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月の雫  作者: 空雛あさき
第4章 猜疑の檻
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04:歓迎されぬ来訪者

 エリノアはぼんやりとした頭でヴィクトールの言葉を反芻していた。


 ――もっと強い魔法があれば、もっと強い力があれば。

 ――こんなことにはならなかったのかなって。

 ――ねえ、エリノア。


 そう問うた時のやるせない碧玉の眼差しが、エリノアの胸に残っている。


 時は既に深夜の三時を回ったところ。

 意識が回復したときと同じように、エリノアは天幕に設えられた簡易寝台の中で天井を見上げていた。

 本来ならヴィクトールの寝泊りと執務のための天幕ではあるのだが、エリノアが彼の身内であることと容態がかなり思わしくなかったことから、同じ場所で様子を見るという形になっていたらしい。ヴィクトールが部下にそう『お願い』をしたと本人が言っていたのだが、大将と大隊長の職位をもつ人間に、それしきのことを強硬に反対できる人間がいるのかは甚だ疑問だ。職権濫用とは正しくこのことだろう。

 けれどエリノアがいつもの薬湯を飲み一度眠りに落ちて後、再び目を覚ましたときそこに義兄の姿はなかった。治癒魔法が使える他の者と共に、他の負傷者の見回りでもしているのだろうか。治癒魔法を得手とする義兄は、そういったことに借り出されることも少なくない。もう一つの寝台は綺麗にシーツが延ばされたまま、空席となっている。

(いる筈の人が、いない……)

 ふとヴィクトールに言われた言葉が、再び甦る。


 ――もう前線には立つことはできないだろう人は少なくないんだよ。


 言葉が棘となり、胸に刺さる。

 ぴくり、と指先が僅かに動いた。

 頼りにしていると言ってくれた人は、もう前線に立つことはできない。

 守ることが役目だったにも関わらず、不意を突かれたとはいえその頼みの綱の防御魔法を暴走させたのは他ならぬ自分だ。

 あまつさえ仲間を傷つけた。それも再起不能という結果まで残して。


 ――もっと強い魔法があれば、もっと強い力があれば。


 ヴィクトールの言葉は、繰り返し脳内を駆け巡る。

「もっと強い魔法が、力があったなら」

 掠れる声でエリノアは脳内を占める言葉を、ぼんやりと口にした。

 力があったなら、守ることができたのだろうか。

 守りたいもの全て、誰一つ、何一つ欠けることなく。

 大切なものを失わずに済むための力が得られるなら、それはエリノアにとってとても魅力的なものだった。

 一朝一夕で如何にかなるものでなくても構わなかったが、早くに成せるならそれに越したことはない。確たる方策でもあるのかまでは分からないが、教えて貰えるというのなら道筋だけでも構わなかった。元より自分に出来得る努力は妥協する心算もない。

 だが。

(力が欲しいと思うのは傲慢なのかな……)

 守るための力が自分に過ぎたる力だとは思わない。何もかもが一人で守り切れるわけでもないことを理解はしている。だが、任せられた役目を全うできるだけの力を、せめて其処にいる仲間だけでも守れる力は欲しいことも事実だ。

「とりあえず義兄さんに、訊いてみようかな……」

 誰に言うでもなく、一人ごちる。聞いてから考えるというのは虫の良い話か、とエリノアが天井を睨みながら渋面を浮かべていたとき。

 夜の静けさを切り裂くように突如、きぃん、と刃物がぶつかりあうような甲高い音が響いた。

 天幕のすぐ傍ではない。が、野営地の中、もしくはその近くであることは疑いようもなかった。

「何、今の……」

 音の響いた方角を視線だけ向けて気配を窺う。その直後。

「襲撃だー!! 賊の襲撃だー! 起きろー!!」

 天幕の外から誰かの怒号が響き渡る。野営地は瞬く間に喧騒に包まれた。

 エリノアもまたその声に起き上がろうとして――

「い、痛っ……!」

 起き上がれる程にはまだ自分の体が回復していないことを、ようやく思い出した。

 ヴィクトールの治療と薬湯のお陰だろうか。最初に目覚めたときよりはまだ辛うじて微かには動かせるものの、だからといって思うように動かせる状態とはとても言えない。

 襲撃者がもしこの天幕に侵入してきた場合どうしたら良いというのか。魔力の流れが安定しない以上、魔法の使用も覚束ない。

 天幕の出入口を睨みながら思案していたとき、その垂れ布がばさりと捲られた。野営の焚き火の明かりが天幕の内部を橙の光で照らす。その光を遮るように、人影が中を覗き込んだ。

 びくりと体を震わせ、エリノアは身構える。

 だが覗き込んだ影は、聞き慣れた声で疑問の言葉を発した。

「エリノアだけか?」

「レオ……!?」

 小さく驚愕の声をあげる。

「う、うん。そうだけど……」

 安堵を隠せないまま、エリノアは横たわったままで頷く。ヴィクトールの天幕である以上来るのはヴィクトールその人か、もしくは襲撃者かと予想していた。後者であっては為す術もなかったのは事実だが、まさかレオナルトが此処に来るとは予想外だった。

「ならば、可能なら寝台の陰にでも隠れていろ」

 相変わらずの無愛想な口調でレオナルトはそれだけを告げると、垂れ布がすぐに下ろされた。

 その外側で剣戟の音が高く、鈍く、響き合う。

 剣呑とした声が、絶え間なく聞こえる。どちらの陣営のものか、此処からではエリノアには判断がつかない。

 騒音は次第にあちらこちらから聞こえるようになった。野営地の中に踏み込まれているのだろう。

 優勢なのか、劣勢なのかは分からなかった。

 負傷者を多数抱え、ドラゴンという重荷を曳き、疲労が蓄積した上での夜間の襲撃。敵の数が多いのだとしたならば、制圧は容易なことではないだろう。

 動ける者は皆動くべきなのだろうが、それが出来ないエリノアは黙ってその音を聞いているしかない。

 ようやく指先が動かせるようになってきた程度で、魔法もまともに使えないエリノアには本当にどうすることも出来なかった。

 騒音が止むまで、エリノアはまんじりともせず寝台の上で耳をそばだてていた。

 幸いなことに、その攻防はそれ程長く続かなかった。

 夜が明ける頃戻ってきたヴィクトールの話によれば、襲撃は十人に満たない程度の小規模なものだったという。然したる被害も受けずに撃退出来たが、捕り逃してしまったのだと。


 更にその四日後。ナヴェイン砦まであと一日の行程というところまで隊は進んでいた。

 一行の歩みは一般的なそれよりもやや遅い。先の襲撃の意図が読めなかった一行はそれでも先を急いでいたのだが、捕獲したドラゴンを運びながらの移動というものは楽なものではない。

 死体ではない為ただのモノ扱いで済むわけもなく、絶えず拘束魔法の掛け直しや維持などに注意を割かなければならない。

 襲撃者の狙いが分からない以上、ドラゴンの見張りにもまた多めに人員を割かねばならず。負傷者の多いドラゴン討伐隊と元より多くはないアディクト視察部隊の混合部隊ではどうしても人手が不足した状態となっていた。各自の休息時間を確保するために、傷の浅い者から何とか動けるといった程度の討伐隊の面々までもが借りだされている。

 誰も彼もの顔には濃い疲労の色が浮かんでいた。

 あと一日だ。

 頑張れば明日の夕刻頃には砦に着く予定だった。到着しさえすれば砦に常駐している者達が全ての仕事を引き継ぎ、自分達は休息を得られる。怪我人もそれなりにしっかりとした治療を受けられるだろう。

 だが、そんな日の夜、今度は以前よりももっと大規模な襲撃に見舞われたのだ。

 エリノアにとって幸いだったのは、何とか立ち上がれるくらいにまでは体が回復していたということだ。それでも歩き回るには難しく、体を起こしているだけでも大変な体力を必要とする有様だったのだが。

 エリノアは天幕を背に、散発的な魔法で援護を行う。方々で剣戟の音が響き、魔法による炸裂音が響く。

 襲撃者の数が多かったこともあり、敵の攻撃は野営地の中深くまで届いていた。中でもドラゴンの見張りについていた者達の負傷が一層深刻だった。当初その任についていた者は皆、戦闘不能の状態にまで追い込まれている。幸いだったのはそれだけの被害を出しながらドラゴンを守り通せたことだろう。ヴィクトールが機転を利かせ、支援を多く回らせたのが功を奏した形となった。


 空が白み始めた頃。ようやく激しい戦闘が収束し、落ち着きを取り戻した混合部隊は捕らえた襲撃者を睨みつけていた。

 やや薄汚れた、けれどどこででも手に入りそうなよくある衣服。それに身を包んだ三人の男達が、後ろ手に縛られ隊長格の者達の前へと坐らされている。

 逃げた者もいるにはいただろうが襲撃者の多くは殺した筈だ。発狂したかのように力が異常なまでに強く抵抗も激しかったため、殺さざるを得なかったというのもまた事実。その中で取り押さえることができたのが、先の三人だけだったということになる。

「お前達の目的は何だ?」

 何度目の同じ質問だっただろうか。

 そして相手から返るのは沈黙ばかり。ものによっては話すこともあるが、身元やいるかもしれない依頼主の情報については全く口を割る気配がない。此方も聖人君主ではない。拷問して吐かせるというのも一つの手ではあるのだが――

 尋問していた副官の眉間に青筋が浮いたのを見てとり、彼らの遣り取りを眺めていたヴィクトールは深く溜息を吐く。

 彼らは、明らかにドラゴンを狙っていた。

 ドラゴンの守備は他方のそれより厚かったにも関わらず、被害がそこに配されていた人員に集中しているのが何よりもの証拠だ。

「誰の指示で行動した? ん?」

 副官の再度の問いにも、やはり沈黙だけが返る。

 もう一度ヴィクトールは深い溜息を吐き出した。彼らの遣り取りには終わりが見えそうにない。もしその手の玄人ならば生半に尋問したとて口は割るまい。これでは悪戯に時間を浪費するだけだろう。

 もういい、と副官を押し止めヴィクトールは他の者達へと振り返った。

「話を訊き出す……にしても、これで襲撃が終わりとは限りません。時間をかけて此処で足止めするのも困ります。砦も近いですし、到着し次第牢に入れて話を聞くことにしませんか」

 眉間に深い皺を刻む副官を手振りで宥めながら、ヴィクトールはいう。

 討伐魔導部隊の隊長、アーロイク・ヴィッツェマンも首を縦に振った。

「シュミット大将に同意見だな。此方も負傷者が多い。人員の補給も必要だ。また襲撃されては敵わん」

「ご賛同ありがとうございます、少将。ロティシオン中将は如何ですか」

 身体の裡は未だぼろぼろであろうに、討伐部隊長は厳めしい顔つきで然りと頷いた。響く声もまた相応に重々しい。

「二人の意見に相違ない。急ぎ荷を纏め、出立すべきだな」

 襲撃者の中には魔法を扱う者はいたが、斬り捨てたか逃げたかのいずれかだ。捕らえた者達から魔導具の類は発見されず、また魔法も使えるわけではないようだったので幾分対処が楽ではある。それでも念の為に魔法封じの処置を施せば、連れて移動するにしても三人ならば監視が可能な数でもあった。

「では、そのように」

 ヴィクトールの提案に異論が出されることはなく。一行は捕らえた三人の襲撃者も連れて、陽が昇ると共に砦へ向けて移動を開始した。

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