第25話『静かな嵐──旧知の脅威と、新しい絆』
収穫祭の余韻がまだ村に残るころ、ローデン領には一見して平穏な日々が戻ってきた。だが平穏は静かな水面のように、下ではうごめきが進むことがある。私たちはそれを知っていた――王都の余波は完全には消えず、旧勢力の影はまだ薄く村の周辺を漂っている。
ある朝、ガイルが厳しい顔で使者を連れてきた。使者の手には、古い知人の名が記された短い文書がある。読み上げられた名前に、私たちは同時に息を飲んだ。――あの伯爵家の若き当主、カール・ヴァンデール。王都会議で追及された勢力と繋がりがあると噂されていた一族だ。
「彼は表向きには引退しているが、裏ではまだ動いているらしい」リュシアンが低く言う。彼の表情はいつになく険しい。
「カールが何をする気だ?」ガイルが訊ねる。彼の手は自然に剣の柄へ伸びる。守るという反応は、もはや条件反射になっている。
使者は続ける。カールは最近、辺境への再投資を装って密かに代理人を送り込み、買収を試みているという。狙いは単純だ――ローデンの輸出路を掌握し、再び利権を形成すること。だが今回の決定的な点は、彼が“名目上の投資”の裏で、地元の有力者を取り込もうとしていることだった。
「……なるほど。つまり、経済での浸食だな」アレンが静かに言った。彼は公国の外交通として、数々の駆け引きを見てきた人物だ。表面に見えない手が伸びれば、領の自立は脆くなる。だが、私たちは今回、そう簡単に引き下がるわけにはいかない。
まずは情報を固めることから始めた。リュシアンの情報網が動き、カールの代理人の名簿や接触先の補足が次々と出てくる。驚くべきことに、彼らの一部は――かつてローデンの復興に協力してくれた中年の商人、あるいは外部から来た職人の中に紛れていた。彼のやり方は巧妙で、善意を装って近づく手口だ。
「裏切りはいつも、馴染みの顔から始まる」リュシアンが吐き捨てるように言う。だがその口ぶりの裏には、深い哀しみも混じっていた。かつての協力者が金で動くのを見るのは、彼もまた堪えたのだろう。
私は冷静に動かなければならない。まずは当該の者たちと公的に接触し、事実確認を行った。表向きは感謝と連携の申し出だが、会話の中の微かな矛盾を拾っていく。聞き取りの間、ガイルはじっと横に立ち、必要ならば剣を抜く準備をしている。が、それでも彼は礼節をわきまえた騎士である。
そのうち、一人の商人が動揺を見せ、ついに代理人からの接触を認めた。理由は単純だ。借金と家族の安全――カールの手が差し伸べた“解決”は、短期的には魔法のように見える。しかし代償は、未来の自由と自立だ。彼を責めるより先に、私は選択肢を与えた。
「ここで正直になってください。あなたはローデンを売るつもりですか? それとも、もう一度この土地と人々のために働きますか?」
商人は顔を上げ、震える声で答えた。思いがけず、涙を見せる者もいる。事情は重いが、私は説得でなく提案を出した。借金の一部は公的基金と黒衣商会の救済枠で調整し、代わりに彼らには真正な仕事と信頼回復の機会を与える。過去を裁くより、未来を作るほうがこの領地には必要だ。
だが、カール側は出方を変えてきた。表面での買収では結果が出ないと判断したのか、圧を強めるために“経済的妨害”以外の手段を検討し始めたという報が入る。隣接する小領の道が封鎖され、交易人の通行が妨げられるようになった。混乱を招けば、ローデンは再び孤立しやすくなる。
リュシアンは冷静に次の手を提案した。彼は情報屋としてだけでなく、時に正面から相手を揺さぶる術も持っている。「我々は彼の後ろにいる“資金源”を暴く。金は論理のようなもので、流れを止めれば勢力は萎む」――その言葉に従い、我々は証拠を積み上げていった。
一方で、村の民心を固める必要もある。疑心暗鬼が再び広がれば、外敵の思う壺だ。ガイルは昼夜を分かたず巡回し、噂の発生源を摘み取り、民の前で率直に話をすることで信頼を維持した。人々は徐々に戻り、泥だらけの鍬を握りしめる。その姿を見て、私は確信する――この土地で生きる者たちの根は深い。
ある夜、リュシアンの情報部隊が動き、ついに決定的な証拠を掴んだ。カールの代理人が資金を受け取り、王都の不透明な交渉者へと中継していた記録――それは彼の一族だけでなく、王都に残る旧勢力の一角を示すものだった。証拠は慎重に扱われ、裁判に持ち込む準備が整えられた。だが同時に、我々は公的に動く際のタイミングを慎重に図る必要があった。誤れば内紛に発展する。
準備中、カールは最終的な手段として、「恐怖」で忠誠を得ようとした。夜中に村道沿いの小屋が燃やされる。幸いに人的被害はなかったが、火の後片付けをしながら、母親が震えた声で言った。
「また誰かが来て、私たちを脅すのではないかと……」
胸が痛む。ローデンの人々を盾にするやり方は卑劣だ。だが私たちは報復に走るのではなく、次の一手で確実に彼らの策を封じることを選んだ。リュシアンは証拠を用い、アレン経由で公的な召喚を手配する。王都側にも慎重に働きかけ、旧勢力の関与を明らかにするための外部監査と裁判手続きを開始させたのだ。
裁判の場は静かで重かった。王都の公開の場で、カールの代理人とその後ろ盾の商会幹部が証言を求められる。リュシアンが確保した証拠と、我々が集めた現場の証言――それらが一つずつ提示される。カールは表向きの威勢を保とうとしたが、証拠の前では言葉の力は限られていた。
判決は厳正だった。関与の明白な者たちは罰を受け、一部の資金は没収された。カール自身は国外追放となり、その勢力は大きく削がれた。村に戻った私たちを迎えたのは、ほっとした顔と小さな拍手だった。だが、勝利は完全なものではない。旧知の脅威が無くなった後にも、夢破れた者たちの再起支援が必要だと私は思った。
私は公的資金とリュシアンの予備金で復興支援を打ち出した。裏切られた者たちには更生の場を提供し、被害を受けた家には優先的に補償をした。過去を断罪するのは容易いが、それだけでは未来は作れない。赦しと再生の道筋を示すことが、私の志でもある。
事件が一段落した晩、四人で屋敷のテラスに座った。満天の星を見上げ、静かに杯を傾ける。疲労の色は濃いが、その背後にあるのは確かな絆だ。
リュシアンが煙草の灰を落としながら言った。
「やれやれ、やっぱり面倒な奴らはどこにもいる。だが、君たちの領地は強くなった。外敵が来ても、ここは立ち向かえる」
ガイルは黙って私の隣に寄り、無言で手を握る。アレンは遠方へと戻る準備をしているが、言葉で祝福してくれる。私はふと微笑み、そして静かに誓う。
「ローデンはもう、昔のように流される場所じゃない。ここを守る人がいて、助け合う仕組みがある。私たちはこれからも、平穏を作り続けます」
夜風がそっと頬を撫でる。嵐は去ったが、静かな警戒は続く。だがそれでも、私は心底から思う。旧知の脅威を乗り越えた今、ローデンには新しい絆が生まれたのだと。壊れかけた信頼を繋ぎ直し、弱さを強さに変える。その営みが、この領地の本当の力なのだ。
朝が来れば、また鍬の音が鳴る。守る者たちは今日も働き、笑い合い、未来を耕す。静かな嵐を越えた後の朝は、いつもより少しだけ優しい。私はその優しさを胸に、明日へと向かうのだった。




