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月の雫  作者: 空雛あさき
第3章 銀世界の黒鐘
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06:黒の風に向かい立つ

 ドラゴンを中心として、ゆらりとその周囲の魔力が渦巻く。剥き出しの牙から零れるように、その口元に火炎が溢れ出る。

 縦に裂けた紅の瞳は一点から視線を逸らさぬまま――明らかにエリノアへと標的を定めていた。

 ドラゴンの視線に気づいた者は少なくない。討伐部隊――正確にはドラゴン捕獲部隊だが――そこに抜擢されたのは、一人残らず確かな実力の持ち主ばかり。だからこそ黙然と各々の役割をこなし、興味がわいた者こそいたかもしれないが、ドラゴンの問いに答える者も逆にドラゴンに問う者もいなかった。

 今は、答える必要も問う必要もないのだ。

 問いが必要であれば、敵を捕らえ無力化してからであっても遅くはない。

 答えが必要であればドラゴンとの戦闘を終えて帰還した後、エリノアを査問にかけるなり検査をするなりすれば済むことだ。そう指揮官たちはすぐさま判断を下した。

 そもそもが相容れぬ存在である。狩るか狩られるかの関係性しか持てず、対等な関係にはなり得ない。少なくとも、ドラゴンが人里に降りるたびに壊滅的な被害が齎される人間側はそう思っている。

 実直で勤勉な討伐部隊はドラゴンの言葉をひとまず脇によけ、防衛の姿勢をとった。敵の主力攻撃であろう火炎放射に備えて魔導士たちが防御魔法の起動し、兵士は魔導加工を施してある盾を翳す。その行動は元より予定されていたとおりのものだ。惑わすためであったのか、純粋な問いだったのかなど判別のつかないドラゴンの言葉によって、個々に動揺が走ることはあっても討伐部隊全体が揺らぐことはない。

 そんな中でただ一人、エリノアだけが微動だに出来ずでいた。


「何だ、『お前は』」

 ドラゴンの声が脳内に反響する。

 その問いかけは真紅の眼差し同様に、明らかにエリノア、ただ一人に向けられていた。エリノアもまたその双眸から目を反らすことが出来なかった。

 出来たことといえば、呆然とその目を見つめ返すことだけ。ドラゴンの向けてくる異様な空気に息を呑み、疑問の声さえ零せない。

 そんなことを問われたところで、答えられる筈もない。

 まず質問の意図するところが、あまりにも漠然とし過ぎていて要領を得ないのだから。

 ドラゴンが目に留めるような他者との見目の差があっただろうか、などとという考えもエリノアは馬鹿馬鹿しいと即座に切って捨てた。

 だからといって、何をして『何だ』と問われるのかエリノアは思いつくことが出来なかった。

 人には気づくことの出来ぬもので、ドラゴンという種族であるからこそ分かり得るものだとでもいうのだろうか。そう仮定したとしても、それは一体何だというのだ。

(私と人との間に、何か決定的に異なるものなど……そんなものは)

 そんなものはない筈だと自分自身に『言い聞かせている』ことに、エリノアは背筋が凍った。

(まさか今は思い出せないだけで、私は心当たりがあるとでもいうの――?)


「クロイツ少尉、『碧の鏡』を!」

 呆然と立ち尽くしたエリノアの耳朶を、ティアリ大佐の切迫した指示が叩いた。

 思考の淵から引き戻された少女の視界を、吹き荒れた魔炎が赤黒く染める。

 冷えた頬に熱風が吹きつけられ、一拍遅れてこめかみに浮かんだ滴が、肌の上をつぅと滑り落ちた。

 エリノアが立ち尽くしていたのも、ほんの僅かな時間だったらしい。もっとも、ほんの僅かな時間とはいえ、心ここに在らずといった状態で立っていられたのは隊の仲間たちのお陰だろう。

 汗が流れる程度の熱で済んでいるのも、既に他の者達が起動している防御魔法の効を奏しているからだ。防御魔法の効果が及ばず魔炎に晒された場所は、雪が水に変わる間もなく蒸発し土が覗いている。針葉樹の幹は炭化し、大きな顎で食い破られたかのように見事に黒く抉られていた。直撃したなら、人も容易く溶けていたに違いない。

 エリノアははっと我に返り、表情を引き締め直した。

「碧の鏡、六番。起動します!」

 宣言と共に、前方へと突き出した両のてのひらの上に、小さな魔力の場が渦を巻いて出現する。

 動きが遅れたツケは行動で取り返す。謝罪を述べる暇があるのなら、与えられた任務をこなすことを優先すべき状況だ。

 頭の片隅にやはり何かが引っかかったまま、背筋を這い登る言いようのない悪寒は消えぬままだ。けれど『問い』への疑問を思考の隅へと追いやり、エリノアは意識を戦闘へと素早く切り替えた。強張ったその表情に、幾分落ち着きが戻る。

 そもそも魔力滞留維持が苦手なエリノアは、あらかじめ魔法を発動直前で留め待機状態にしていた他の者とは、起動や発動のタイミングは勿論行使する魔法すら異なる。

 その防御魔法が発動するまでの間は、ティアリ大佐や他の防御魔法担当の者達で持ち堪える算段だった。

 今、エリノアが起動させようとしている魔法は防御魔法としてはかなり高性能の部類に入る反面、構造は簡易なものではないし、詠唱も戦闘中に使うにはやや長い。

 だが、既に仲間が発動している防御魔法とて、効果は然程強力ではないがいずれも有効時間が極端に短いものではない。

 発動までの猶予は、エリノアであれば充分だ。起動から発動させるまでの速さ、そして魔導構造構築の正確さの評価が高いのは伊達ではない。

「微風の言祝ぎ、水滴の瞬き」

 薄青い光が、ふわりとエリノアの体を取り囲む。前方に突き出した両のてのひらに力が集まっていくのを感じていた。

 詠唱と共に魔導構造が瞬く間に構築されていく。魔導構造の構築の速さもまたエリノアが高い評価を受けているものだ。

「翼広げる碧の風、我らを包みやわらかに抱き」

 目に見えぬ羽のようなやわらかな魔力の微風が、討伐部隊全体をふわりと包み込む。

「風と水の鏡にて、彼の怒りを受け止め流せ」

 薄く、軽く、けれどしなやかで強い魔力の壁が築かれる。光の加減でうっすらと薄青にも薄緑にも見える、膜。魔力でもってのみ知覚できるものではなく、なんびとでもかすかに視認できる魔法防護壁。

 討伐部隊へと再び迫り来る火炎の渦は、けれど今度は、エリノアの前髪を揺らすことも出来ずに、その眼前で空気中にやわらかに溶けるように霧散した。

 紅蓮が散らされると同時に、逆に討伐部隊から青みを帯びた氷の槍が次々とドラゴンへと降り注ぐ。

 ぐぅ、とドラゴンが低く唸る。

「人間風情が、小賢しい真似を……!!」

 剣呑に細めた瞳がようやくエリノアから逸れ、一層険しさを孕んだ視線でぎょろりと周囲を見渡した。

 その間にも魔法によって放たれた氷の槍が、幾重にもドラゴンへと浴びせられる。その半数程度はドラゴンが吐き出す火炎で蒸発し、残りの大半がその硬い鱗に弾かれ砕け、幾つかがようやく浅く突き刺さるに留まっている。

 次々と降り注ぐ氷の槍は、ドラゴンに深い傷を負わせるには到底至らない。

 けれど無傷では済まされず、無視を決め込むには些か多すぎる数だ。加えて、攻撃は全周囲からとは言えずとも、かなり多角的に打ち込まれてくる。

 一方、ドラゴンの攻撃はエリノアが築いた防御魔法によって防がれ、ほぼ効いた様子がない。

 ぐうぅぅぅぅと一段と低い、苦悶の唸り声がドラゴンの口から漏れる。

 絶え間なく浴びせられる魔氷の槍に紛れ、ときたま、より強力な魔力の槍が硬いドラゴンの鱗を切り裂いた。明らかに数で押してくる氷槍とは異なる魔法だった。

 漆黒の鱗を割り砕き、その下の肉を裂き抉る攻撃が混じっているのだ。鮮血の代わりに溢れる黒い血は、その量を次第に増していく。

 奪われつつある体力は傍から見ても明らかだろう。熱風で雪の剥げた大地に、黒々とした染みが広がりつつある。

(このままでは人間風情に、押し切られる)

 ドラゴンの瞳が戦慄の色を帯びる。敗北の予感をするまでにそう時間はかからなかった。

 討伐部隊の側も自分達が有利な戦況へと傾いてきている手応えはあった。

 だが、そんな最中黙々と防御魔法の維持に集中していたエリノアには、その縦に裂けたドラゴンの紅瞳がゆらりと揺らいだように見えた。

 いつの間にか緊張に霧散していた悪寒が、再び背筋を這い上がっていく気がした。

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