第67話『選ぶ側の覚悟──差し出された手の重さ』
視察の波が一段落した翌朝、屋敷は久しぶりに静かだった。
静けさは、休息ではなく、考えるための余白だ。
机の上には三通の書簡が並ぶ。
一つは商会連合からの共同出資の打診。
一つは隣領との物流協定案。
そして最後の一つ──王都経由で届いた、名義だけ整った「助言書」。
「……露骨ね」
私は苦笑し、三通を順に指でなぞった。
「金。
道。
そして、口出し」
リュシアンが頷く。
「どれも、甘い。
だが、代償がある」
「ええ」
私は立ち上がり、窓辺へ向かう。
港では、朝の荷下ろしが始まっていた。
「今までは、選ばれる側だった。
でも、これからは違う」
ガイルが腕を組む。
「断るってのも、勇気が要るぞ」
「分かってる」
私は振り返り、はっきり言った。
「でも、握った手が、そのまま首を絞めることもある」
午前中、最初に呼んだのは商会連合の代表だった。
応接室で向かい合い、私は前置きなく言う。
「出資、ありがたいわ。
でも、経営への口出しは受けない」
男は一瞬、目を見開いた。
「それでは、こちらの利益が──」
「保証はする」
私は資料を差し出す。
「数字で。
契約で。
信頼じゃなく、条件で」
沈黙。
やがて、男は低く息を吐いた。
「……噂通りだ。
あなた、簡単には飲み込めない」
「飲み込まれるつもりはないから」
交渉は長引いたが、結論は出た。
出資は限定的に受け、権限は渡さない。
次に、隣領との協定。
こちらは、条件が明快だった。
「道を繋ぐ代わりに、港の優先使用権を」
「優先はいい。
独占は不可」
私は即答する。
「競争があるから、価値は保たれる」
若い女領主は、私をじっと見てから笑った。
「……本当に、似た者同士ね」
協定は成立した。
問題は、最後の書簡だった。
「“助言”という名の、介入」
シグルが低く言う。
「受け取れば、王都の影が常駐する」
「ええ」
私は封を切らず、暖炉の前に立つ。
「燃やす?」
ガイルが半ば冗談めかして言う。
「いいえ」
私は首を振る。
「返す」
そして、封筒をリュシアンに渡した。
「全文写しを添えて。
“必要になったら、こちらから呼ぶ”って」
午後、その返書が出ていった。
その直後だった。
見張りからの報告が入る。
「北の街道で、不審な動き。
商隊を装った一団です」
「数は?」
「少数。
だが、統率が取れている」
私は目を閉じ、一瞬だけ考える。
「……見せに来たわね」
蒼月の翼。
直接は出てこない。
だが、“選択”の直後を狙う。
「迎撃はしない」
私は言った。
「追わない。
ただ、こちらの動きを見せる」
シグルが静かに頷く。
「影には、影で応える」
夕暮れ、街道沿いの拠点で、こちらの部隊があえて姿を現した。
整然とした配置。
過不足のない装備。
戦わない。
だが、隙も見せない。
遠目に、その一団が引いていくのが見えた。
「……踏み込んでこなかったな」
ガイルが言う。
「ええ」
私は答える。
「今は、“測り直し”の段階」
夜、屋敷に戻ると、疲労と同時に、奇妙な充実感があった。
選んだ。
切った。
繋いだ。
ミレーヌが静かに言う。
「怖く、ありませんか?」
「怖いわ」
私は正直に答えた。
「でも──選ばない方が、もっと怖い」
窓の外、港の灯りが揺れる。
増えた光と、深くなった影。
この領地は、もう流れに任せて進む場所じゃない。
舵を握り、進路を決める場所だ。
差し出された手の重さを知った今、
私はもう、軽い選択はしない。
選ぶ側の覚悟。
それが、ここで生きるということだから。




