11:暁撫子を散らしたのは(2)
刃を押し返された襲撃者は、仕留め損なったことを瞬時に悟り後方へと跳んだ。
エリノアを庇うよう目の前に立つその男の後ろ姿に、少女は瞠目する。
目に映るのは、くすんだ銀灰色の髪。肩の位置よりももう少しだけ長いそれを、首の後ろで一つに括っている、そんな見慣れた後ろ姿。
胸中に浮かんだのは紛れも無く安堵。
けれどエリノアの口から発せられたのは、生じた想いなど微塵も感じさせない、的確に現状を判断した結果の言葉――防御魔法の呪文だった。
相手が再び魔法を紡いでいることをいち早く察したエリノアは、レオナルトへ後ろに下がるよう手で促した。だが剣を構えたレオナルトは逆にそれを無言で制止し、更に前に出る。
(レオナルトは何を考えているの?)
仕方なくエリノアは立ち位置を変えないまま、呪文を唱える。紡ぐ呪文は先程とほぼ同じ防御魔法のものだが、領域の拡大と効果時間を僅かだが引き伸ばすためのフレーズと印を追加している。
「微睡みのときを紗にして、包めっ」
「荊棘の氷蔦、走れ」
魔法の発動と共に、魔力で構成された壁が薄淡い黄緑色の光を纏って、それこそ紗のようにエリノアとレオナルトを覆う。
その表面で、走り寄る氷の蔦が音もなく弾かれる――筈だった。
甲高い金属音を響かせて、レオナルトの足元に小さな物体が落下する。それはレオナルトが長剣と短剣で防いだ、二本のナイフだった。
(避けなかったのはこの為……?)
エリノアが発動した魔法は、物理面には全く作用しない。物理的な防御のための魔法もあるが、そちらの魔法は発動するまでの呪文の詠唱が今回のものよりも少しばかり時間がかかるのだ。両方を防ぐものとなれば、更に時間がかかるものになる。魔導士が前線に殆ど出ないのは、その稀少さとそういった理由からだった。殊に近接戦や騎馬戦においては、一般兵の方が余程有用性が高い。
ダニエルと別の襲撃者が切り結んでいるのだろう剣戟の音が時折聞こえてくるが、魔法の行使に傾倒しがちな魔導士達の中に居て、近接攻撃にも秀でたダニエルはかなり特殊な部類である。エリノアもダニエルとレオナルトに師事していたために、新兵よりテクニックでならば多少勝るとはいえ、それでも戦闘に熟達した軍人よりは遥かに劣るし、力も弱い。
現に今も魔法攻撃だけならば防ぐことが出来たが、レオナルトがいなければ放たれたナイフがエリノアの命を奪っていた。よしんば避けられたとして、その先も防ぎ切ることが果たして出来ただろうか。
気づけば自然と身体が小さく震えていた。
「なぜ、彼女を狙う」
レオナルトの発した声は、エリノアが聞き慣れているものよりも数段低いそれだった。
エリノアに背を向け、敵と向かい合ったままのダニエルの表情は分からない。ただ、襲撃者と同様に、確かな殺意が滲んでいるようにエリノアは感じていた。
「なぜ、だと? 知れたことを。挙句約束を違えたのはそちらだ」
レオナルトの含む感情を知ってか知らずか、襲撃者は苦々しげに言葉を吐く。
「そもそも貴様らが持ち出した話だろうが」
「約束だと? どういうことだ」
低い声に微かな怪訝の色が滲む。
続くように、別件なのか、と吐息のように零れ落ちたその言葉は、恐らくレオナルトにとっては無意識だったのだろう。けれどエリノアの耳は、その呟きを捉えてしまっていた。
「話を聞いてないのか。まさか」
レオナルトの呟きを耳にしたのはエリノアだけだったらしい。不快さを隠そうともしない襲撃者が尚も言い募ろうとした時。
「雷光、奔れ」
その言葉を遮ったのは、横合いから飛び込んだ雷撃だった。雷が襲撃者の手にした刃を伝わり、身体を駆け抜け微かな痺れを残す。言葉を吐き出そうとした口は痺れ、くぐもった音にしかならず、襲撃者は崩れるように片膝をついた。その周囲の草が円を描くように僅かに焦げるに止まっていたのは、それを放った人間が威力を抑えていたからに他ならない。普通に攻撃していたならば、襲撃者自身が炭と化す威力をもつ魔法である。
「さて、四対一だけどそれでもやる? 次は当てるよ」
駆けてきたヴィクトールは馬に騎乗したまま、屹然と襲撃者を見下ろしていた。その顔は笑みではあったが、エリノアでも背筋がうら寒くなるような酷薄なものだった。レオナルト以上に殺気を振りまいていることは明白である。
あっちも片が付きそうだしね、とヴィクトールが見遣る視線を追えば、その先にはダニエルにナイフを手から叩き落された襲撃者の姿があった。
氷の笑みの浮かべたまま見下ろす馬上のヴィクトール。
敵意を剥き出しにしたレオナルト。
飄々とした足取りでもう一方の襲撃者と対峙するダニエル。
次々と視線を転じた襲撃者はそして最後に、エリノアを不可解なものを見るかのような目つきで一瞥すると、森の中へ身を翻した。それに倣い、ダニエルと遣り合っていた襲撃者もまた崩れ落ちた仲間を拾い上げ、あっという間に身を晦ませてしまう。
咄嗟に消えた森の奥へ追いかけようとしたエリノアは、左腕を強く後ろに引かれたたらを踏んだ。振り返れば、腕を掴んだレオナルトが「行くな」と小さく首を横に振った。




