09:城壁外の制止
「まずは、そうだな……イルゼ・アンブロスが殺されたという話は聞いたんだよな?」
基地を出立して以来、ずっと黙したままでいたダニエルが口を開いたのは、街の外に出てからだった。それまで駆けさせてきた馬の手綱をようやく引いた。エリノアもそれに倣って速度を落とす。街道を少しばかり外れた道を進んだ今、二人は王都を囲む城壁と城門が遠くに見える、なだらかな丘の上に来ていた。天候は幸い穏やかなもので、薄手の外套でも然程寒くはない。もう少し早い時間帯ならば確かに散歩日和ではあっただろう。故に、遠目に見れば、散策に出かけた上官と付き従う部下の様に見えるかもしれなかった。だが、そこで交わされる会話とその表情が見えなければ、の話である。
「はい。何があったのか、ご存知ですか」
その堅苦しい物言いにダニエルは呆れたように嘆息した。
「……お前、二人っきりなのに真面目だねェ。まぁ、いい。アンブロス少尉が、アルノート地区の宿で殺された。死因は、心臓を一突きでやられてたのがそうなんだろう。恐らく即死か、それに近かっただろうな。第一発見者は宿の親父。忠告し忘れてたことがあって部屋に行ったら、既にってーことらしい」
アルノート、とエリノアは口の中で小さく呟く。王都の中にあって最も治安が悪いとされている地区の名前である。地方出身とは言え、王都にある士官学校に三年間在籍していたイルゼは無知ではない。王都にてごく普通の暮らしを送る者達と同じように彼女もまた、そこに自ら近づくような真似はしなかっただろう。
ならば、なぜ態々そこを訪れたのか。
釈然としないままエリノアがちらりと視線を走らせると、ダニエルが小さく頭を振った。
「あの場所に居た理由は分からん。ただ、泊まるということで来たと宿の親父が言っていた。宿帳には偽名が書いてあって、俺が警備隊に呼ばれたのは身元確認のためだ。まあ、彼女は顔が広かったんだな。駆けつけた警備隊の数人が顔見知りだったんだと。お陰ですぐに身元が取れたんだが……」
「知ってるか?」と続いて告げられた名前に覚えがなく、エリノアは静かに首を横に振る。
「まあ、こいつらが遺体の顔を確認して、指導教官が俺だったのは知ってたものの現在の上官知らないからって、俺を呼び出したわけだ。で、現場に争った形跡はなかった。にも関わらず、心臓への一突きは正面からだ」
つまりは顔見知りか約束でもしてた相手がいたんだろ、とダニエルは自分の胸を指で突いてみせる。
「宿の親父の証言じゃあ彼女が部屋に行ってから宿に入ってきた人間はいないそうだが、窓からでも簡単に出入り出来そうな部屋だったからな……人がいなかった証拠にはならんだろ。で、その後急いで彼女の下宿先に行ったが、ひと足遅かったようでな。何者かに入られた形跡はあったが、分かったのはそれだけだ。部屋から盗まれたものが何なのか、そもそも盗まれたものがあるのかどうかさえ分からねぇ」
だが、と続けるその瞳の鋭さが増す。
「遺体の方は財布の中身をごっそり抜かれた上に、何かを探したような跡があった。まあ、ただの物盗りにしちゃあ執拗に何か探したような感じだったがな。さて、まずは此処までだ。あとは答えられる質問なら答えるが?」
「イルゼが殺された理由は、何ですか」
逡巡せずに口をついて出た問いはそれだった。
なぜ、彼女が殺されなければいけなかったのか。
戦場でも訓練でもない場所で、なぜ。
ひとたび目を伏せれば、愚痴を言いながら課題に向かっていく彼女の姿が脳裏に甦る。明るく社交的で、誰に対しても気さくだった彼女は学校内外にも友人は多かった。
「警備隊では物盗りの線が濃厚だそうだ。まあ、さっきも言ったように財布から金も抜き取られてたことだしな」
「……では、バッカー大佐はどうお考えですか」
エリノアは榛色の双眸でじっと見る。今までの話を考えれば、ただの物盗りである筈がない。
だが、ダニエルは小さく肩を竦め、苦い表情を浮かべ明言を避けた。
「仕事以外で会うときの態度とってくれりゃー、話してやるよ。軍人としての推論ととられちゃ適わねぇからな」
「……どう考えているんですか、『ダニー』?」
「口封じだろうな。誰かの指示で何かを探っていたという話もあるし、単独で調べた結果、見つけちゃ拙いものでも見つけたのかもしれん。其処は調査中だ。極秘裏にだけどな」
エリノアの丁寧な口調は常と同じである。もう一度息を吐いたダニエルは、けれど誤魔化すことなく言い切った。更にエリノアの問いを先回りして答えを告げる。
「犯人も目下捜査中だが、下手人は暗殺に長けた奴だろうよ。得物は何処ででも手に入る安いナイフだが、肋骨を避けて正確に一突きで心臓を捉えてる。財布の中身を抜いたのは物盗りの犯行に見せかける為だ。それ以外何かを執拗に探した痕跡なんぞ、注意深く現場を見てようやく違和感を感じた程度にしかなかったしな。下手人と指示を出した奴もまた警備隊とは別に探ってる」
「指示を出した人間がいると?」
「聞き込みをした限りでは、恐らくそうだろうな。不審者の姿を見た奴はいたが、そいつが誰なのか知っている者は一人もいなかった。変装していた可能性は高いが、それでも下手人とは別に指示を出した奴がいると俺は考えてる」
「…………」
「言っておくけどな、お前は下手につつくな」
強い制止の言葉だった。
胸にじくじくと鈍い痛みが走っているような気がした。友人が殺されたというのに自分は何も出来ないままだ。いい加減、割り切らなければならないのだろう。彼女が死んだことは既に過ぎたことで、前を向かざるを得ないならば、気にするべきはまずはドラゴン捕獲についてである。
だが、ダニエルは聞き捨てならないことを口にした。
「ただでさえもうすぐドラゴンとやり合いに行くんだ。ドラゴンを前にして背中の安全なんか気にしてる暇ねェだろ」
「捕獲部隊に、イルゼを殺した人がいるとでも言うんですか」
噛み付くようにエリノアが声を荒げた。
「彼女を殺すよう命令した奴の息がかかった人間が、いないとは限らん。知らん振りを貫け。無関係で無関心だとな」
「でも……!」
「おおっと、この辺りで良さそうだな。おい、エリノアも止まれ」
尚も言い募ろうとするエリノアの言葉をダニエルの制止が遮った。訝しげな視線を送ると、ダニエルは苦笑を浮かべてひらりと馬から飛び降りる。見ろよ、と視線を追えば朝焼けの輝きを孕んだ花が密集して咲いていた。
暁撫子と呼ばれる花である。
エリノアは意図が分からず、首を傾げながら同様に馬から降りた。
「此処まで来たのは本当に此処に用事があったんだよ。この辺りって、暁撫子の群生地だろ。貯蔵分じゃ足りないっつーか、新しいのがちょっと必要だとか言われてよ」
「中隊の副隊長がそんな仕事請け負うんですか……」
呆れて溜息が出る。そういうものこそ新入りの役目ではないのだろうか。だがダニエルは苦笑を浮かべたまま持参した皮袋の口を開く。
「皆忙しいんだろ。俺は留守番だから、暇だろって言われてなぁ。しょーがねぇよ。ああ、ちょっと待った」
「全く、次は何なんですか」
「ううん、分かんねぇの? お前、もうちょっと修行でもしてきた方がいいんじゃねぇの」
「…………?」
首を傾げたエリノアに背を向け、ダニエルは腰に佩いた剣をすらりと抜く。傾いた陽射しが磨かれた剣を鈍く照らす。
「お客さんみてーだぞ。どっちにかは知らんが」
ダニエルの軽い口調に、一瞬でその場の空気が張り詰めたものに変わる。あからさまな殺気に、エリノアは背筋を硬くした。




