07:告げられた犠牲者の名は
「名前は、確か――そう、イルゼ・アンブロス」
軍施設の一室で黙々と準備をこなしていたエリノアは、その聞き覚えのある名前にはたりと手を止めた。
今、誰の名を。
誰の名を、告げたのか。
「ねぇ、イレーネ。それは聞き間違いではなく?」
そう、聞き間違いでなければ。
それは――王立士官学校以来の友人の名前である。
一気に背筋が寒くなった。
共に訓練をしたのも、たかだか一、二週間程前の話である。
無意味だと知りながらも反射的に聞き返す。しかし、続くイレーネの言葉は希望の欠片も残してはくれなかった。
「聞き間違いじゃないわ。私も遺体の顔を確認したもの」
「嘘!」
今度こそ、エリノアは否定を願って声を荒げた。
「疑ったところで、事実は変わらないわよ? それよりも静かにした方がいいんじゃないかしら。皆、見てるわよ」
声を上げたエリノアの方を何事かと見遣る視線が、幾つも突き刺さる。この部屋にいるのは何もエリノアとイレーネだけではない。主にドラゴン捕獲に赴く幾人もの魔導士達が、複数人或いは単独でその準備作業を着々と進めている。出立まで残り三日と、余裕のない時期ということもあって、向けられた視線は好奇よりも騒がしさを咎めるような冷たいものだった。
勢いのまま反駁しかけた自分を抑えこみ、エリノアは声を潜める。
「ねぇ、イレーネ。イルゼが殺されたってどういうこと。強盗殺人? それとも暗殺?」
王都は戦場ではなく、軍人としては日が浅く密偵であるとも思えない。王のお膝元であるこの王都で、戦場に出るよりも先に『殺された』という現実は俄かには受け入れ難いものだった。
「私が知るわけないでしょう。ただ遺体が見つかったのは、街の裏通りにある安宿だったって。それも素性の判らない怪しい人達が屯するような場所らしいわ」
「何でそんなところに……」
「泊まっていたということでもないみたいなのよね。私もそれ以上は知らないけれど、バッカー大佐ならもう少し何か知っているかもしれないわね。捜査にも一枚噛んでるみたいだから」
その言葉に、エリノアは僅かな引っ掛かりを覚えた。
「魔導部隊所属だからって言っても、イルゼの上司ではないし……実技指導に当たっていたのは最初だけでしょう。どういうこと……?」
「さあね。そんなの私が訊きたいくらいよ」
小さく肩を竦めるイレーネを前に、エリノアは準備を完全に止めた自分の手へと視線を落とす。
渦巻いた魔力をてのひらの上で維持し続けるという自主訓練。それを合同訓練後に一緒に行った際の言葉の遣り取りが、イルゼとの最後の会話となった。
友を喪う覚悟はしていた心算だったが、所詮それも「心算」でしかなかったのかもしれない。今こうして動揺しているのがいい証拠である。己を駒として見るならば、このようなことも瑣末な事として気持ちを切り替えねばなるまい。同期が殺されたという情報すら淡々と伝えてくれるイレーネのような在り方こそ、エリノアが目指す立ち居振る舞いなのだ。
けれど、気には、なる。
同時に、自分には友人が殺された事由を知る暇などありはしないことも分かっている。既に死した者のために時間を割いたところで無駄なことにしかならない。それよりも今ある準備を万全にしなければ、自分どころか多くの人間も巻き添えにしてドラゴンの餌食になるのだろう。
けれど、と連日のドラゴン捕獲準備で磨耗し始めていた頭の、その片隅で警鐘が鳴る。
何かが引っかかっている。言い様の無い違和感が、ある。
「バッカー大佐が何か、知っている可能性はあるのね?」
悶々と思索に耽っていたエリノアの顔を覗き込んだイレーネは、まさか、と柳眉を寄せた。
イレーネにとってはただの同期の話だが、エリノアにとっては友人の死である。エリノアが軍人という駒であろうとしていることはイレーネも薄々感じてはいたが、優し過ぎるが故にそれは難しいだろうとも思っていた。厳しく言うならば「甘い」のである。
今もまた、焦燥に駆られた瞳は恐らく何を言っても無駄に違いない。野次馬の心算ならば引き止めもしたが、今は寧ろさっさと事の詳細を聞かせてから作業に戻らせた方が集中も出来るのだろう。
「エリノア。今貴女がしなければいけないことは、分かってるでしょう」
「話を聞いてくるだけよ。本当にそれだけ」
話を振った手前、形だけ忠告はしておくイレーネに、エリノアは小さく首肯し立ち上がる。
じゃあ行ってくる。
そう一言告げ、木机の上に広げた準備道具もそのままに、振り返りもせずにエリノアは長衣の裾を翻し部屋を飛び出していった。




