である筈のそれは、今はねっとりとした赤い液体に塗れていた。

 まさか、という言葉をレオナルトは飲み込んだ。

 自分が意識を失う前は確かに生きていた、捕らえられた賊がそこにいた筈なのに。

 顔を上げたその視線の先には、死体が三人分横たわっているだけだった。一見して死んでいると分かるのは、いずれも胴と頭が分かたれていたからだ。赤い血溜まりの中に大きく分断された亡骸が無惨に転がっている。

 牢の鍵は開けられ、格子の扉が開かれた状態で止まっていた。

 無意識に後退った先でついた手が、ごわついた布の固まりに触れた。広げてみれば、返り血を存分に浴びた全身を覆える大きさの外衣(マント)だった。

 厚みを感じて手を差し込んだ外衣の衣嚢(ポケット)からは、小さな金属――鍵が出てきた。

「なん、だ……これは……」

 息を呑む。

 結論に至るまでは一瞬だ。

 階段の先、待機所から多くの人の声が聞こえてくる。

 如何するかと考えが纏まるよりも先に扉が開け放たれ、煌々と手燭の光が雪崩れ込む。看守が名を呼んだ。

「アルムスター少佐!!」

 片膝をつき血塗れの剣を押さえ、返り血を浴びた外衣を手にした自分の姿が、この状況でどう人目に映るかなど、考えるまでもない。

 息を詰めたまま、無表情を装った双眸でレオナルトは階段上に現れた人々に視線を送った。

 自分がしたことではないが、この状況ならば自分以外が賊の殺害を為したとは思えまい。

「アルムスター少佐、まさか君が……」

 驚き、周囲を見渡し軽く目を瞠ったヴィクトールはけれど、小さな溜息と共にかぶりを振った。

 躊躇いを払うように、けれど落胆の色も隠さずに。

 石の階段を降りるヴィクトールの足音が、地下牢に反響する。

 きつく睨んだ鈍い青灰色の瞳と、冷たく静謐な碧玉色の瞳が向き合う。

 口を開いたのは碧玉色の瞳の男、ヴィクトールの方。

 決めてあった言葉を――否、階段を降りる間に纏め直したのであろう言葉を告げる。

「レオナルト・アルムスター。国外への機密情報の漏洩及び反乱意志の所持の容疑、加えて捕者殺害の容疑で、拘束させてもらう」

 前半は覚悟していた言葉で、後半は予想した言葉だ。反駁しかけたレオナルトを制して、「それに」とヴィクトールは続けた。

「君の出自……いや由来というべきかな。其方に関しても訊きたいことがあるんだ」

 耳元で続けられた言葉に、レオナルトは軽く目を瞠り……静かに目を伏せて口を閉ざした。




 レオナルトが拘束されたとヴィクトールから聞かされたエリノアは、彼が入れられたという牢の看守待機所を訪れていた。殴りこみと言っても差し支えない剣幕に、比較的物静かで聞き分けのいい彼女の姿しか知らなかった看守は動揺を隠せない。

「通してください!」

「シュミット大将の身内だからと我侭が通ると思うな!」

「通させて貰います! 話をするだけよ、そこで見張ってればいいでしょう!!」

 制止しようとする看守を、眉を立てたエリノアは全力で押し退けた。


 扉の先から騒々しい遣り取りが聞こえていた。大声であれば扉を隔てていても届くものなのだな、とレオナルトは感心したように一人頷く。

 先程まで出入りしていた待機所に繋がる扉は、鉄格子を隔てた向こうにあった。その扉の先を覗き見ることは適わない。

 レオナルトは今、地下牢の中に閉じ込められていた。

 現場保存のためもあって賊を収監していた牢とはまた別の独房に押し込められたのだが、濃い血の臭いが漂う中に置かれずに済んだことに、寧ろほっとしている。血の臭いがまだ地下牢全体に薄く漂っているのは致し方ない。血溜まりのすぐ傍に腰を下ろすよりは余程ましというものだ。

 焦燥感は不思議と、然程感じなかった。

 牢に入ることはは何処かで予想していたからかもしれない。これもリスクの範疇だと思えば受け入れ難いものではなかった。ただ、そこまでの経過は予想の範疇とは言えなかったのだが。

「罰なら後で幾らでも受けます! だから話だけでもさせて下さい……って言ってるでしょ!」

 扉が開いて騒々しい声の主が転がり込む。その影を追ってきた男が怒鳴りつけた。

「お前だけの罰則で済むわけじゃないって分かってんのか!」

「分かってますけれども! 面会が駄目とは言われてませんよね!?」

 扉を蹴破る勢いで開いた人物の姿を認めて、レオナルトは数度目を瞬いた。

「エリィ……エリノア、如何して此処に」

「話を、話を聞きに来たんです」

 はしばみ色の瞳は瞬きもせずに、レオナルトの目を真っ直ぐに見つめ返してそう言った。


「内通していたのは事実だ。だが反乱の意志はなかった。そして俺は収容した賊を殺してはいない。シュミット大将にも告げた通りだ」

 話は聞いたのだろう、とレオナルトが目を向ければエリノアは首を縦に振った。

 実のところ、拘束された理由はもう一点あるのだが、それは彼女に言っても詮ないことだ。恐らく、ヴィクトールと、その事柄の調査に関わった者しか知らないことだろう。これ以上心配の種を増やす必要もないとレオナルトは思い、その件に関してはそ知らぬ顔で口を噤んだ。

 今、レオナルトは鉄格子の内側の壁に背を預けて床に座り、エリノアは青年の勧めによって、置かれていた椅子を鉄格子の傍に引き寄せて座っている。

「殺していない、とは如何いうことなんですか。如何して殺害の容疑をかけられたんですか」

「会話を始めたところで気を失った。目が覚めたら賊が三人とも死んでいた」

 我ながら道化じみた言い訳に聞こえるな、とレオナルトは思う。誰も信じはすまい。

 看守は此処を訪れた者もいなければ、出てきた者もいないと証言した。だが、地下牢から出るには看守の待機所を通る以外に他はない。

 そして、地下牢に下りた時、賊が生きていたのは看守が共に確認している。

 自分が気を失っている間に賊が殺害されたと事実を言っても、他の者は狂言だと思うだろう。それくらいレオナルトは自分の置かれた状況を把握できている。

「じゃあ誰がこんなことを。いいえ、どうやって……」

 考え込むように顎に手を添えるエリノアに、レオナルトは軽く目を瞠った。まさか自分ですら他人から聞いても信じないであろう話を、エリノアはあっさりと鵜呑みにした。

 信用されているのだな、と思うと嬉しくはある。だが、誰でも彼でも信用せずにいて欲しいとは切に思う。特に今の状況下では尚更だ。こうして自分を嵌めた人間が何処かにいるのだから。

「さあな。お前は考える必要等ない。こんなことに深入りするな」

 踏み込めばエリノアの危険度は増すだろう。自分が捕らえられた以上、助けることも出来なくなる。故に、敢えて突き放すようにレオナルトは言った。

「っ……」

 はしばみの瞳が揺れる。唇を引き結んで、言葉を詰らせたエリノアの拳が、膝の上でぎゅっと硬く握られた。

 けれど、「では」と躊躇いがちに問いが続いた。

「どうして、内通だなんてしたんですか?」

「…………」

 教えて下さい、と未だ揺れる瞳で見つめ返すエリノアの問いに、レオナルトは押し黙った。

 開け放たれた扉に寄り掛かるようにして、看守がエリノアを睨みつけている。己の職務を全うしようとしていることは良いことだとレオナルトは思い、鉄格子越しのエリノアへと視線を戻した。

 今更明かすことに抵抗はある。

 為そうとしていたことはやはり奇麗事だろうか、とも思う。が、今更明るみに出た事実は変わりようがない。求めていたことも間もなく分かることだろう。

 深入りするなという言葉とも矛盾する気もしたが、為そうとしていた事柄、そして意思は、エリノアだけには誤解して欲しくなかった。

 溜めた息を言葉と共に零す。

「回避したかったんだ、戦争を」

「戦争を?」

 鸚鵡(おうむ)返しの言葉に、ああ、とレオナルトは頷く。

「リムデルヴァは近年王が代替わりして以降、好戦ムードが高まっているのは知っているな?」

 エリノアが頷いたのを確認してレオナルトは話を続ける。

「だが俺は争いを、戦を望まない。同様にリムデルヴァ側にも戦を望まない者達がいた。俺は彼らと連絡を取り合い、戦争を回避しようとしていた」

 息を詰めて先を待つエリノアに、レオナルトはそっと目を伏せた。

「だからこそ情報を漏洩していたのは事実だ。その点から鑑みれば反乱分子の扱いを受けても仕方がない」

 レオナルトは幾度も繰り返された国境戦役で多大な戦果を挙げた。剣闘大会での優勝経験もある。軍人としてそれなりの地位も得た。

 だからと言って、争いを好む訳ではない。

 幼少の頃の国境の戦いに巻き込まれたレオナルトは、村から焼け出され、父を喪い、逃げ延びた先で疲労から母をも喪った。

 戦がなければ全てが救われる訳ではないことも理解している。だが、戦がなければレオナルトの生まれた村が焼け落ち、地図から消えることもなかった筈だ。

 けれど、それが今回レオナルトが行動を起こした理由の全てかといえば、そうでもない。

「戦争など、争いなど起こらないに越したことはないだろう」

 エリノアはレオナルトの幼少時の話を知らないだろう。告げる必然性も特に感じないし、話そうと思ったこともない。

 レオナルトはエリノアの過去を人づてに多少なりとも聞いてはいるが、本人から聞いたことはない。訊こうと思ったこともなかった。

 穿り返す必要のある傷ではないのだ。

 怨むべき個人がいるでもない、過去は過去の事実として其処にあるだけで。復讐を考えたこともない。

「ただ、喪われるモノが少なくなればいい。俺はそう思っている。それだけだ」

 レオナルトの言葉に、エリノアが息を呑む。

 失いたくない。大切なものを守りたい。

 そう思うエリノアと、レオナルトの思いは同種のものだ。

「ならば」

 座り込んだレオナルトに視線を合わせるようにして、椅子から下りてしゃがみこんだエリノアは、鉄格子を強く握る。項垂れるように俯いたエリノアの表情は、落ちてきた髪に隠れて看守からは見えないだろう。けれどその貌を正面から見るレオナルトには、はっきりと彼女の表情が見て取れた。

 声もまた、看守に聞こえぬように潜めて少女は告げる。

「私が、その役目を継ぎます」

 その瞳は強固な意志を灯して、レオナルトを見つめていた。

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