第91話『揺らぎの兆し──循環に混じる異音』
循環が安定し始めた時、
必ず現れるものがある。
それは、破綻ではない。
違和感だ。
「……一件、報告があります」
朝の定例で、リュシアンが言葉を選んだ。
「数字は問題ありません。
処理も、基準内です」
「でも?」
私が促すと、彼は小さく息を吸った。
「判断の理由が、
似すぎています」
私は、視線を上げた。
「似すぎている?」
「はい。
別の部署、別の担当なのに、
文言がほぼ同じです」
資料を受け取る。
確かに、判断理由の構造が、驚くほど揃っていた。
「……写した?」
「おそらく」
私は、すぐに否定しなかった。
基準を補った。
余白を示した。
だが、それは同時に、
“安全な書き方”を生んだ可能性がある。
「考えた結果、
同じになった可能性は?」
「ゼロではありません。
ただ……」
リュシアンは、言葉を切る。
「思考が、
型に寄り始めています」
昼、ミレーヌと二人で確認する。
「悪い兆候?」
「悪い、というより……
慣れすぎ、かしら」
判断が楽になると、
人は最短距離を探す。
「この書き方なら、
通る」
その感覚は、
組織を静かに鈍らせる。
夕方、現場を歩く。
一人の若手が、書類を抱えて立ち止まっていた。
「どうしたの?」
声をかけると、彼は少し驚き、
それから正直に言った。
「……前例と同じ書き方で、
いいか迷っていて」
私は、少し考え、こう言った。
「同じでもいい。
でも、
“同じだと思った理由”は?」
彼は、はっとした顔をする。
「……そこまでは、
書いていません」
「なら、
まだ考えられる」
私は、それ以上言わなかった。
夜、執務室に戻る。
循環は、回っている。
だが、回り方が均一になりすぎている。
水が澱む前兆は、
静けさだ。
中心の仕事は、
また一段、変わる。
今度は、
揺らぎを戻す番だ。
私は、ペンを置き、
窓の外を見る。
規則正しい灯りの中に、
一つ、微かに揺れる影があった。
聞き逃せば、
ただの静寂。
だが私は、
その異音を、確かに聞いた。




