第77話『小さな破綻──見逃さない綻び』
静かな信用が積み重なり始めた頃、
それは起きた。
大事ではない。
だからこそ、厄介だった。
「……帳尻が、合いません」
リュシアンの声は低く、慎重だった。
「どの程度?」
「誤差、と言えば誤差です。
倉庫三番の出庫量が、
記録より少ない」
私は、指先で机を軽く叩いた。
「量は?」
「微量です。
一度なら、見逃される程度」
「……だから、今ここに来たのね」
リュシアンは頷いた。
「はい。
“続けば、形になる”誤差です」
その日の午後、私は倉庫三番へ向かった。
事前の通達は出さない。
倉庫内は、いつも通りに見える。
整然と積まれた箱。
動線も、作業も、問題なし。
「責任者を」
若い監督役が、すぐに出てきた。
「何か?」
「記録と実数に、差がある」
私は、淡々と言った。
彼は、一瞬だけ目を瞬かせた。
「……確認します」
「今、ここで」
空気が、わずかに張る。
再確認の結果、
差は埋まらなかった。
「理由は?」
監督役は、唇を噛む。
「……善意、です」
その言葉に、周囲がざわつく。
「善意?」
「少量なら問題ないと判断しました。
現場が忙しくて……
調整のつもりで」
私は、しばらく彼を見つめた。
怒りはない。
失望も、まだだ。
「善意は、理由にならない」
静かに、そう告げる。
「ここでは、特に」
彼の肩が、わずかに落ちた。
「罰は……?」
「罰じゃない」
私は首を振る。
「是正よ」
その場で、指示を出す。
全出庫の再確認。
記録手順の見直し。
そして――
「責任者、交代」
周囲が息を呑む。
「解任ではない。
一段階、下がってやり直す」
監督役は、深く頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「感謝はいらない」
私は言った。
「同じことを繰り返さないで」
夕方、屋敷に戻ると、ガイルが腕を組んで待っていた。
「甘くねぇか?」
「甘くない」
私は即答する。
「厳しいわ。
“善意でも通らない”って示したから」
「でも、首は切らなかった」
「信用は、切るものじゃない」
私は続ける。
「削るものよ」
夜、港を見下ろす。
灯りは、変わらず揺れている。
今日の出来事は、
噂にもならないだろう。
だが、現場には残る。
“少し”の破綻でも、
見逃されない。
“善意”でも、線は越えられない。
それが、この場所のルールだ。
小さな綻びを、
小さいうちに直す。
派手さはない。
喝采もない。
それでも、こうして、
信用は形を保つ。
私は、また一つ、
見逃さなかった。




