第50話『夜の帳に潜むもの──動いた影、遅すぎた予兆』
南倉庫で“証拠”を見つけた夜。
その静けさは、逆に不自然だった。
村を吹き抜ける風さえ、何かを隠すように薄暗く湿っていた。
私は執務室に戻るとすぐ資料を広げた。
昨日の航路記録、商人の証言、倉庫に残された貨物番号──
どれを組み合わせても、一つの結論に向かっていく。
「……これは、ただの密輸じゃない。」
思わず声に出していた。
リュシアンが椅子にもたれながら、横目で私を見る。
「気づいたか。隣領の“個人印”を使う理由は一つだ。
表の取引を使わずに、別ルートで財を動かしたい時」
「裏金の流れ……?」
「いや、それよりもっと“広い”金の流れだ」
リュシアンは軽く指を鳴らして、地図を示した。
矢印が描かれた航路は、村を中心に三方向へ分岐している。
「この三つの航路、国境に近い商港へ繋がっている。
つまり――戦時物資の個人蓄財だ」
私は息を飲んだ。
戦争を、誰かが「個人の懐」のために利用している。
それは、国全体を揺るがす規模の話だった。
そこへ、重い足音。
「レティシア、至急確認してほしいことがある」
ガイルが扉を開けた。緊張で眉間に深い皺を刻んでいる。
「桟橋の監視班から連絡があった。“見えない荷”が積まれた痕跡があると」
「見えない……?」
ガイルは首を振り切るように言った。
「箱でも樽でもない。形跡はあるのに、実体がない。
まるで、“ひとが隠れていたような”跡だ」
息が止まりそうになった。
「……密輸じゃない。誰かを運んでいる?」
リュシアンがすぐに地図に手を伸ばし、航路を示した。
「隣領の私兵、あるいは密偵だろう。
もしこの村に入り込んでいるのなら……」
「ここが内部から狙われる……」
言い終える前に、外から急を告げる鐘が鳴った。
──ゴォォン……ゴォォン……!
村全体がざわつく。
ただの火事や遭難では鳴らない、特別警戒の鐘だ。
私は上着を掴んで走った。
ガイルとリュシアンもすぐ後ろにつく。
夜霧に包まれた桟橋まで駆けつけると、監視班の若者が震える声で指をさした。
「ひ、人影が……船から陸へ……!
でも数は把握できません、霧が濃すぎて……!」
霧。
この時間帯にしては異様なほど濃い。
「誘導の煙かもしれない」とリュシアンが低く唸る。
「隠れて動くには都合が良すぎる」
ガイルは剣を抜き、霧に目を凝らした。
「レティシア、絶対に下がるな。奴らは“夜を選んで”来てる」
私は頷きつつも、胸がざわついていた。
嫌な予感が、足元の冷気のようにまとわりつく。
と、その瞬間──
霧の向こうに、音もなく影が跳ねた。
ひとり、ふたりじゃない。
複数。その足取りは訓練された兵のものだった。
「構えろ! 敵だ!」
ガイルの叫びと同時に、監視班の灯りが一斉に掲げられた。
光に照らされ、霧の中に黒い影が浮かぶ。
仮面。軽装の鎧。
どれも“隣領の私兵”の特徴と一致していた。
なぜここに?
何のために?
まだ十分に掴みきれていない謎が、今まさに現実になって迫ってきている。
その時だった。
影の一人が、こちらに向けて指を伸ばした。
まるで“標的を確認した”かのように。
その瞬間、背筋が冷たくなった。
狙われているのは──私。
「レティシア、下がれッ!」
ガイルが叫ぶ。
が、影は霧に溶け、別方向に走り去った。
狙撃でも襲撃でもない。
狙われたのは、
「私の“存在位置の確認”だけ……?」
まるで──
“次の攻撃の下調べ”をしているみたいに。
霧が風に流れ、影はもういなかった。
静けさが戻った桟橋で、私は拳を握った。
ただの密輸ではない。
ただの裏金でもない。
これは──
“ローデン領そのもの”に手を伸ばす前触れ。
「ガイル、リュシアン……」
震えぬように言葉を整える。
「明日、協議会を開くわ。
航路、倉庫、村の内部……全ての見直しをする。
敵はもう、村の外から内へ動き始めている」
二人は力強く頷いた。
夜の風がざわりと鳴り、揺れる灯が長い影を引く。
静かだが、確実に何かが迫っている。
その気配が、村全体の空気を重くしていた。




