06:苦難の端緒
薄暗い部屋の中、ランプの光を受けて煌めく金色の髪は、炎の暖かさよりも真冬の凍えた陽射しに近い。その奥から覗く翠玉色の双眸は、けれど、どこか面白がるように細められていた。
「乙女心の機微が分からないと、人生損をするよ?」
「つまらないことを言うために自分を呼び出したわけではないでしょう。ご用件を伺いたい」
何故知っているのかと、レオナルトは問わなかった。あの場に人は皆無ではなかった上に、情報収集の早さには定評があるヴィクトールの耳に既に届いていることは不思議ではない。況してや義理の、という但し書きは付くが兄妹でもある。義妹を大事にしているという話は軍ならず、社交界の場に合っても有名だ。確かにヴィクトールは、レオナルトの目から見ても至極大切にしているのがありありと分かる。その上、ことに体調への気遣いは過ぎるきらいはあるが、それ以外のことに対しては、過保護とまではいかない面倒見の良さの加減もまた、抜群だった。
だが知られていることは許容出来ても、その内容について触れられたくはない。所詮、私事である。それを、そういった方面に余裕があるためなのか、ヴィクトールは笑みでもって一言で説いた挙句、追い討ちをかけてきた。
「そういうせっかちなところがまた、女の子を遠ざける」
勿体無い、と笑みを零しながらヴィクトールは一枚の紙を取り出した。真新しい紙の端に、見覚えのある印影がある。その印影がもつ意味を察して、ぐっと言葉を飲み込み表情を引き締めたレオナルトは、黙ってその紙を受け取った。
黙々と綴られた文章に目を走らせる。次第にレオナルトの眼差しは殊更に厳しいものとなり、眉間にきつく皺が刻まれた。
書面に記されていたのは、とある村が襲撃を受け壊滅したという報告内容だった。
場所は奇しくもこれから視察に向かうというアディクト地方である。襲撃者はドラゴンではなく、間違いなく人間の手によるものだとも記されていた。だが、それは徒党を成した盗賊団とも、盗賊団を装った隣国の兵に拠るものではないかとも記されており、確たる証拠は未だ得られていないという内容だった。
村が一つ壊滅したのであればこの件を何処かで耳にしていてもおかしくはない筈なのに、レオナルトにとっては初耳である。聞き忘れでもなく、事実としてその村が壊滅した情報は未だ正式に開示されていない。にも関わらず、襲撃されたらしき日付は既に三日も前のものである。
胡乱げな視線を送るとヴィクトールは笑みを消し、「調査に時間がかかったんだ」と静かな声音で答えた。
「明日には提出、開示されるよ。調査のために、少しだけ情報を留めておきたかったたんだ。他には?」
「首謀者に心当たりは」
あるのだろう、と言外に匂わせてレオナルトは返答を待つ。
候補は絞られているけどね、とヴィクトールは当然だと言わんばかりにうっすらと目を細めて見返した。けれど、と続く言葉には僅かに苦いものが混ざる。
「首謀者の当たりについてはリムデルヴァ国内に重きを置いているけれど、ラグジエント国内に潜んでいる可能性も捨てきれないんだ。開戦を声高に主張する派閥もあることだしね」
リムデルヴァが仕掛けたように見せかけて、ラグジエントの人間が村を襲撃した可能性もあるのだ。つまり、人の命を懸けた自作自演の可能性である。もしリムデルヴァに襲撃されたとするならば、反撃せずに放置することは有り得ない。国境を侵犯されたことも相俟って、戦端を開くには、開戦を唱える一派にとっては恰好の口実となる。
ラグジエント王国軍内には、長年続く両国の緊張に耐え切れず、もしくは今こそ長く緊張状態にあるリムデルヴァを早々に併呑し恒久的な平和を齎そうと唱える者が少なからず存在している。現在は傍観を決め込み防備に徹する王の意思が反映されているとはいえ、増強されたラグジエント王国軍の声もまた世論に対し絶大な影響力をもつ。国王の意思を汲んで動く一派が軍の要職を占めているが、軍内部の勢力図が変われば、あっという間に国王の意思を無視して攻めの姿勢に転じることになるだろう。かといって、その派閥が綺麗に二分されるわけでもない。どちらを支持するなど態々声を上げる者は稀で、多くの者は言及することを避け、表面的には王国制ならではだろうか、概ね国王の意思に従うという体裁を保っていた。
双方の極論を唱える者達は常に互いの腹を探り、また一人でも腹心を得るべく常日頃から奔走している。ヴィクトールに至っては、王の意志に拠るものではなしに防戦を主張する側に立っている。秘匿こそしていないが、他派閥との衝突を極力避け、慎重に説いて賛同者を増やしつつあった。また徒に防戦論を振りかざすだけでなく、作戦においても防衛をより強固で堅実なものとするべく、様々な案件を立案してきている。その中には、リムデルヴァへの和平条約への交渉も当然のように含まれていた。
ヴィクトールが提唱する防衛論、和平案に賛同するのは、極力血を流さずに済ませるという点から、貴族や貴族に所縁のある軍人、一般市民が多い。レオナルトもまた水面下ではその思想を支持している。だからこそ、今回の内密である話もヴィクトールから伝えられたのだろう。
「そこから想定される作戦と対応案も幾つか導き出している。君が聞きたいのはこの辺りだろうから、その点についてはこの別紙に纏めてある。準備は既に始めているから、出立までには整う。完了予定は出立直前。早くて出立の前日だね」
手配の早さには、感嘆せざるを得ない。
小さく首肯し了解の意を示すと、レオナルトは別紙の書類についてその場でざっと目を通し始めた。この書類の作成もまた急ぎのものであっただろうに、些かの字の乱れもない。内容についても別段不備は無さそうだった。
「了解しました。では、この案件についてはどの部隊が何処まで把握していますか」
態々自分だけを呼び出して伝える辺り、この件に関しては概ね秘匿されるものなのだろうとレオナルトは予測していた。果たして、その読みは正解だったらしい。
「視察部隊の中では、これを知るのは極数名だけだ。隊内への通知はしない。隊外で知るのは各大隊の隊長及び副隊長を含め数名のみ。君は他言無用だよ。通知がある場合は僕の判断で、僕から行う」
もしかしたら、とヴィクトールは柳眉を寄せた。
「何処かから情報が漏れているのかもしれない。言わなくても分かってるとは思うけど、くれぐれも情報の取り扱いには細心の注意を払ってね。内通者が視察部隊に紛れ込んでいる可能性は高いけれど、洗い出しには未だもう少し時間がかかりそうなんだ。当分は命を狙われるような状況にはならないと思うけど、身辺にも充分に気をつけてね。以上、連絡終わり」
おどけて緩く笑んだヴィクトールは、また別の仕事があるのだろう。本棚から数冊本を取り出し、机の上に積んでいく。ならば、と辞去しようとした矢先に、レオナルトの言葉はふいに投げかけられたヴィクトールの声に遮られた。
「あ、そうそう。君、知ってる?」
「何をですか」
「軍属の魔導士が一人、市街で殺されたらしいよ。名前は、確か――」




