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月の雫  作者: 空雛あさき
第2章 恋理の羽音、黒の諷示
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08:潜む疑念

 嘘であって欲しい。

 よく似た別の誰かであれば――否。それはまた、イルゼによく似た別の誰かが死んだということに変わりないのだ。図らずも自分が他の誰かの死を願ったことにエリノアは愕然としたが、それでも廊下を駆ける足は止められなかった。話を聞いてくるだけとはイレーネに言ったものの、途中まで進めていた準備作業など既に頭の片隅に追いやられている。

 やがて魔導部隊に関連する施設が立ち並ぶ一角に差し掛かったとき、エリノアは視界の端に映ったものに言い様のない違和感を覚え足を止めた。息を殺すようにして生垣の陰にしゃがみ身を隠したのは、反射的なものだった。

 均整のとれた体躯に、くすんだ銀灰色の髪。

 視線の先にあったその後ろ姿は、紛れもなくレオナルトのものだ。今まさにとある建物内に入ろうとする彼は、赤い布が掛けられた木箱を両手で抱えたまま、一度周囲を見渡した後内側から開かれた扉の主に招かれるように入っていく。

 扉の中にその姿がすっかり呑み込まれ、扉が閉じられたことを確認してから、ようやくエリノアは息を吐き出した。

 彼の来訪は、見てはいけないものだったのかもしれない。人目を忍ぶその姿がその証だろう。けれど見逃すわけにもいかなかった。胸の裡に生じた違和感は消しようもない。

「レオが此処に何の用だっていうのよ……」

 今しがたレオナルトが姿を消した建物を振り仰ぐ。

 そこは、ヴィクトールが所長をも務める魔導研究所――その本部棟である。所長であるヴィクトールは此処に詰めていることが多い反面、魔導とは関わりが薄いレオナルトが中に入っていったのはひどく意外だったのだ。

 ヴィクトールに呼び出しを受けたレオナルトは既に一度ヴィクトールの元へ赴いたと聞く。にも関わらず、レオナルトが改めて此処を訪れる理由は判然としない。

 レオナルトに魔導の心得はあるとしても、実践において使用できるレベルでないことは知っている。無論応用魔法も使えないと本人の口から聞いたことがある上、魔導に関する研究など以ての外であろう。

(でも『視察』に関することなら……ううん、今回指揮をとるのは二人じゃない。それに……)

 何よりも気になるのは、木箱に掛けられていた赤い布だ。あれは遠くからでは仔細は分からないが、描かれていた紋様は何かを封印する際に用いるもののように見えた。

 間違いでないならば、封印しなければならない物をもってレオナルトが単独で研究所に入っていったことにも納得がいかない。そもそも封印物は魔導士の管理下にあり、魔導の心得のない人間にたとえお遣い程度のものだったとしても頼む訳にはいかないのだ。

 憮然とした表情で、膝の埃を払い落としながら立ち上がる。

「ますます意味が分からない」

「何の意味が分からないって?」

 予期せぬ背後からの返答に息を呑み、エリノアは弾かれるように振り返った。そこに立っている人物がよく見知った顔であったことに、知らず胸を撫で下ろす。

「よお、エリノア。お散歩中か? 仕事はないのかよ」

 そこには副官一人を連れた、現在のエリノアの探し人であるダニエル・バッカーの姿があった。よっ、と軽く片手を挙げて気さくに挨拶してくるダニエルはいつも通りの彼である。

 深く追究されずに済み、エリノアは密かに安堵の息を洩らした。不審を抱いたことも、その不審を抱くような現場を見てしまったことも、口にはしたくなかった。それよりも問いたい別件がエリノアにはあるのだ。

「あの、イルゼのことでお訊きしたいことがっ」

「奇遇だなー。俺もお前に訊きたいことがあったんだよ。道中その話でもしながら行こうか」

「はっ?」

 まさかダニエルからも訊きたいことがあるとは予想外である。挙句に『道中』とは、まるで遠出をするような口振りだ。しかも遠足のようなノリで、である。

「いやあ、ちょっと近場ではあるんだけど『外』なんだよな」

「『外』って街の外までですか? あの、話が見えませんが……それに私はまだ作業が残っていて」

「それ、お前じゃなきゃ出来ない仕事?」

「いえ……ですが」

 あたふたしながら口篭るエリノアに、矢継ぎ早にダニエルは問う。

「場所は?」

「魔導棟の一○五です。あの……」

「トーポス、聞いてたな」

「ええ、聞いていましたとも。それで?」

 赤茶けた髪のトーポスと呼ばれた青年が、ダニエルの背後で目を細める。そうするとそれまでの快活そうな容貌から一転して、性格の悪い狐のように見えた。深緑の双眸を覆う眼鏡のせいだろうか。面識がない訳ではないが、言葉を交わしたことは数える程しかエリノアにはなかった。

「代わりをヨロシク」

 片目を瞑ってみせたダニエルの『お願い』に、一拍の間が空く。

「仕方ありませんね。今度、秘蔵の酒奢って下さい。あと、この後の仕事もサボらないで下さいよ、大佐」

 上官に対するものとは思えない程横柄な態度のトーポスから、承諾の言葉が出てくるとは思わず、「えっ」と呟きがエリノアの口から零れ落ちる。

 実際、言葉の上では如何にも渋々といった呈だが、口調には反論する意図など微塵も感じられなかった。しょーがねーなーと笑う上官に「では失礼します」と言い置いて、トーポスはエリノアが来た道を戻っていく。

 自分を置いてとんとん拍子に話が進んでいたが、気付けばエリノアは流されるままになっていた。

「あの、バッカー大佐」

「そーいう訳だからお前は俺に付き合ってもらうからな。早くしないと帰って来る頃には夜になっちまうぞ。てーわけで、馬に乗って行くぞー」

 そう言いながら、既にダニエルの足は厩舎へと向かって歩き始めている。エリノアが付いてきているかなど確認する気もないらしい。

「えっ、あのイルゼのこと」

「ちゃんと話してやるから、一緒に来い」

 その背を追いかけながら必死に言い募るエリノアに、存外真面目な声が返る。

「お前が訊きたいことにはちゃんと答えてやるよ。さ、急げ」

「……はい」

 言葉通り、道中教えてくれるのは間違いないのだろう。準備作業とてトーポスに委任されてしまったからには、急ぎ作業に戻らねばならない懸念もない。申し訳ないとは思うが、知識も経験も彼の方が遥かに上である。エリノアが行うよりも早く確実で正確な準備を整えてくれるのだろう。

 ちらりとトーポスが向かった先へ、そして魔導研究所本部棟の扉へと視線が向いたが、エリノアは頭を振り早足で往くダニエルの背を、小走りで追った。

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