第72話『名の下に集うもの──試金石の一日』
名が走り始めてからというもの、朝の報告の量が増えた。
内容も、以前とは違う。
数。
金額。
そして――人。
「応募です」
リュシアンが差し出した書類の束は、想像以上に分厚かった。
「港の管理補佐、倉庫監督、街道警備……
すべて、“こちらで働きたい”という申し出です」
「条件は?」
「厳しいままです。
むしろ、噂で誇張されているくらい」
それでも、人は集まった。
「……選ばれる側から、選ぶ側になった、って顔ね」
私は書類に目を通しながら呟く。
ガイルが腕を組んだ。
「玉石混交だぞ。
名目だけで来てる連中もいる」
「分かってる」
私は一枚の書類を抜き出す。
「だから、今日は“見る”」
その日、私は屋敷を離れ、港と市場、倉庫を回った。
面接ではなく、視察でもなく、
ただ“一緒に歩く”ために。
港で、若い男が声をかけてきた。
「領主様……あの、ここで働くには、
何が一番大事ですか?」
即答はしなかった。
荷を運ぶ人々。
指示を出す管理役。
ぶつかり合いながらも、前に進む現場。
それを一通り見てから、答える。
「続けること」
男は、きょとんとした。
「上手くやることじゃない。
目立つことでもない」
私は言う。
「決まりを守って、
嫌になっても、
逃げずに続けること」
男は、ゆっくりと頷いた。
市場では、別の声があった。
「噂ほど、自由じゃないですね」
少し皮肉めいた口調。
「ええ」
私は否定しない。
「自由は、責任とセットだから」
「……でも」
その商人は、周囲を見渡した。
「騙されにくそうだ」
その評価は、悪くなかった。
午後、倉庫で一件の小さな事故が起きた。
荷が崩れ、作業員が軽い怪我をした。
大事には至らなかったが、
その場の空気が、一瞬、凍る。
「責任者は?」
私は問う。
若い監督役が、一歩前に出た。
「私です」
声は震えていたが、逃げなかった。
「手順の確認が甘かった。
改善します」
私は、しばらく彼を見てから言う。
「報告書は?」
「今夜中に」
「よし」
それだけだった。
周囲が、ほっと息をつく。
罰も、怒号もない。
だが、曖昧にもしていない。
夕方、屋敷に戻ると、リュシアンが静かに言った。
「……見せましたね」
「ええ」
私は椅子に腰を下ろす。
「ここが、どういう場所かを」
名の下に、人は集まる。
だが、残るのは、
その名に“耐えられる者”だけだ。
夜、採用の最終リストを確認する。
数は、当初の半分以下。
「少なすぎませんか?」
ミレーヌが心配そうに言う。
「ちょうどいい」
私は答えた。
「名を軽くするほど、人はいらない」
窓の外、港の灯りが静かに揺れている。
今日も、変わらず動いている。
名は、看板じゃない。
試金石だ。
触れた者の、
覚悟と本質を映す。
私はその中心で、
また一つ、選ぶのだった。




