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第12話『交渉の代償──王都の裏で動く黒い影と、リュシアンの決断』

王都からの帰途、馬車の中は不穏な空気に包まれていた。学術会議の小さな勝利を手土産に戻ったはずなのに、リュシアンの顔はいつもより硬い。黒い外套の裾が座席に触れるたび、重苦しい音が小さく響く。


「なにか、あったのか」

ガイルが前方の道を睨むように言う。彼の声には警戒が滲んでいる。


リュシアンは窓の外を見ながら、低く笑った。

「王都の裏通りは、面白い噂が尽きない。だが今回は真面目だ。黒衣商会に対する圧力が強まっている」


「圧力?」

「王都の有力商会、何人かの貴族…彼らは我々の取引を邪魔しようとしている。ローデンの商品が王都で売れ始めたのが気に入らないらしい」


私の胸がギュッと締め付けられる。

「でもリュシアン様は契約を結んでくださったじゃないですか。やめる理由なんて…」


リュシアンはこちらを向き、真面目な顔で言った。

「問題は“代償”だ。彼らは商会のある一部の取引先を切らせるよう圧力をかけている。抵抗すれば、黒衣商会の利益が大きく削られる。つまり、ローデンとの長期的な契約は危うくなる」


「そんな……」

ガイルが拳を固める。怒りが滲む声音だ。

「ふざけるな。俺たちの努力を金で押し潰すつもりか」


リュシアンは静かに首を振った。

「俺も選択を迫られている。黒衣商会は利益を優先する組織だ。だが、君たちと組んで得た信頼は、単なる損得勘定を超える。問題は、損得を天秤にかけたとき、どちらを取るかだ」


馬車が小さく揺れる。私は言葉を探した。

「リュシアン様、私たちはローデンの未来のために動いています。もし代償を払ってでも支援していただけるなら、私たちは…」


リュシアンは小さなため息をついて、ふと笑った。

「君は変わらないな、レティシア嬢。損得より人を見る。それが君の強みだ。だが、商会の連中を説得するのは簡単ではない。だから、俺が“個人的な決断”をする」


その言葉に、ガイルの肩の力が抜けるように見えた。私は問いを放つ。

「“個人的な決断”って?」


リュシアンは視線を暗くし、低い声で明かした。

「黒衣商会のある部門――“影の路”と呼ばれるルートがある。そこは合法と非合法の境目を渡るものだ。俺は今、その路を一部断つことにした。商会の短期的利益を切り捨て、政治圧力に屈さない“清算”を実行するつもりだ」


車内が静まり返る。リュシアンの表情には、決意と覚悟が滲んでいた。

「それは、商会の怒りを買う。彼らからの反発は、我が商会にとって一大事だ」


「それでも……?」

「それでも、だ」リュシアンの手がぎゅっと机を掴んだ。「俺は金のためだけに生きてはいない。ローデン領が滅びるのを看過できない。君たちの“価値”は金に換算できない。俺はここに賭ける」


――リュシアンが、自らの商売の一部を切り捨てると言った。

私は胸が熱くなった。黒衣商人として冷徹だと思っていた男の、予想外の“情”だ。だが同時に、その代償の大きさが怖い。


三日後、黒衣商会の本部は騒然としていた。リュシアンの宣言に不満を抱く理事たちが集まり、会議は白熱する。だが彼は譲らなかった。幹部の一人が脅しとも取れる言葉を吐く。

「君が指揮を取るなら、商会は沈没だ。私腹を肥やす連中が黙っていない」


リュシアンは冷たく笑った。

「ならば、俺は沈む覚悟もある。だが、沈む前に一つ約束しよう。ローデンを守れるだけの時間を稼ぐ。その間に彼らが自立できるように、我々は人的支援とノウハウを移す」


そこに、私たちから届けられた一通の書簡が届く。ローデンの学校建設の進捗、農民たちの自主運営体制、そして地元協同組合の初期運営マニュアル――小さな成果が綴られていた。リュシアンはそれを読み、目を細めた。誰もが理解できる結果だ。


「ならば、やろう」彼は短く言い放った。

その瞬間、幹部席から失望と怒りが入り混じったため息が漏れた。だがリュシアンは覚悟を決めた顔で、次の手を打つ手配を始める。


しかし、代償はすぐに現れた。黒衣商会の“影ルート”を断つという決断は、王都の裏社会と癒着する勢力からの報復を招く。夜、リュシアンの手の者の一人が消息を絶ち、ある倉庫が火を放たれる。被害は最小で済んだが、警告は明確だった。


「やはり、甘くはなかったか」ガイルが歯を食いしばる。

「覚悟はしていた。だが、これで終わるとは思わない」リュシアンは静かに応じた。彼の金の瞳は、いつになく鋭く光っている。


私は手を握りしめた。

「私たちにできることは?」


リュシアンは短く言った。

「情報共有と、防御策。そして、ローデンの自立を急ぐことだ。あとは…君たちの“信頼”だ。商会が本気で彼らを守ると示すためには、我々が公に協力する必要がある」


空気は重いが、どこか温かい。利害を超えた連帯がそこに生まれている。リュシアンの背中を見て、私は確信した。彼が決めたなら、この戦いは単なる取引を超えた“正義”になるかもしれない、と。


翌朝、ローデン領の空は澄んでいた。だが私たちの手の内は忙しく回る。学校の教員を増やし、生産ラインを分散し、情報網を強化する。村人たちもまた、心を引き締めて動いてくれた。彼らの協力なしには成し得ない仕事だ。


夜、屋敷でリュシアンと二人で酒を酌み交わす。彼は静かにグラスを掲げる。

「俺の決断は、賭けだ。負ける可能性はある」

「それでも選んでくれて、ありがとう」私は杯を合わせた。


彼はわずかに笑った。

「謝る必要はない。俺にとっても、面白い賭けだ。ローデンが勝てば、商会の評判も新たに生まれる。負ければ…それはその時だ」


その言葉は重いが、どこか希望に満ちていた。夜風が窓を叩き、遠くで狼の遠吠えが聞こえる。戦いは始まったばかりだ。代償を払った者たちの決断は、これからどのような運命を呼び寄せるのか――。

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