第49話『朝霧に滲む影──動き出す者、潜る者』
夜の冷気がまだ残る薄明の村を歩くと、潮と薪の匂いが混じって鼻をくすぐる。
昨日の桟橋で得た「証言」と「写真」は、協議会の空気を明らかに変えた。表情の強張った者もいれば、逆に吹っ切れたように動きが早くなった者もいる。状況は静かに、確かに前へ進んでいた。
朝の会議で、リュシアンが新しい一覧表を広げた。夜の出入りに関する複数の証言が、昨日の水夫を皮切りに一気に増えたのだ。内容は細部こそ違うが、共通して「特定の船」「特定の時間帯」「特定の風向き」を示していた。
つまり、これは偶然の動きではなく、きちんとした“手順”のある配送ルートだということになる。
問題は、そのルートを誰が作り、誰が護っていたのかだ。
東市場の商人の一人が、自発的に協議会に姿を見せた。顔は強張っているが、目は決意に満ちている。
「俺は関わっていない。ただ……見てしまった。だから、もう口を閉じていられない」
彼の証言は、桟橋の目撃記録と一致していた。さらに、取引の符丁についても覚えがあると言う。
「それ、三年ほど前に隣領から来た中間商が使ってた。あいつらのやり口は、いつも“海”だ」
海。
この村が長年頼りにしてきた運搬路。その裏側で、別の物流が動いていたということだ。
私はふと、あの写真の人物の顔を思い出した。侍従。その背後には当然、主がいる。
隣領の小さな領主。表向きは温厚で、節度を守る人物として知られる。
だが「温厚」と「無関係」は別の話だ。
午後、桟橋周辺で見張りを始めた若者が、息を切らして戻ってきた。
「不審な足跡がありました! 昨夜のものです。船の縄も少し緩んでいて……誰かが動かした跡がある!」
ガイルと私はすぐ現場に向かった。
確かに、板の上にうっすらと濡れ跡が残っている。夜の冷気で乾くはずの時間帯に残るということは、つい先ほど使われたということだ。
「誰かが船の位置を変えたか、あるいは……荷を取りに来たか」
ガイルが言うと、監査隊の兵士は即座に周辺の捜索を始めた。
しかし、怪しい影は一つも見つからない。
足跡は桟橋の手前でぷつりと消えていた。
「……誰かが、案内役を知っている」
私は思った。
これは“単独犯の行動”ではない。
仕組みを理解した者が、昨夜の動きを封じるために事後処理に来たのだ。
夕方になる頃、協議会に密書が届いた。差出人は不明。
紙は海風に晒されたように湿り気を帯びている。
開封すると、三つの短い言葉だけが書かれていた。
『動きがある』
『南の倉庫』
『今夜は違う』
私は紙を握りしめた。
“南の倉庫”は、数年前まで穀物の一時保管所として使われていたが、今は半ば放置されている場所だ。
もし誰かが潜むなら、格好の隠れ家になる。
夜。
私たちは数名で南の倉庫へ向かった。満月が雲に隠れ、薄暗い道に影が伸びる。
ガイルが手で合図し、私たちは息を殺しながら倉庫の側面へ回り込んだ。
しかし、戸を開けた瞬間、そこにいたのは“人”ではなかった。
大きな木箱が三つ。
中を確認すると、密かに運ばれていたであろう品物が残っていた。
香辛料、古い布、そして……羊皮紙の束。
羊皮紙の上には細かい貨物番号が打たれ、見たことのない紋章が押されている。
「これ……王都の紋章じゃない」
リュシアンが低く呟く。
「隣領の圧印だ。それも、領主職ではなく“個人”のものだな。」
つまりこれは、公的な輸送ではなく、
個人の、裏取引。
私は深く息を吸い、冷えた空気が喉を刺す。
証拠はまた一つ増えた。
だが、それ以上に気がかりなことがあった。
“今夜は違う”──密書の最後の言葉。
違うとは何だ?
相手の動きか、狙いか、それとも……。
倉庫を出た時、冷たい風が吹き抜け、村の灯が揺れた。
その揺れが、これから起こる変化の予兆であるように思えた。
そして私は確信した。
これは、ただの不正取引ではない。
誰かが、もっと大きな「動き」を仕掛けようとしている。
夜が静まるほど、胸の奥のざわめきは強くなった。




