第62話『静かな刃──裏から動く者たち』
公開文書の配布が始まって三日。
領地の空気は、目に見えて変わりつつあった。
市場では噂話が増え、酒場では数字の話が交わされる。
「税がどこに使われてるか分かるって、案外悪くねぇな」
そんな声もあれば、
「余計なことを知っちまった気がする」
と、不安を滲ませる声もある。
光が差せば、影もまた濃くなる。
「……来ましたね」
リュシアンが差し出したのは、一通の匿名文書だった。
差出人なし。
だが、筆跡も紙質も、明らかに“素人”ではない。
「“領主による財政操作の疑い”。
ずいぶん具体的ね」
私は目を通しながら、静かに言った。
「数字を知ってる者の書き方だ」
ガイルが舌打ちする。
「内部か?」
「可能性は高いわね。
少なくとも、公開前の資料に触れている」
ミレーヌが不安そうに言う。
「領民に広まったら……」
「広まる前に、こちらから出す」
即答だった。
「隠さない。
反論も、証拠も、全部セットで」
「正面から潰すってことか」
「ええ。
裏で刃を振るう相手には、光が一番効く」
その夜、もう一つの“動き”があった。
警備交代の時間。
外れの見張り塔で、異変が起きた。
「侵入痕あり。
だが、物的被害はなし」
報告を受け、私は眉を寄せる。
「……探りね」
シグルが静かに頷いた。
「蒼月の翼のやり方だ。
襲わない。
だが、“入れる”と示す」
ガイルの表情が険しくなる。
「脅しかよ」
「警告でもある」
私は立ち上がった。
「なら、返事をしないと」
見張り塔へ向かう途中、夜風が冷たく頬を打つ。
星は明るい。
静かすぎるほどに。
現場には、足跡が一つだけ残っていた。
意図的に、消されずに。
「……伝言ね」
私はその跡を見下ろし、言った。
「“見ている”って」
シグルが低く告げる。
「こちらも、見返す必要がある」
「ええ」
私は振り返り、彼を見る。
「影の中で戦うのは、あなたの役目。
でも、線は越えない」
彼は一瞬だけ目を伏せ、やがて頷いた。
「承知した」
屋敷に戻ると、机の上には新たな報告書が積まれていた。
他領からの問い合わせ。
連携の打診。
そして──沈黙。
王都からの、完全な沈黙。
「一番厄介なのは、これね」
リュシアンが言う。
「動かないという“動き”」
「ええ。
だからこそ、焦らない」
私は深く息を吸う。
「相手が刃を隠すなら、
こちらは盾を磨く」
その夜、私は領地全体の防衛配置と、情報経路の再確認を指示した。
攻めるためじゃない。
立つために。
窓の外で、風が木々を揺らす。
静かな音。
でも、その静けさの奥に、確かな殺気が潜んでいるのを、私は感じていた。
それでも──
私はもう、怯えない。
表で、正面から、選んだ道を歩く。
影が何を企もうと、その覚悟は揺らがない。
夜明けは、必ず来る。
その前に、どれだけの刃が交錯するか──
それだけの話だ。




