第19話『余波の代償──傷と再建、そして告白の気配』
決戦の翌朝。ローデン領にはやわらかな陽射しが戻っていたが、そこかしこに戦いの跡は残っている。焼けた納屋の煤、修繕中の塀、そして包帯を巻いた兵士たちの肩越しに見える畑の緑が、痛みと希望を同時に伝えていた。
私は早朝から回診と会議の連続だ。負傷者の手当て、被害を受けた家屋の修理手配、そして流通の再構築。リュシアンは黒衣商会の残務整理に奔走し、アレン王子からは公国の支援物資が町役場に届いていた。ガイルは騎士団を率いて巡回し、村人たちを励ましている。
「被害状況はほぼ把握できました。復旧に三週間、完全に立ち直るには季節が一つ必要でしょう」リュシアンが報告書を差し出す。彼の顔には疲労が濃いが、眼差しは冷静だ。彼の働きがどれほど大きかったかは、今更言うまでもない。
「季節一つ……それでも、皆がこうして働いてくれている」私は村の広場で、子どもたちが積み上げた石を笑顔で崩しているのを見て心がほっとする。小さな手が泥にまみれて笑う姿は、何より力になる。
だが、心の余韻は簡単に消えない。戦いがもたらしたのは目に見える損失だけではない。村の古い人間関係や、いつもそばにいた「当たり前」の安心が少しずつ揺らいだ痕跡がある。疑心の種を撒かれた者はまだ不安を抱え、やり場のない怒りを向けることもある。
夕刻、私は小さな面談を続けていた。ある中年の女性は、夫が戦闘で負傷し、収入が途絶えたために家計が苦しいと涙ながらに訴えた。隣の若い夫婦は、家屋修理の優先順位が不公平だと疑念を抱いていた。私は一つ一つに耳を傾け、可能な支援策を提示する。言葉で解決できないこともあるが、声を聞くことは何より重要だ。
その夜、屋敷の食卓で三人が集まった。ガイルはいつもの粗野なたたずまいだが、今日の食事は無口で味わっている。それでも、彼の手は時折私の指に触れ、無言の安心を伝えてくる。リュシアンは書類の整頓をしながらも、時折見せる笑顔が柔らかい。アレン王子は遠方の公国との連絡調整を終え、ほんの少しだけ疲れた顔を見せていた。
「今日は礼を言いに来たんだ」アレンが切り出す。彼は静かに席を立ち、私に一枚の地図を差し出した。そこには交易路の改良案と、新たな倉庫配置の草案が描かれている。公国の技術者たちが協力して作成したものだという。
「これがあれば、封鎖への耐性も上がる……ありがとう」私は言葉を返す。確かな援助は、疲弊した心に灯る暖炉のように優しい。アレンはほほえみ、しかしその瞳には何か別の色も混じっているように思えた。
ガイルは食後に外へ出ると言い、私にそっと耳打ちした。
「来い。ちょっと散歩だ」
外は冷たい夜風が吹いていた。星が少し高く、静かな夜。ガイルは無口に歩き、やがて人目が少ない小さな丘の上で足を止めた。月明かりが二人の影を長く伸ばす。
「今日も、よくやった」彼の声は低い。私はただ微笑んで頭を下げる。ガイルの表情に、いつもの強さと同時に疲れが見えた。戦いが人の体だけでなく心を削ることを、私は痛感している。
「ガイル、あなたは本当に私の盾でいてくれるわね」
「当たり前だ。お前が笑ってるのが、一番安心だ」
その言葉に、私は胸が温かくなった。彼の真っ直ぐな溺愛は、時に独占的でありながら何よりも救いになる。一瞬の沈黙の後、彼がぽつりと言った。
「でも……お前が王都で色んな人と話してるのを見ると、ちょっと悔しい」
私は軽く笑いながらも、胸がきゅっとなるのを感じた。嫉妬は愛の裏返しだと、彼は言わずとも教えてくれる。私はそっと彼の手を取り、指先で彼の掌を包む。彼はぎこちなくも嬉しそうに笑った。
一方、リュシアンとは夜遅くまで資料の整理をしていた。彼は酒を一杯傾け、無骨な言い方で切り出す。
「お前、あいつらから色々貰ってるみてえだな」彼はアレンの支援を指す。私は頷くと、リュシアンはふっと小さく笑った。
「俺は金で支援してるわけじゃねえ。だが、お前がここを続けるなら、俺はできることをやるだけだ」
彼の言葉はまっすぐで、少しだけ胸を刺す。リュシアンの溺愛は複雑だ。保護欲の裏にあるのは、彼なりの欲と責任だろう。彼の背負ったものが大きいほど、私たちの間の信頼も深くなる。
数日後、村の再建は着実に進んでいる。焼けた屋根には新しい板が乗り、修繕のための職人たちが連日働いている。学校の仮設教室が組まれ、子どもたちは再び机に向かう。アレン公国からの技術者が、保存食の保存法を村人に教える姿に、彼らの顔が明るくなる。
そんなある午後、私はガイルと二人で木陰に座っていた。風が枝葉を揺らし、遠くで子どもたちの声がする。ガイルがぽつりと言った。
「なあ、レティシア」
「はい?」
「お前、これからも……ここにいるか?」
質問は簡潔だが重い。私は一瞬戸惑いながらも、深呼吸して答える。
「ここが私の居場所になった。ローデンを守るために、私はここにいる」
彼は短く笑って、私の手を握りしめた。暖かさが伝わる。だが、その直後、私の胸に小さな波紋が立った。告白の気配だ。ガイルの言葉の奥に、もっと深いものが潜んでいるのを感じたからだ。
夜、屋敷の書斎で一人、私は日誌を書いていた。今日の出来事、村の回復の進捗、そして三人の男たちへの感謝と混乱する気持ちを綴る。ページの下の方に、ふと一行だけ付け加える。
「ガイルの言葉は、いつか答えを求めるだろう。私も――もうすぐ答えを用意しなければならないかもしれない」
窓の外、夕焼けがやわらかく村を染める。復興は肉体の労働だけでなく、心の整理でもある。誰かを愛し、誰かに守られ、そして自分が誰を守るのかを決める。それは簡単なことではないが、確かに訪れるべき瞬間だと私は思った。
明日はまた忙しい一日になる。だが、どんなに忙しくても、私の胸には静かな確信がある。ローデンは再建の途中にあって、私たちはその先頭にいる。傷は残るが、癒える力も持っている。告白の気配は甘く、少し怖い。だが私は、そのときが来たら向き合う覚悟がある。




