第60話『選ばれた場所──領主として立つということ』
王都の使者が去ったあと、屋敷には奇妙な静けさが残った。
嵐が通り過ぎたというより、嵐が“周囲を回り始めた”ような、そんな感覚。
私は応接室の窓を開け、外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
潮の匂いと、土の湿り気。
この領地の匂いだ。
「……本当に、断ってよかったのか?」
ガイルの低い声が背後から届く。
責める響きではない。
心配からくる問いだ。
「ええ」
私は即答した。
「王都に戻れば、守られるかもしれない。
でも、それは“檻”の中での安全よ」
リュシアンが静かに頷く。
「保護という名の管理……
今の王都なら、十分あり得ます」
「でしょう?」
私は振り返り、三人を見る。
「私は、選びたいの。
自分の立つ場所も、守る人も」
シグルは腕を組み、少しだけ口元を緩めた。
「王都は、君を“駒”として見ている。
だが、この領地は違う」
「ええ。
ここでは私は“領主”よ」
その言葉を口にした瞬間、不思議と迷いが消えた。
逃げ場ではない。
戦場でもない。
──ここは、私の居場所だ。
「だから」
私は深く息を吸う。
「次の手を打つ」
ガイルの目が光る。
「攻めるのか?」
「備える、よ」
私は机に広げた地図を指さした。
「蒼月の翼は、恐怖と分断を使う。
なら、その逆をやる」
リュシアンが理解したように言う。
「……信頼と、結束」
「そう。
まずは“情報”を開く。
倉庫の流れ、税の使い道、工事の進捗。
領民に見せるわ」
ガイルが目を丸くする。
「そこまで公開するのか?」
「隠すから、疑われる。
疑われるから、影が入り込む」
前世で学んだ、当たり前の理屈。
でも、この世界では“革新”だ。
「反発も出るぞ」
「ええ。
でも、沈黙よりはずっといい」
シグルが静かに言った。
「王都も、影の騎士団も──
君が“透明”になるのを嫌がる」
「でしょうね」
私は笑った。
「でも、嫌がられるってことは、効いてるってことよ」
そのとき、外から子どもたちの笑い声が聞こえた。
工事中の広場で、木箱を並べて遊んでいるらしい。
私は窓辺に立ち、その様子を眺めた。
「……ねえ、シグル」
「なにかな」
「あなたが仕えていた“主君”。
私を守れと言ったその人は……
この景色を、見ていたのかしら」
彼は少し考え、答えた。
「きっと。
だからこそ、君を王都に縛らなかった」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
その瞬間、ミレーヌが駆け込んできた。
「レティシア様!
広場で……皆が集まっています!」
「何事?」
「王都の使者が来たこと、
それを断ったことが、もう広まっていて……
不安と、期待が、入り混じって……」
私は一瞬だけ目を閉じ、決めた。
「行きましょう」
広場に出ると、多くの視線が一斉にこちらを向いた。
囁き声。
探るような目。
でも──逃げない。
私は一段高い台に上がり、はっきりと告げた。
「王都から、私を呼び戻す話がありました」
ざわめき。
「でも、断りました」
どよめきが起こる。
「私は、この領地を選びます。
皆と一緒に、ここを守り、育てることを」
一拍置いて、続ける。
「不安はあるでしょう。
敵もいます。
でも──隠しません。
誤魔化しません」
静まり返る広場。
「この領地のことは、皆で知り、皆で決める。
それが、私のやり方です」
しばらく、沈黙。
そして──
誰かが、拍手をした。
一人、また一人。
やがて、それは波のように広がった。
胸が、熱くなる。
ガイルが小さく呟く。
「……支持、集めちまったな」
「ええ」
私は微笑んだ。
「これが、私の戦い方よ」
空は高く、風は穏やかだった。
嵐は近い。
それでも私は、もう足を引かない。
ここは、私が選んだ場所。
私は──この地の領主なのだから。




