05:蠢く闇は今何処で
自分はあそこでどうする心算だったのだろう。
寝台に腰掛けたレオナルトは小さく唸る。
夜の帳が降りた頃、砦にて宛がわれた一室でレオナルトは数え切れない嘆息を繰り返していた。
夕刻頃部隊は砦に到着し、襲撃者を地下牢へと押し込めて、諸々の仕事は一先ず砦に配された者達へと引き継がれた。そこでようやく一息ついたかと思えば、レオナルトの頭の中にはあの夜のエリノアとの遣り取りばかりが思い起こされる。これでは休んだ気にもなれない。
先程出くわしたサラに「もう少し、分かり易く接してあげるべきじゃないかしらね」と苦言を呈されたせいでもある。彼女がそういったことに踏み込んでくるのは珍しい。厭な気分にさせられたというわけではない。純粋に驚いただけではあったが、見透かされてると思うと何処となく居心地は悪かった。
恐らく、エリノアに伝えたことが事実の全てを表しているわけではないというのも、居心地の悪さの一因なのだろう。今はもう見聞きした情報かもしれないが、あの時は目覚めたばかりの彼女に心労を与えたくはなかったから、全てを素直に話す気にはなれなかった。
後で知ったとき、どう思うのか。
そこまでは考えずにレオナルトは誤魔化した。
辛い顔は見たくなかったがための、自己満足の取り繕いでしかないのは分かっている。出立前のあの日、彼女を泣かせてしまったことを悔いていたからこその言動だったのかもしれない。
レオナルトは、エリノアが無事だったことがただ素直に嬉しかった。
「だが、俺は……そんな風に思うのは矛盾しているのだろうな」
レオナルトは彼女に言えないようなことをしているというのに、だ。ともすれば今回のように彼女の命も脅かしかねない。行うと決めた『ある事』は、危険性も充分に承知の上で、為すと決めたことなのだ。
その見返りは彼女一人の命よりは重いとも言える。
酷いことだと思う反面、自分の手は彼女へと伸ばさずにはいられなかった。
思わず触れたのは、失うかもしれないと懸念していた温もりが、微かながらもあったから。生きた彼女の手をとることが出来たからだ。
かぶりを振って、レオナルトは強く拳を握る。
名残惜しく離した手のひら。
思い起こせる彼女の冷たい手。
穏やかな笑みを浮かべたはしばみ色の瞳。
中途半端な忠告は役に立つとでもいうのだろうか。実際に危険の度合いは増しているというのに。既にレオナルトが得ている情報も錯綜している。
少なくとも、捕縛したドラゴンを『奪取させる』というような話は聞いていない。
それに――
ヴィクトールが戻ってきたとき、彼女は何を言いかけていたのだろう。深刻な様子は、けれどヴィクトールに聞かせる心算がなかったために、言葉を続けなかったとするならば。二人だけの時を見計らえば、聞けるのだろうか。
甘い話などではないことは分かっているのに、二人だけで会えたならと淡い期待を抱く自分がいる。そんな自分に呆れ、レオナルトはまた深い溜息を吐いた。
青年の続きそうな「もしも」の思考を遮ったのは、扉を叩く音とその外からかけられた声。
「アルムスター少佐、お伝えしたいことが」
レオナルトは、はっと顔を上げる。
「入れ」
立ち上がり、自然と戻ったいつもの無愛想な声音で入室を促すと、鎧を着込んだ兵士が扉を開けて入ってきた。
「報告致します。昨日捕らえた襲撃者が、アルムスター少佐にお話があると看守より言付けを預かっております」
「なぜ俺なんだ」
柳眉を顰め、淡々と問うてみれば。
「さあ……ですが、その者の要望に拠れば指名されたのはアルムスター少佐以外に該当する者はなく……少佐に対して一対一での対話が出来れば知っていることを話すと。尚……」
困惑した顔で、兵が続ける。
「この件については対話が終えるまでは他言無用と。以上の条件を飲めなければ、自分達から情報を得ることは永遠に出来ないと思え、だそうです。如何致しますか」
「む……」
渋面で暫しレオナルトは考える。
奴等の言い分から鑑みると、話を聞いた後ならば他の者に報告する分には構わないということだろうか。その理由は何だろう。思い当たるのは時間稼ぎだが、それは何に対してのものだというのか。
自分が知らないところで何か動いていることも充分考えられた。とりあえず対処出来そうなものは対処すべきだろう。
「では砦周辺、及び捕縛したドラゴンに対しての監視体制を強めておいてくれ。俺は、彼らに話を聞きに牢へ行く」
兵に指示を出し、レオナルトは壁に掛けた外套を手に取り部屋を出た。
レオナルトが兵に案内されたのは、魔法封じの石を置いた地下牢だった。捕らえた者達が万が一にも魔法が使えないように、との処置である。襲撃者三人は牢を分けて放り込まれていた。
石の階段を降りる音に、牢の中にいたリーダー格と思しき男がゆっくりと顔を上げ、にやりと笑う。他の二人は此方をちらりと見ただけで、すぐに顔を背けてしまった。
「来たか、あんたを待ってたぜ」
レオナルトは一拍置いて口を開く。迂闊なことは言えない。
「なぜ俺を指名した」
「あんたが信用出来そうだと思ったからさ。あんたなら分かってくれるんじゃないかとな」
多少の拷問は受けた後なのだろう。口の端から流れ出た血の跡がついた顔で、檻の中の男は看守の方へちらりと視線を向ける。
その視線の意図するところに気づき、仕方ないといった風情でレオナルトは看守に向き直った。
「彼と二人で話がしたい。悪いが、訊き出す為にも少し席を外してくれ」
「了解しました。どうぞお気をつけて」
看守は敬礼して、小さな階段を登り地下を出ていく。階段の先には扉があり、その先には看守の待機室ともいえる場所があるが、大声を出さない限りは話し声は届かないだろう。
扉が閉まるのを確認したレオナルトは、檻の中の男へと改めて向き直る。
「では、話してもらおう、か……」
だが。言い終えるよりも先に、ぐらりと視界が傾いだ。レオナルトは堪らず膝から崩れ落ちる。
湿気た地下の空気の中に異質な臭いを感じ取ったが、覚えのないものだ。
「なん、だ、これ、は……」
意識が掠れゆく中でレオナルトが最後に見たのは、檻の中の男の顔の、口の端に刻んだ笑み。
石床の上に頽れたレオナルトは触れる床が冷たいと思う間もなく、意識が暗転した。
◆
「もう、手遅れだと思いませんか?」
疾はやく駆けさせる馬上で女が問う。女の顔は被った外套のフードに隠れて見えないが、その声には笑いが滲んでいた。
「かもな。まさか出立の時点ですり替えられてたとはな……誰かに運ばせるのかと思ってたがまさか自分で持ち歩くたぁ、予想しなかった。下手すりゃ事を起こす前に自分が死ぬ破目になるってのにな」
男が渋面で言葉を返す。持ち出した当人だけではなく周囲も巻き込むことになるのだが、それ自体は最初から気にしてもいないだろう。
くそ、と男は吐き捨てた。
「はっ、『第零課』も奴に踊らされていたんなら、課の存在価値なんざねぇな」
「全くです。私の『鼻』がなければ、気付くことなんてなかったのでは?」
涼しげに返す女フードから、さらりと白銀の髪が零れ落ちた。漆黒の瞳をもつ人形じみた美少女の姿が覗く。
「その通りだがな。お前の親友も関わってるんだぞ。もう少し心配してやったらどうだ、イレーネ」
答えて、男――ダニエル・バッカーは鐙にかけた足に力を入れた。
イレーネが『彼女』――エリノアから嗅ぎとった月光石の『臭い』。その情報がなければ今回秘密裏に進められているであろう事は、事が実際に起こるまで自分達は動きようがなかった可能性も高い。
そしてイレーネとしては同時に気になっていたのが、暁撫子の臭いだ。常ではなかったが、寮で同室だった彼女からときたま香るそれは、確かに暁撫子のものだった。
暁撫子は毒草ではあるが、飲み薬にも止血剤にもなる薬草でもある。しかし魔導の実験に使われるという話は聞いたことがないし、今まで様々な文献を読み漁った限りでは見つからなかった。だが、資料室でエリノアを追いやった後に見つけた資料と、過去の記憶を照らし合わせると関連性がないとも言い切れなくなってきたのだ。
「彼女が白か黒かは分からないですけれど、それは最終局面まで分からないことです。それに、私の仕事は親友の心配をすることではありませんし」
心配したからといって事態は何も変わらないでしょう、と涼しげに返すイレーネに、ダニエルは頷く。
「幸いなことは、間に合う『可能性がある』という点だけだがな」
それも予防策を張っておいたお陰だ。そのために情報操作と資金繰りに大変な労力を要した筈だが、その点は副官に押し付けてやってもらったことなので、そこは大した問題ではない。ただ、その準備を行っていたからこそ、彼女と自分が今此処にいるのだ。全く有能な副官で助かる。
お陰で、勝負は旗色が悪いながらも、敗北と決まったわけではない。
「あとは最後の一手に間に合えば、最悪の事態は回避できる」
視線の先には幾つかの煙が立ち上っているのが見える。目印となる小さな村だ。舗装されてもいない、多少踏み固められただけの道を馬に全力で長距離駆けさせて来たからには、替えの馬が必要になる。それも先の準備の一環で、脚の速いものが用意されている筈だ。
「お前が報告相手を見誤らなくて良かったよ、ホント」
偽らざる本心だ。イレーネが気付いたことをダニエルではなく、他の者に報告していても現状は有り得なかったかもしれない。
ゆえに。
「お前は此処らで死ぬ頃合だな」
苦笑を浮かべてダニエルは言う。
「ええ。そうですね。では、後のことはお任せします」
イレーネは愉しそうに、笑って手綱を引いた。




