第69話『裂け目に芽吹くもの──試練の先で』
南倉庫の一件から数日。
去った商人の穴は、予想以上に大きかった。
一時的に滞る荷。
忙しさを増す現場。
不満がゼロになることはない。
それでも、崩れなかった。
「……回ってます」
ミレーヌの声に、安堵が混じる。
「綱渡りだけどね」
私は帳簿を閉じた。
「でも、立て直せる」
数字がそれを示していた。
一部は減ったが、別の部分が伸びている。
特に、小規模商人と職人の動きが活発だ。
「居場所ができた、って顔だな」
ガイルが言う。
「大きな商人がいなくなった分、
声が通るようになった」
「ええ」
私は頷いた。
「裂け目ができたから、
光が差した」
その午後、予想外の訪問者があった。
数日前に去った商人の一人だ。
応接室で向かい合うと、彼は深く頭を下げた。
「……条件を、再確認させてほしい」
私は黙って待つ。
「他所では、結局、昔の順列が優先された。
ここだけだった。
新参でも、同じ扱いだったのは」
彼の声は、わずかに震えていた。
「戻るなら、条件は同じよ」
私は静かに言う。
「特別扱いはしない」
「それでいい」
彼は即答した。
「……分かったから」
戻る者が、選んだのは“公平”だった。
夕刻、リュシアンが報告する。
「噂が変わっています。
“厳しい”から、“覚悟が要る”へ」
「悪くない」
私は微笑んだ。
「覚悟が要る場所には、
覚悟のある人が集まる」
一方、影の動きもあった。
「蒼月の翼が、別の手を使い始めている」
シグルの声は低い。
「何を?」
「人だ。
引き抜き。
不満を抱えた現場の者を狙っている」
私は、すぐに答えた。
「引き留めない」
ガイルが目を見開く。
「……マジか」
「縛らない」
私は言った。
「残る人を、大事にする」
逃げ道を塞げば、
人はいつか、内側から壊れる。
「でも」
シグルが続ける。
「残った者たちは、
より強く結束するだろう」
「ええ」
夜、港を見下ろす。
灯りの数は、少し減った。
だが、消えていない。
むしろ、一つ一つが、はっきり見える。
「……領主様」
背後で、若い管理役が声をかけた。
「今日の判断、
間違ってませんでしたよね」
私は、振り返って言う。
「正解かどうかは、まだ分からない」
彼の表情が揺れる。
「でも」
続けた。
「間違いを、修正できる道を選んだ。
それは、間違いじゃない」
彼は、ゆっくりと頷いた。
人は、完璧な答えより、
立ち直れる余地を求める。
裂け目は、傷にもなる。
だが、そこから芽が出ることもある。
この領地は、
削られ、試され、選別されながら、
少しずつ形を変えている。
私は、その変化の中心で、
今日も舵を握る。
静かに。
だが、確かにあるのだから。




