第9話『辺境帰還──新たな領地と、騎士の告白』
ローデン領に戻った馬車が、ゆっくりと石塀の間を抜ける。
門の前には村人たちが集まり、手に花や野菜を抱えて私を迎えてくれた。
「レティシア様、お帰りなさい!」
「ようお戻り、殿下!」
その歓迎ぶりに、つい胸が熱くなる。
王都での“無罪”の一件が広まり、ローデン領には少しだけ誇りが戻ったようだった。
村人の笑顔は、私がここへ戻ってきた理由を一度でも疑った日の面影を消してくれる。
「皆、集まって。今日から、新たに領地の区画を増やします」
私は馬車を降りると、即座に指示を飛ばした。
「新しい道を通し、交易倉庫を整備して、子どもたちのための小さな学校も造りましょう」
ガイルは相変わらず無骨な顔で私の背中を見ているが、その目は温かかった。
「随分と向こう見ずだな」
「向こう見ずじゃない、先見の明ですの」
笑い声があちこちで上がる。
人々が自ら道具を持ち、子どもが先導して新しい土地へと走り出す。
その光景を見て、私は改めて確信する。
――ここを変えられる。彼らがいる限り、変え続けられる。
夜になり、村は小さな祝宴を開いた。
収穫の一部を持ち寄り、焚き火の周りで歌い、食べ、笑う。
リュシアンはいつもの皮肉な微笑を浮かべてワインを傾け、ガイルは黙って串を焼いていた。
私は村の子どもたちの相手をして、砂だらけの手を何度も拭いてあげる。
宴が一段落ついた頃、ガイルがぽつりと私を呼んだ。
「ちょっと、来い」
「何ですの?」
「屋敷の裏、古い風見台のところで」
裏庭に出ると、満天の星が頭上に広がっている。
風見台は古く錆び付いていたが、遠くに見える畑の緑を一望できる場所だ。
ガイルは背中を向けたまま、しばらく黙っていた。
その沈黙の長さが、私の胸を少しだけ締め付ける。
「なあ、レティシア」
「はい」
「お前がここに来てから、色んなことが変わった」
彼の声には、いつもの無骨さよりも温度があった。
「村の水が戻った。子どもたちの笑い声が戻った。俺の朝の巡回も、少し楽になった」
「それはよかったですわ」
「……それで、な」
彼はゆっくりと振り向き、私の目を見た。
「お前が王都に戻った時、俺は黙って見ていられなかった。怒りも沸いた。あのやり方は許せなかったし、何より――」
ガイルの手が、不器用に私の前でぎこちなくも確かに動いた。
「俺は、お前が……いなくなるのが、耐えられなかったんだ」
言葉は短く、しかし重かった。
「いなくなるのが耐えられなかった」――そんな感情を、あの鋼のような男が漏らすなんて、誰が想像しただろう。
私は一瞬言葉を失ったが、すぐに優しく笑った。
「ガイル……?」
「お前が王都でどれだけ罵られようと、追放されようと、俺はお前を信じてた。お前が戻ってくるなら、どんなことだって守る」
その言葉に、胸の奥がじんと熱くなった。
守る、という約束。淡々とした口調の中に確かな覚悟がある。
「ありがとう、ガイル。そんな風に言ってくれるなんて思ってもみなかった」
彼は不意に顔を赤らめた。
「……馬鹿みてえだな、俺。言い方が下手で悪い」
「下手でも、十分伝わりましたわ」
静かな時間。星明かりの下、私たちはお互いを見つめ合う。
ガイルの手が、ぎこちなく私の手に触れた。
その感触は、強さと優しさが混じっていて、私は自然と手を重ね返す。
「これからも、ずっと一緒にいてほしい」
彼の声が小さく震えた。
私は迷わず答えた。
「ええ。ずっと、一緒に」
ガイルは短く笑い、ぎこちなくもその手をぎゅっと握り返した。
「なら、俺がお前の盾になる。悪党は俺が片っ端から斬ってやる」
「やめてください、領民の前で武勇伝作らないでくださいね」
「おう、分かってる」
二人で笑い合った瞬間、遠くから村人たちの歌声が聞こえてきた。
日常が戻った、その音は何よりも尊かった。
その後の数日は、告白の余韻とともに忙しさが戻った。
交易倉庫の設計図が描かれ、職人たちが集まり、学校の教員候補の話も進む。
リュシアンとの契約は順調に進み、黒衣商会の交易路が整いつつある。
そして何より、村人たちが堂々と笑い、働き続けている。
だが、新たな動きが遠くで芽吹いているのを、私は感じていた。
王都の中には未だ根深い勢力があり、今回の勝利で溜飲を下げる者がいれば、逆に焦りを募らせる者もいる。
平穏は、いつかまた試されるだろう――それは分かっている。
それでも今は、目の前の幸せを大切にしたい。
ガイルの隣に立ち、私は夜空を見上げる。
――新しい日々の始まりだと、静かに胸に刻んだ。




