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月の雫  作者: 空雛あさき
第3章 銀世界の黒鐘
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08:空を奔る光の鎖

 ようやくエリノアの瞳が声の主――サラの姿を捉える。髪は乱れ、エリノア同様裂傷も多くはあったが、その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

「エリノア、<光雫の縛楔(リュミレイ・キール)>を起動して貰うわ。今が絶好の機会よ」

 ドラゴンの喘鳴は静まりつつある。動けるくらいに回復するまで、時間は然程掛からないだろう。

 視線を一度ドラゴンへ向けた後、「構いませんね、フィーロ大佐」とサラは後を追ってきた上司を肩越しに一瞥した。

「構わない。起動及び発動、構造構築、容量確保をクロイツ少尉。構築補助、滞留維持をフルーリー中尉、容量確保補佐、操作補佐をデューン少佐に任せる。他に動ける者は私と防衛及び反撃を担当する」

 許可を求められたフィーロ大佐は口元をやはり赤く染めたまま頷き、指示を告げる。エリノアは咄嗟に言葉も出せずに、呆然とただ大佐を見つめ返した。

 確かに「部隊が半壊してでも捕らえよ」という命令ではあった。だがこの状況は半壊で済むような被害の大きさではない。これ以上の被害の拡大は、むしろ討伐部隊の全滅にも繋がりかねない。

 挙句、エリノアが指示された魔法――<光雫の縛楔>は、今回の作戦で最も重要となる対ドラゴン用の捕縛魔法だ。現在の惨状を、先程の現象を見ていたならば、先程の魔法の暴走がエリノアの魔法が一因となったことぐらい大佐もサラも気づいている筈だった。

 魔法の暴走が自身の責任ならば、今の惨状の責任もまた同様に自身の責任だとエリノアは思う。その惨状を招いた人間を、作戦遂行の要とも言えるべき立場に置くという指示など、到底納得出来るわけがない。

 それが――厳密に言えば、複数人での使用が前提ではあるが――『討伐部隊に参加している魔導士ならば誰でも使える』という魔法であるのだから尚更だ。

 エリノアがフィーロ大佐を見据え、反論の声をあげた。

「なぜ私なのですか! 先程の魔法の暴走は私の」

「補佐役はつけると言った。出来ないとは言わせん。やれ」

 端的に告げた大佐の暗緑色の双眸は、上半身だけを辛うじて起こしたエリノアを睥睨していた。

「ですが……!」

 尚も反駁するエリノアに視線を転じたフィーロ大佐の瞳が、苛立ちの篭もる苛烈な色を灯す。頭上から伸ばされた手は、反射的に竦めた少女の首元を掴み、力ずくで引き摺るように立ち上がらせた。

 一瞬だけ呼吸が詰まり、エリノアはひくりと喉を震わせる。

「甘えるなよ、小娘」

 噛み付きそうな程の至近距離で、怒気の孕んだ低い声音がびりびりと響く。

「今回は人命よりも作戦の成功が重要とされている。お前はお前の仕事をしろ」

 急いで下さいと促すサラの言葉より早く、大佐は首元を掴む手を緩め突き放すように押し退けた。よろめいたエリノアを、傍らに立ったデューン少佐が手を出し支える。

「フルーリー中尉は発動の際に合図を出せ。対応は各自の判断に任せる。訓練を思い出せ」

 フィーロ大佐が周囲をぐるりと見渡す。明確に意識のある者は両手の指で足りるほどだろう。少なくとも魔導部隊以外で動けそうな者はまず、いない。

「以上だ。各自、散開」

 それきり大佐も他の魔導士も振り返りはしない。捕縛魔法の使用を任ぜられた三人以外はすぐさま散らばっていった。

 エリノアの視線は、大佐が先程まで立っていた、軍靴の跡が刻まれた雪面にそのまま呆然と注がれていた。

「……フルーリー中尉」

「異論はないわよね。それとも、貴女に容量確保の補佐や滞留維持が出来て?」

 取り残され、図らずも縋るような声で呼んだ名前に、サラはにこりと微笑みを返した。

 エリノアが返答を躊躇う。

 魔力滞留維持は魔法の使用のプロセスの中で、エリノアがもっとも苦手としているところだ。それは客観的に、数値的に下された評価でもある。

 今回の捕縛魔法は詠唱が非常に長く、発動までに絶対的に時間を要する。その上、座標の固定が必要となる。滞留維持の時点で魔法そのものがぶれてしまえば、座標の固定など担当を分けたところで意味がない。

 実際に不可能なことを「出来る」とは言えなかった。努力が可能か否かという問題ではない。確かに三人への割り当ては、能力を鑑みればこの上なく適切だと言える。

「私には出来て貴女には出来ないことがあるように、貴女には出来て私には出来ないこともあるのよ」

 ほぼ先天的に決まるという魔力容量が然程大きくないサラもまた、幾ら魔法を扱うセンスに長けていても単独で大きな魔法を使用することはできない。

 どんな思いでそれを言ったのか、エリノアには分からなかった。もしかしたら、魔法に対してのことではないという可能性も大いにあるのだが。

 ただ、サラは挑むように、笑みを深くして促すだけだ。

「フィーロ大佐の言うとおりにして貰うわよ。さあ、早く」


 要領は訓練のときと何も変わらない。

 ひとつ息を吐く。

 焦燥感は心地好い緊張感へと変化し、慣れた要領ですぅっと意識が明瞭になるのを感じた。少女はそのまま呼吸を一定のリズムに保ち、胸の前に腕をつきだし、両手ひらく。

 てのひらの上に微かな魔力の熱を感じていた。

 その熱を感じている辺りで魔力を魔法へと組み立てていく。

 視線は真っ直ぐ前を向いたまま――数十メートル先にある目標を捉えたまま逸らすことはない。サラ、デューン少佐と共に、協同して魔導を組み立てる宣言となる呪文を唱える。

 間を置かず、エリノアは再び口を開く。

「瞬き落ちる月夜の雫、泣いて零るる真昼の雫」

 紡ぐ言葉。

「滴る光は絹糸の如く、滴る光は白鋼の如く」

 組み上げていく魔導構造。

「縒り合わせ、束ねられ」

 複雑な魔力の糸を、あちらこちらを奔る魔導構造を、順次手早く組み立てていく。複雑なこの魔導構造をきっちりと、ぶれることなく組み上げていけるのは、間違いなくサラのサポートのお陰だろう。

「衝き立ち並ぶ鋼の群れ、地に這い並ぶ光嶺(こうりょう)の蛇」

 サラが仲間達に大声で退避の合図を出すと共に、爆発的に膨らんだ魔力がブラックドラゴンに向けて駆ける。


 ブラックドラゴンが燐光を纏うような錯覚を覚えた。

 実際にはドラゴンの周囲に顕現した魔法の光がその黒い体躯に相反した白光だったことから、そう見えただけなのだろう。

 空中から突如現れた七本の光の鎖が鞭のように撓りドラゴンに絡みつく。二本の鎖が広げた翼を折り畳むことすら良しとせず、握り潰すかの如く巻きつき圧縮する。火焔をちらつかせた牙剥く口を封じるように一本の鎖が渾身の力でもって縛り上げた。

 ドラゴンの双眸がエリノアを睨みつける。と同時に、再び体内を逆流するような、かき混ぜるような感覚にエリノアの肌が粟立った。再びドラゴンが発動した魔導構造に介入しようとしたのだろうか。

 迫り上がった血塊は飲み下し、それでも溢れた赤い液体は口の端から細く零れる。それでも口の中に広がる鉄錆の味に気づく余裕もなく、エリノアは魔法を維持し続ける。

 ドラゴンを完全に封じるまで、落とすまでは終わりではない。

 乱された流れを正常に戻すように、逆流する魔力を押し返すようにして、毀れ欠けそうな魔導構造を意識の縁で押さえ支える。

 残る四本が蛇のようにうねり、ドラゴンの黒い巨躯をがんじがらめにして大地に引き摺り倒した。

「対象位置、確認」

 淡々とした事務的な口調のデューン少佐に、エリノアは手サインで「了解」と応えた。

「……地に乞い、空間に乞い、彼の者の体躯居りし位置を見抜き、彼の者の心居りし位置を見抜く」

 魔法の発動地点を固定する呪文をデューン少佐が紡ぎ終わり、合図を確認するとエリノアは再び呪文の詠唱を再開する。

「楔は光、光は楔」

 急く気持ちはない。動揺も大したことはなかった。

「鋼楔と光蛇は絡みて刺さり、刺さり、刺さることを七度繰り返す」

 ただ必死で言葉を、呪文を紡いで、魔法の仕上げにかかる。

「深く深く底に堕ちて、焦がれ、魂の端削れ」

 エリノアが<光雫の縛楔>の呪文を唱え終わったとき。

 光を帯びた巨大な楔が、ドラゴンの体躯の翼に、脚に、尾に突き立てられた。

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