雨が降る前に、君がいる
喫茶店を長く営業していると、奇妙なお客様に遭遇することがある。
そのお客様は、決まって、雨の降る直前に店に来て、ブラックコーヒーを一杯注文する。
そして、雨が止んだら帰るのだ。
梅雨の時期は連日来ることもあれば、快晴が続く日は来ない日もある。
マスターはそのお客様のことを不思議に思っていたが、何故雨の直前に店に来るのか、質問しなかった。
お客様への詮索はしない、マスターの心に決めたルールだった。
その日も雨の予報があった。これはもしかしたら来るかもしれない。そう思っていると、やっぱり来た。お客様は、ぶっきらぼうに注文する。
「ブラックコーヒーを一杯」
「かしこまりました」
しばらくして、コーヒーの匂いが漂う。
提供すると、お客様は味わうように、コーヒーを一口ずつ飲んでいく。
その飲み方が、マスターは好きだった。
本当にコーヒーが好きなように見えた。
その日は店の定休日だった。マスターは長らくサボっていた、店の定期点検を実施することにした。
電気設備会社に連絡して来てもらう。しばらくして、つなぎの制服を来た男性が来た。
「今日は、よろしくお願いします」
マスターがそう言うと、男性は軽く頭を下げて、
「こちらこそお願いします」
と、言った。
店内の点検は小一時間ほどで済んだ。
しかし、男性が奇妙な顔をして、マスターにいう。
「あなたの電源系統のログに、奇妙なデータが混じってますよ」
でも、心当たりなんて、ない。
マスターはそれが調べれる会社を男性に教えてもらった。請求書を書いて、男性は去っていった。
雨の予報があるので、またあのお客様が来た。
コーヒーを一杯頼んで、ゆっくりと飲む。
その横でマスターは電話で、電気系統を調べられる会社に依頼をしていた。
それがお客様の耳に入ると、お客様の顔が少しだけ曇った。
程なくして、また定休日に、依頼した会社の人が来た。まだ若そうな男性だった。
「それじゃあ、調べますねー」
軽い調子でそう言うと、電気系統を弄り始める。
マスターはそれを黙って見つめていた。
しばらくて、原因が分かったようで、男性は動きを止めた。
マスターに向かって言う。
「データについてなんですけど、これ、雨の降る前に必ず発信してますね。多分、アンドロイドだと思います。お客さんの中にアンドロイドがいるんじゃないですか」
マスターはすぐに、無口はあのお客様の姿を思い浮かべた。いつも、白いシャツにズボンを履いている、あのお客様を。
とてもアンドロイドには見えなかった。
「原因が分かってホッとしました。ありがとうございます」
マスターがそう言うと、男性は調子良くいえいえー、と軽く声を上げ、請求書を書いて去っていった。
再び雨の予報が出た日、あのお客様が現れた。
お客様はいつもの席に座らず、真っ直ぐにマスターを見つめた。
「わたしがアンドロイドだって、知りましたか」
マスターは頷いた。
「そうですか」
お客様は、少し表情が陰って、俯き、徐に席に座り、マスターを見上げた。
「少し、長い話になるんですが、聞いて貰えませんか?」
マスターは微笑んだ。
「もちろんです」
「わたしの持ち主が、あなたのコーヒーを愛していて、雨が降る前に飲むのが習慣だったんです。わたしはそれをなぞっているだけ」
アンドロイドの目線が微かに揺れる。
「主人のよすがにすがっているだけなのです」
人間しか見えないアンドロイドはそう言って、自身のUSBを差し出した。
「もう、わたしは廃棄処分になってしまう。この感情ログファイルをあなたに預けたいんです」
マスターは黙ってそれを受け取った。それが彼の救いになると思ったから。
「今まで美味しいコーヒーをありがとうございました」
お客様が会釈する。
マスターは微笑んだ。
「またのご来店をお待ちしています。たとえ、魂だけになったとしても」
アンドロイドは震えた声で返事をした。
「わたしにも魂があると…?」
マスターはしばらく何も言わず微笑み、頷いた。
「信じています。例えそれが虚構であっても」
アンドロイドは首を振り、上を見上げた。
そしてマスターの方を向いて、微笑んだ。
「また来ます」
「はい、また雨の匂いのする頃に会いましょう」
そして、カランと、ドアが開かれ、お客様は去っていった。
マスターはUSBを、子供の頃、宝箱に宝物を入れたときのように、カウンターの引き出しにしまった。
マスターはそっと、USBに語りかけた。
「またのご来店お待ちしています」
窓の外では、雨が晴れ、虹が空に橋を掛けていた。