第7章 霧の果ての村
翌朝。
エリアナの足取りは重かった。
一晩中、彼女は薄い作業用ジャケットを敷いて固い地面の上で眠ったのだ。
木々の向こうから朝日が差し込む頃、彼女は痛感した。
「うわぁ……背中がバキバキ。これ続いたら、マッサージ師が必要だわ……」
前を歩いていたリュラが振り返る。
「すぐ慣れるわ。人の体は適応が早いもの。」
エリアナはため息をつく。
「体はね。でも心は無理。安っぽいマットレスが恋しい……」
朝の道は巨木に囲まれ、葉は淡い緑光を放っていた。
まるで自ら発光しているかのように。
エリアナは右へ左へと首を振り、半ば感嘆しながらも怯えていた。
「なんかアニメの世界そのまんま……光る木、怪しい霧……まさか妖精とかドラゴンまでいないよね?」
リュラは平然と答えた。
「いるわ。」
「……はぁっ?! 冗談でしょ?!」
リュラは薄く笑うだけで、それ以上は何も言わなかった。
――村への到着。
数時間後、森を抜けると小さくも美しい村が広がっていた。
木造の家が並び、藁ぶき屋根から白い煙がゆらゆらと昇っている。
遠くには見たこともない植物が一面に咲く畑があった。
「ルーエンヴェイル村へようこそ。」とリュラ。
エリアナは苦笑して言った。
「名前は素敵だけど……お願い、コンビニ的な店があるって言って。」
「コンビニ?」リュラが眉をひそめる。「それは……お店のこと?」
「そうそう! ……あ、でもここ異世界だった。」
エリアナは頭を抱える。「きっと食べ物もヤバいんだろうなぁ……」
村人たちは物珍しそうに彼女を見つめた。
青い清掃員の制服、企業ロゴの消えかけた胸ポケット。
異様なのは明らかだった。
「見て、あの服……変わってるね。」
「光る棒を持ってるよ!」
エリアナは顔を赤くして俯く。
(最悪……完全にコスプレイヤー迷子だ……)
――最初の出会い。
リュラはエリアナを小さな宿へ案内した。
中は木と香草の匂いに満ちていた。
女将らしき女性が笑顔で迎える。
「いらっしゃい、リュラさん。それに……お連れさんは?」
リュラが軽く頷く。
「遠いところから来た人です。」
エリアナは焦って付け加えた。
「めっちゃ遠いです。もう……別の世界レベルで。」
自分で言ってすぐ口を塞ぐ。
女将はクスッと笑った。
「疲れたでしょう? 座って。食事を用意するわ。」
(食事! キタ!)
エリアナの頭の中で警報が鳴る。
運ばれてきたのは湯気を立てるスープ。
見た目は紫色のニンジンのような野菜と、白い肉片。
「これ……食べて平気だよね?」
リュラはもう口に運んでいる。
「もちろん。」
恐る恐る一口――。
「な、何これ!? めっちゃ美味しい! チキンスープっぽいのにコクがある!」
「すぐに慣れるわ、この味にも。」とリュラ。
エリアナは微笑んだ。
「うん……悪くないかも。ご飯が美味しいなら、生きてける気がする。」
――市場での赤面。
食後、二人は村の市場へ。
発光する果物、手織りの布、小動物まで並ぶ不思議な光景。
「ここ、祭りみたい! 写真撮りたいけど……あ、スマホ死んでたんだった……」
露店の人たちが話しかけてくるが、エリアナは困り顔で断った。
「ごめん、お金ないの。電子マネーしか……って言っても通じないか。」
意味不明な単語に村人たちは首をかしげる。
エリアナは顔を覆った。
(ああ、恥ずかしすぎる……)
そこへ子供たちが近寄ってくる。
「お姉ちゃん! その光る棒、もう一回見せて!」
「棒? これ……モップのこと?」
「うん!」と少年。
リュラが目で合図する。――やってみろ、と。
エリアナは深呼吸してモップを握り、呟いた。
「お願いだから、変なこと起きないでね……」
モップが白く柔らかな光を放った。
子供たちは歓声を上げて走り回る。
エリアナは硬直し、真っ赤な顔で立ち尽くした。
「うそでしょ……完全に大道芸人扱いじゃん……」
けれどその笑顔を見て、胸の奥がほんのり温かくなった。
(……悪くないかも。)
――笑顔の裏の影。
夕暮れ。
宿の前でエリアナは紫と金が混ざる空を見上げた。
「ねえ、リュラ……。もし私が“光の守護者”って本当なら……もう元の世界には戻れないの?」
リュラは沈黙のあと、静かに言った。
「まだ選べるわ。でも、世界の亀裂は日ごとに広がっている。
いつか――もう拒めなくなる日が来る。」
エリアナは唇を噛む。
帰りたい。でも……さっき見た子供たちの笑顔が頭から離れなかった。
その時、悲鳴が響いた。
「モンスターだ! ルーエンヴェイル東の畑から来たぞ!」
人々が逃げ惑う。
「また!? なんで私がいるときばっかり!?」
リュラは剣を抜き、エリアナを見据えた。
「今がその時よ。逃げるか――戦うか。」
エリアナはモップを握りしめる。
心臓がうるさいほど鳴った。
(逃げたい……でも、みんなが傷つくのはもっと嫌だ。)
「信じられないけど……いいわ。行こう、リュラ。」
遠くから獣の咆哮が響く。
夕空が黒く染まり、村を包むように霧が広がっていった。
エリアナの本当の冒険は、今始まったばかりだった。




