第13話『夜襲の影──王都の狼煙と、ガイルの剣』
夜風が、ローデン領の丘を吹き抜けた。
いつもなら穏やかな春の風。だが、その夜はどこか冷たく、張りつめた匂いを帯びていた。
私は帳簿の整理をしていたが、窓の外に漂う異様な気配に気づいた。
遠くの森の向こう――赤い光。
「……火?」
胸がざわつく。すぐに立ち上がり、廊下へ飛び出した。
「ガイル! 南の森が――」
「見えてる。すでに騎士団が動いてる」
彼はいつものように冷静な顔をしていたが、腰の剣をすでに抜いていた。
その刃は月明かりを受け、冷たく光る。
「ただの山火事じゃないな。煙の上がり方が不自然だ」
「……誰かが、火を放った?」
ガイルが短く頷く。
「黒衣商会の倉庫を狙った放火の報復だろう。ローデンの物資を断つつもりだ」
リュシアンの名が脳裏をよぎる。商会の“清算”によって敵を作った彼――その矛先が、今こちらへ向いたのだ。
「私も行きます!」
「駄目だ、危険すぎる」
「領主代理として、見届ける責任があります!」
私の声は震えていたが、意志は揺るがなかった。ガイルは短く息を吐き、やがて諦めたように頷いた。
「……離れるなよ。絶対に」
「はい」
森の手前にはすでに兵士と騎士たちが集まっていた。
燃え広がる炎の奥から、黒い影が蠢いている。
それは野盗の群れに見えたが、ただの盗賊ではない。動きが統率され、武器が揃っている。
背中に刻まれた刻印――王都の一部貴族の紋章を模したものが、ちらりと見えた。
「……やはり、裏で繋がっている」
リュシアンが低く呟く。彼はどこかから現れ、すでに黒い外套を翻していた。
「この襲撃は警告じゃない。“排除”の第一段階だ」
ガイルが一歩前へ出る。
「ここは俺が行く。お前たちは住民を避難させろ」
「待って、ガイル!」
「大丈夫だ。俺は剣を握るために生まれた」
彼は振り返りもせず、燃えさかる森の中へ駆け出した。
その背中を見送るしかなかった。胸の奥が痛む。怖かった――彼が、帰ってこないような気がして。
火の粉が夜空を染め、戦いの音が響く。
剣戟、怒号、そして鉄の匂い。
私は領民の避難誘導をしながら、耳の奥でその音を感じ取っていた。
(ガイル……無事でいて)
やがて、炎の向こうから一人の影が現れた。
それは、黒い覆面を被った敵の首領――いや、“雇われた”戦闘員だ。
鋭い双剣を構え、静かに言葉を発した。
「アーベントハインの娘を、生かして返すなとの命だ」
私の手が止まった。その瞬間、背後で鋭い音。
「その命、聞こえなかったことにしてやる」
ガイルの声だった。
彼は炎の中から現れ、血と煤にまみれながらも、鋭く剣を振るう。
一閃――双剣の片方を弾き、もう一撃で相手の面布を裂いた。
火花が散り、男が呻く。
「辺境の騎士、か……!」
「ローデンを侮った報いだ」
戦いは一瞬だった。敵が崩れ落ち、周囲の賊たちが退散する。
ガイルは剣を下ろし、肩で息をした。
私は駆け寄る。
「ガイルっ!」
「無事か……怪我は?」
「あなたこそ! 血が……」
「かすり傷だ。平気だ」
そう言って笑うが、腕から血が滴っていた。私は慌てて布を巻く。
「もう、無茶ばかりして……!」
「お前を守るためだ。……それに、こうして叱られるのも悪くない」
「もうっ……!」
涙がにじみ、彼の胸に額を押しつけた。
炎の光が彼の横顔を照らす。
戦いの終わりとともに、風が吹き抜けた。火の粉は消え、静寂が戻る。
夜明け前、リュシアンが報告を持ってきた。
「襲撃者の残党を追ったが、逃げられた。だが、奴らが使っていた武具の刻印から、王都の某商会が資金提供していると判明した」
「つまり……この襲撃は、政治的な意思のもとに動いたもの」
「そうだ。おそらく、“君を再び王都に引きずり戻すため”の布石だろう」
私は目を閉じた。心の中に恐れがよぎる。
だが、同時に――燃えるような意志も生まれていた。
「……もう、逃げません。王都がどんな手を使おうと、私はローデンを守ります」
「そのために、どう動く?」リュシアンが問う。
私は静かに答えた。
「まずは防衛網を整えます。そして、王都の腐敗を公に晒す。彼らの“真実”を――私の言葉で暴きます」
リュシアンが笑う。
「そう言うと思った。なら、俺は情報を集めよう。表も裏も、全部だ」
ガイルが隣で静かに頷く。
「戦いになるなら、俺は剣を振るう。だが、今はお前の隣に立って戦う。それだけだ」
私は彼の手を握り返した。
「ありがとう、ガイル。あなたがいる限り、私は負けません」
朝焼けが、焦げた森を照らす。
燃え残った木々の間から、新芽が芽吹いている。
――たとえ夜襲に焼かれようとも、希望の種は残る。
そして私は心に誓った。
次に燃えるのは、この腐った王都の嘘だ。




