第39話『封鎖の夜明け──静寂を割る光景』
夜が明ける直前、空はまだ群青の名残を引きずっていて、風に湿った冷気が混ざっていた。
ローデンは静かだ。だがその静けさは、嵐の前の気配ではない。
むしろ──覚悟が形になった後の静けさだった。
封鎖が始まる予定の“翌朝”。
私はガイル、リュシアンとともに南門の見張り台に立っていた。農地をかすめる薄霧はうっすら金色に染まり始め、どこか幻想的ですらある。しかしその光景に浸る余裕は、誰にもなかった。
「……来ないな」
ガイルが低くつぶやく。
予想では、連盟の封鎖部隊が夜明け前には動いて南回りの交易路を遮断するはずだった。
ところが、辺りはただ静かで、人の影すら見えない。
リュシアンが腕を組んだまま、細い目で遠くを眺める。
「奇妙だな。封鎖を仕掛けるなら、もっと動きがある。前線の商隊や斥候くらいは見えていい」
「何か……あった?」
自然と、声が震えた。
すると、北側の見張りから叫び声が上がる。
「馬車です! 王都の紋章をつけた早馬が──!」
ガイルがすぐに反応し、私の前に出て剣の柄に手を置く。
「レティシア、後ろに隠れろ。状況が読めない」
「分かったわ。でも……たぶん、これはただの使者じゃない」
馬車は泥を跳ね上げながら勢いよく停止し、砂埃が舞う。
その中から出てきたのは、王都の監査局服を着た役人と、見覚えのある貴族の紋章をつけた護衛たち。
役人は息を切らしながら書簡を掲げた。
「ローデン領主代理レティシア様!
三領連盟の一部で大規模な“不正会計と横流し”が発覚!
王都監査局により、三領のうち二領の当主と補佐官が拘束されました!」
思わず息を呑んだ。
リュシアンが顔をしかめ、つぶやく。
「……俺が仕掛けた金融トラップに、思った以上に引っかかったらしいな」
役人は続ける。
「これにより、連盟内部は混乱し、封鎖計画は延期ではなく――事実上の『崩壊』とみなされます!」
その瞬間、緊張していた空気がふっと軽くなり、私たちは互いに顔を見合わせた。
「ほんとうに……崩れたの?」
「崩させたのさ」
リュシアンは肩をすくめ、にやりと笑った。
けれど、そんな安堵の中でも私は胸の奥にひとつの疑問を抱いた。
――連盟の“残った一領”は、どう動くのだろう。
その答えは、すぐにやって来た。
監査局の馬車が去った後、霧の向こうから別の一行が現れた。
今度は少人数で、旗も掲げていない。
だが近づいたとき、私は息を飲む。
「……あなたは」
黒い外套に身を包み、深く帽子を被った男。
その視線は鋭く、近づくだけで周囲の空気が張る。
帽子を外すと、灰金色の髪が風に揺れた。
「はじめまして。いや──ゲームの知識では知っているかもしれないな、レティシア嬢」
リュシアンが一瞬だけ眼を細める。
ガイルは剣から手を離さない。
男は静かに名乗った。
「俺は“アーヴェン”。
三領連盟の《最後の一領》……カーラット領の嫡男だ」
私はすぐに理解した。
この男は、封鎖を仕掛けてきた連盟側の“生き残り”。
しかし彼の振る舞いは、敵意というより──警戒と焦燥の混ざったものだった。
「敵討ちに来たの?」
私が問うと、彼は苦笑を浮かべた。
「まさか。
……俺も、連盟のやり方には反対だったんだよ。
だが止められなかった。むしろ、内側から押しつぶされるのを見ているしかなかった」
アーヴェンの声には、諦めと悔しさが滲む。
そして彼は、一歩だけ私へ近づいた。
「レティシア嬢。
カーラット領は、今にも連盟の余波で潰れる。
俺は……ローデンと“同盟を結びたい”」
風が、言葉の余韻を梳く。
ガイルが素早く前に出た。
「いきなり甘い話をするな。
敵だった相手が何を企んでる」
アーヴェンは動じない。
むしろ、真剣にガイルを見据える。
「企みなんてない。
うちはいま、どこの商会にも相手にされない。
北の公国も援助を渋っている。
ローデンだけが、俺たちに残った“光”だ」
彼は、まっすぐ私を見た。
「俺は……あなたのやり方に興味がある。
制度で領を守り、人を守り、噂も圧力も跳ね返した。
俺には、それができなかった」
その言葉に、私は胸が少しだけ痛くなった。
「でも、あなたは連盟にいた。
うちを追い詰める側に……」
アーヴェンはゆっくり首を振った。
「だからこそ、終わらせたい。
そして、あんたに頼みたい。
カーラットを立て直す“方法”を……一緒に考えてくれ」
静寂が落ちる。
霧の向こうでは朝日が強くなり、光と影が揺れていた。
そして気づく。
ローデンの包囲は崩れた。
だが次に来たのは、“新たな交渉の刃”だった。
私は息を整え、アーヴェンを見つめる。
「……話を聞くわ。
でも、同盟は簡単じゃない」
アーヴェンはふっと笑った。
「そう言うと思った」
ガイルが渋い顔でため息をつき、リュシアンは口元をわずかに上げる。
新しい朝。
新しい問題。
新しい……関係。
封鎖が消えた夜明けは、奇妙な静けさとともに、あらたな問題を連れてくるのだった。




