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寿命管理課アンザイの手記

作者: きんえん


■ アンザイ


「人間の仕事で最も無駄な仕事は教師だね。あれは実に滑稽だねぇ、無から虚無が生み出されていると言うか」

「そんなことないですよ」

 御浦先輩は絶対に作業をしている様子のない動きでマウスをカチカチと鳴らし、笑った。

「そうかな。だって人間が人間に物を教えてるんだぜ。犬が犬にお手を教えていたらどう思うのさ」

「可愛いです」

「人間だったら最悪だよ。可愛くもないし。なんかさぁ、犬が犬にお手教えてるのと同じにしか見えないんだよねぇ」

 なんて穿った人なの、と喉まで出かかったが、呑み込んだ。この職場はこんな人ばかりなのだ。いちいち反応してはいられない。

「じゃ、アンザイちゃんは何が無駄な仕事だと思うんだ」

「この世に無駄な仕事なんてないですっ」

 御浦先輩は鷲鼻をふん、と鳴らして明らかに私を嘲った。


 ■ 倉橋


 俺の同僚は断るって選択肢が頭に無いのか、と一七時二十分、教頭から数冊のファイルを押し付けられている佐々木を見ながら一人ごちた。もうこの学校に赴任してから数年目になろうというのに、学生でも十分通用しそうな童顔と、蚊の墓でも作りそうな勢いで柔和な性格のせいか、彼は信用はされど威厳とは全く無縁の男だった。不幸な事に仕事の要領は良くどんな量の仕事でも期日までには必ず仕上げてしまうため、実習生にすらも口コミで評判が広まってしまう始末。誰か他の競合他社でも現れてくれれば良いが、これも不幸な事に新規参入の兆しはここ二年ほど無い。かく言う自分も、彼を助けるわけでもなく自分の仕事に向かう。多分、この職員室にいる人間全員がそうだろう。

「いつもいつも仕事押し付けられてさ、たまには断ればいいのに」

「じゃあ倉橋先生、手伝ってくださいよ」彼は俺が絶対に手伝わない事を知っているため、これはお願いではなく相槌だ。

「自分の生徒にさ、向き合う時間?に充てた方が有意義なんじゃないの」

 教師にも色々なタイプがあるが、自分は過度に生徒と干渉しないようにしていない、世間一般からすれば「冷たい」タイプの教師である自覚がある。こちらだって自分の人生を生きるのに精一杯である、というのが自論だ。そんな俺の言葉に、うーん、と佐々木は唸る。

「僕に仕事を頼んでくる先生方も、もしかしたら大事な人のために時間を充ててるのかもしれないですし」

 佐々木の赤いボールペンが『余命宣告された後も最期まで人生を生きていてすごいと思った。自分もいつ死ぬかわからないと思って毎日すごしていきたい』と書かれたふり返りカードに花丸をつけ、その下に「先生もそうしたいな」とコメントを付けた。『明日への扉』だ。今日自分の道徳の授業でもそれを扱ったことと、カード点検が終わっていない事を思い出した。

「いつ死ぬかわからないから、なるべく人の役に立ちたいじゃないですか」


 ■ アンザイ


「人がいつ死ぬかは正確に言えば決まっていないけど、まぁ、決まっているとも言えるんだ」

 御浦先輩は仕事を教えるのはとても上手だが、こういった冗談が分かりづらい。「冗談じゃないって」先輩は不満げに口を尖らせた。

 雲一つない冬晴れ。会話に困ったらまず天気の話題を口にするタイプの私は、極度に寒い日と暑い日がありがたかった。寒い、暑い、と言っておけばとりあえず会話の空白を埋めることが出来るからだ。横並びで歩く私たちの目の前をネイビーカラーのダッフルコートを着た男子高校生が自転車で颯爽と通り過ぎた。「寒くないですか、今日」と私は試しに言ってみたが、薄手のワイシャツ一枚の御浦先輩は腕をひらひらとさせ、意味がわからない、と言いたげに薄い唇を歪ませた。

「まぁ、冗談ですけど」

「いいか、人間気分が抜けない君のために僕がわざわざ現場に研修の研修をしにきてあげたんだからな、まず君は寒くない。眠くない。疲れない。この研修中、不眠不休で働いても君は全くもって問題がない」

 睡眠欲がなかろうときちんと毎晩布団に入って横になっている私を知ってか知らぬか、「寝坊しなくて済むのは大変ありがたいよねぇ」と言った。本当に全く問題がないから、困りものである。


 命を失ってからも労働があるなどと知れば、人間はもっと死を回避しようと努力するのではないか?と疑問に思わずにはいられない。


 どうやら一度死んだらしい私は、現在アンザイという名で寿命管理科新米職員として働いている。

 らしい、というのは自分が死んだ理由や生前の記憶が酷く曖昧なためと、いわゆる「あの世」であろうこの世界があまりにも人間の世界との齟齬がなさすぎるせいである。

 長い夢から醒めたと思ったら、「今日からここで面倒みてもらってね」と言われ、不眠不休の職場でなぜかパソコンのような機械で表の作り方を教わっていた。あまりにスピーディーなキャリアアップに、ショックも何もあったものではない。「今私って天使ってことですか?それとも死神?」と聞いた私に、「いや、寿命管理科アンザイさんだね」と言った女性は天候部のエースだったらしい。

「では僕らの仕事は何か?そう、決められた寿命できちんと対象の人生を終わらせることです」

 わかるね?と少々鼻につく理系教師の真似事をしているのは、私の対象が高校教師だからだろう。御浦先輩は、一枚の紙をどこからともなく取り出した。

「そこに君の担当する人間の情報が書かれているね。三日後、そいつが死ぬ日時と年齢が合っているかどうかきちんと確認する。そして、名前の横に、君の印鑑を押せば佐々木京平の人生はおしまい」

 おしまい、とは随分軽い口調だ。道上に、先程見かけたネイビーカラーのコートが増えてきた。あの服はどうやら今回の現場である高等学校の指定服であったらしい。記憶はないが、私も似たような制服を着ていたような気がする。

 校門の前に立つ、猫毛の長身の男。物腰が柔らかそうで、笑顔が快活だ。もう時期終わってしまう命には到底見えない。「私の最期も誰かが見届けたんですよね」と聞こうとしたがやめた。なんだが、高級ホテルのスタッフな全員洗練されたプロたちだと思っていたのに、実は時給千二百円の学生アルバイトだったと知った時のような妙な残念さを味わう予感がした。

 一生に一度の死というイベントも、私たちとっては日々の業務の一つに過ぎないのだ。

「印鑑を押さなかったらどうなるんですか?」

「死なないだけだよ。滅多なこと言わないでくれよ」素朴な疑問を口にすると、先輩は口をへの字曲げた。

「人間の寿命を決める仕事は、僕らじゃない誰かがやってくれてるんだ。何も難しいことはない。君はただ不眠不休で三日間彼に張り付き、人間としての周期が終わるのを見届ければいいだけさ」

 余計な事はしないでくれ、と言外に言われているようだ。御浦さん先輩は教師の男に近付き、「おはようございます」と声をかけた。私たちの姿はもちろん通常は人間から視認されることないため、挨拶が帰ってくることはないが、私もなんとはなしに無言で頭を下げた。「それさえしてくれれば何をしててもいいよ。漫画読みながらでも、競馬見ながらでも、ご自由に」

 僕はいつも麻雀売ってるよ、暇だし。と先輩は言った。もし自分の最期が麻雀の片手間に扱われていたら嫌だな、と思った。


  ■ 

 チャイムの音を懐かしく感じるのは、やはり私が人間だったからだろう。別に私は縛られていた訳ではないのに、チャイムの音と同時に何故か解放感に襲われた。

 佐々木京平は、随分と生徒に慕われている教師のようだ。ホームルームで彼が話せば、クラスの大半は前のめりになって耳を傾けたし、挨拶が終わると同時に教卓の周りは数人の生徒に取り囲まれた。

「君もこういう場所に通って、机に座ってたんだ?」

 御浦先輩は文字通り机に腰掛け、横に広げてある数学の教科書を興味深げに眺めた。先輩が人間だったら、確実に授業は三回に一度は欠席するのに何故か赤点はとらない、一番腹立だしいタイプだろう。

「覚えてないですけど、多分そうでしょうね」

 「君は真面目に勉強しても大して成績良くないタイプだったろうね」とカラカラと笑われた。当たらずも遠からずだろうから、言い返せない。教科書に出てきそうなほど「平和な教室」の風景だ。誰も、この教室の主が三日後亡くなるとは思っていないのだろう。

 私が死んだ時、悲しんでくれる人はいたのだろうか。私の大事だった人は今どうしているのだろうか。

 普通の脳みそで、人並みに気になったが、記憶がないから未練の湧きようもない。

「ここに答えが載っているのに、どうして皆教師に教えを請うんだ?」

「わからないからでしょうね。あと、答案集は教師が持ってるから生徒にはわからないこともありますよ。答えを見れたらすぐに見ちゃって、勉強になりませんから」自分のことはさっぱり忘れているのに、こうした感覚ばかり覚えている。

「つまり、勉強をしに来てるのに、自分で解く前に答えを見るのか?」

「真面目な人はしないでしょうが、大半は答えを写すでしょうね」

 御上浦先輩は意味がわからない!と悲壮的な声を出した。「愚かにも程がある」

 確かに愚かかもしれないと思ったが、私が人間代表として馬鹿にされるのもなんだが癪に障る。人間のために「学校は勉強のためだけのものではない」と苦し紛れの弁明をしようとしたところで、佐々木が教室のを出たので、後を追った。

「つくづく、人間の行動全てに理由があると思わない方がいいんだな」面倒臭そうに先輩が呟く。その通りだ。


  ■ 倉橋

 朝のホームルーム前の校内は、野球部の掛け声と、吹奏楽部のB♭の音だけが鮮明に聞こえてくる。 普通の社会人は感じることはないであろう、生命力溢れる朝だ。

 対して、俺の目の前に座る女子生徒は夏の終わりの向日葵でももう少し生気があるだろう、というくらい陰鬱な表情だった。

 立花華。俺のクラスの女子生徒だ。深夜、歓楽街を一人歩いているところを警察に補導されたのである。それだけならば、夜遊びもバレないようにしてくれよと軽く説教するだけだが、彼女の場合、夜間補導されるのは二度目である。その上、今回は家庭用包丁を通学カバンに入れ街を歩いている所を警察に見つかったと言うのだから驚きだ。大当たりは一つずつにしてもらいたい。いや、一つもいらない。

 夜間外出についてはともかく、刃物の方は大問題だ。本人が「不審者が怖くて、護身用のつもりだった」と供述していることから穏便に済ませてもらったものの、当然職員室は大騒ぎである。いくら大事にならなかったとは言え、こちらとしても話を聞いて指導する程度の対応は取らねばならない。

「そもそも、あんな時間に一人でどこ行こうとしてたんだ。また乗り過ごしたのか」彼女は前回、電車を寝過ごして終電が無くなってしまいどうしようもなかった、と言っていた。それが嘘か本当かはともかくとして。

「…そう、また寝過ごしちゃったみたいで、知らない駅だったから。ちょっと降りてみたくなったんです」

 立花華はボブに切り揃えた髪をいじりながらバツの悪そうな顔をした。綺麗な黒髪には染色の跡はなく、少しだけ上がったまつげと、僅かに血色のあるリップは女子高生ならみんながしていそうな薄化粧。薄緑色のカーディガン(既定は黒かグレーだが、この程度なら目を瞑っている)に、膝上のスカートは一つが二つ折っているのだろう。大真面目というわけではないが、規範的な女子学生だ。まるで「非行に走るわけがありません」と全身で主張しているようだった。

「包丁は朝から?」放課後電車に乗って出かけ、そのまま寝過ごして深夜になったという彼女の発言を信じるなら、包丁は朝から持ち歩いていたことになる。「それは流石に無理があるだろ」思わず自分の思考にツッコミを入れてしまった。

「ずっと持ってたってことか?つまり学校から?」

「そうです」後ろめたさのない、凛とした声だった。

「それじゃ元々帰りが深夜になるってわかってたってことじゃないか。たまたま寝過ごしたんじゃないのか」

「寝過ごしたのはたまたまですけど、最近変質者も多いから、いつも入れてたんです。一週間前くらいから」

 護身用、と言われてしまえばそれまでだ。その上未成年の女子、だ。いくら男女平等が叫ばれようとも、紛れもなく彼女らは「怖いから」が正当な理由として認めてもらえる存在だ。

「まさか補導されて持ち物まで見られると思わなかった訳だ」俺がそう尋ねると立花華は実に素早く頷いた。

「反省してます。こんなに大事になるなんて思わなかったんです。本当に、護身用で持ってただけなんです」

 この生徒が包丁を携行したら捕まるなどということがわからないほど思慮が浅いとは思わなかったが、これ以上言及するのも不毛だった。信じるのも教師の仕事だ、と普段は全く思わない思考が頭をよぎった。

 俺は神ではない。彼女が話してくれない限り、どうすることもできないというのは怠慢と言われるだろうか。

「…わかった。とにかく処分が出るかはまだわからない。それまで謹慎になってるから」

 立花華はスカートの裾をぎゅっと掴んで、すみませんでした、と言った。もう起こってしまったことは仕方ない。しがない公務員は、彼女の話が全て真実で、今後更生してくれるのを願うしかないのではないか。そう思いながら、副担任に連れられて生活指導室を出る彼女の後ろ姿を見送った。


(そんな話、信じると思ってるのかよ) 


 遠くの方から聞こえるトランペットの音のチューニングが、少しずれているのがわかった。俺のモヤモヤとした気持ちと共鳴している気がして、腹が立つ。

 前回も、同じ後ろ姿を見た。彼女はきっとこれからも同じことをするだろう。限りなく確信に近い予感がした。

 はぁ、と重苦しい溜息を吐くと、同時にドアがノックされ「お疲れ様です」と声がした。佐々木が立っていた。

「彼女、そろそろ何かしらの処分を受けないといけないんじゃないですか」

 一体どこから聞き付けて来たのか。またか、とうんざりする気持ちを抑えられない。

「まぁ、そうなんですけどね」

 佐々木はそのお節介な性格のためか、立花華と特別仲がいいからなのかどちらなのかはわからないが、前回彼女が指導を受けた時も口を挟んできたのだ。他クラスにまで関心を回すのは結構だが、俺も俺なりに問題に向き合っているつもりである。これが彼なりの善意であれど、他人に問題に首を突っ込まれると、問題を解決に導けない自分が無能だと遠回しに詰られているのではないかと思ってしまうのだ。

「提案なんですけど」佐々木は俺の目の前の机に腰掛けた。無償の善意は気味が悪い。学級委員さながらの真っ直ぐな瞳に見つめられると、うねうねとした透明な触手が俺の足元から這い上がってくるような感覚に陥るのだ。

 あぁ、俺はこいつが嫌いなのだと他人事のように思った。

「僕に彼女の面談をさせて頂けませんか」


■ アンザイ 


 『一年の頃、彼女の担任だったことがあります。もしかしたら、僕になら何か話してくれるかも』

『どうしてそう思うんですか』

『僕は、立花華が何に悩んでいるのか分かる気がするんです』

 立花華。はな。はなちゃん。私は、彼女の事を知っている。名前を聞いた瞬間にわかった。あの生気のない顔を、私は見たことがある。

「あの、私の生前のことって、わかるんですか」

「わからないよ。どこかの部署になら記録が残ってるかもしれないけど、君がそれを知ることはないし、知る必要もない」御浦先輩は明らかに面倒臭そうに、ぴしゃりと言った。「君、佐々木京平のことを殺したくないなんて思ってるんだ?」

「…はなちゃん」

「はなちゃん?」

「佐々木京平が、立花華を救ってくれる気がするんです」バカか、と先輩が珍しく直球な暴言を吐いた。

「立花華がなにを抱えているのか知らんが、それと佐々木は関係無い。ついでに君にも関係無い。誰なんだ、大体。君の仕事は佐々木京平のことだけだ」

「別に、死ぬのって今じゃなくてもいいじゃないですか」

「私情が理由で寿命を延ばすのか?予算オーバーで、怒られちゃうって」

 前に聞いたことがある。人間の寿命は、合計で何千億年、と決められているらしい。どうやら、この数値をある程度保ってあげないと、人間の世界パンクしてしまうと先輩は言う。

「でも、何百年も前から人間の寿命は明らかに延びてますよ。とっくにパンクしちゃってるんじゃないですか」

「そりゃヒューマンエラーの重なりだって。人間の十年や百年なんか細かくていちいち数えてらんないじゃないか。わざとじゃない」人間ではないのにヒューマンエラー、という単語を使うのもおかしなものだ。

「君も覚えておくといい。『あ、間違えて五歳で寿命終わらせちゃったわ』ってなったら、横の人間の寿命をちょっと延ばしてあげるんだ。そうすればトータルでは変わらない」

 少し前から思っていたが、この世界の労働は、随分と適当でも許されるようだ。

「でも君は違う。意図的にこの男を長生きさせようとしている。何様なんだって、思わないか?」

『お言葉ですけど、倉橋先生が親身になっていないから、あの子は何も話してくれないんじゃないですか』

「僕たちは神じゃない。何か勘違いしてないか。君の仕事は数字の確認作業なんだよ」御浦先輩が声を荒げると、倉橋も声を荒げた。

『俺なりに親身になってるつもりですよ、でも俺は神じゃない。担任だからって、彼女が考えてることが全部わかるわけじゃないんだ。あんただってそうだ』

「だったら、神様が全部やればいいじゃないですか」

「…そりゃそうだけども」

 勝手じゃないのか、と先輩は溜息を吐いた。

『俺は俺なりに向き合ってる、佐々木先生、あんたは首を突っ込みすぎだ』

 感情的になっている。あの儚げな少女に幸せになってほしいと、どうしてこんなに思ってしまうのか、私にもわからなかった。

「でも私、はなちゃんに、ちゃんとした人生を送って欲しいんです」

『あなたはどうして彼女をそこまで気にかけるんだ』倉橋が佐々木にかけた言葉は、そのまま私にも刺さるようだった。

 口を噤む私に、まぁ好きにするといいさ、とお手上げのポーズをしながら、先輩は胸ポケットから印鑑を出した。人の人生を終わらせる、凶器だ。


『…あれを好きにさせたらまずいんですよ』

「印鑑、忘れてきたからってことにしとくよ」


 ■ 立花華


 佐々木を尾行して、あいつの自宅を見つけた時に一回、殺してやろうと思って訪れた時に一回。まさか、その都度警察に見つかるとは思わなかった。神はいるのかもしれない。いや、だとすればなぜ有香里の時は守ってくれなかったのか。

 安西有香里は佐々木京平のせいで自殺した。しょうもない、理性のない暴力のせいで。

 今度は警察に見つからないように、人通りの少ない道を歩く。包丁の柄を握る手に汗がにじむのを感じながら、私は最期に交わした会話を思い出していた。


 「私、転校することにした。それしかないよ」

 学校の最寄り駅のホーム、有香里は渋い笑みを浮かべてそう言った。

 彼女は、もう何ヶ月も学校に来ていなかった。担任の、少し造形が整っていているだけの教師に搾取されて。

「なんで、バラしたらクビになるのなんて佐々木でしょ?なんでよ、許せないって、そんなの」

 彼女は、「今日寒いね」と同じくらい軽い抑揚で、もう疲れた、と溢した。ネイビーカラーのダッフルコートを着た男子が私たちの横を駆け抜けて行った。その元気を有香里に分けてくれよ、と名前も知らない彼を呪うくらいに、有香里は哀しげに俯いている。

「じゃあ、一緒に私も辞める。あんなのがいる学校、私だって嫌だよ」

「絶対に駄目!」急に鋭い声が上がった。「はなちゃんまで変な噂立てられるでしょ」

 鋭い声は、電車の停車音に混ざり、私に耳にしか届かなかった。ぷしゅ、と気の抜けた音を立てながら、自動ドアが開く。

「そんなのどうでもいいよ」

「私、はなちゃんにはちゃんとした人生送ってほしいの」


 ちゃんとした人生って、なんだろうか。彼女に、今すぐ聞きたい。


 インターホンを押すと、憎くて憎くて仕方ない、親友の仇の男が現れた。


 ■ アンザイユカリ


 「つまり、立花華は親友の仇である佐々木京平を殺そうとした。佐々木京平は、自分が彼女に恨まれているのを自覚していたから、熱心に接触して許しを請おうとした、といった具合かな?」

 私が寿命を見届けなかった結果として、佐々木京平は立花華を殺した。これは、私が佐々木の寿命を延ばした分の数合わせで彼女の寿命が短くなってしまったということなのだろうか。

「私が佐々木の寿命を伸ばさなければ、立花華は佐々木京平に刺し返されることもなく、佐々木の人生は彼女によって終わりになったのでしょうか」

 もしそうだとすれば、私のしたことは一体なんだと言うのだろうか。私のしたことは、無駄だったんだろうか。

「彼女の親友って、」私なのだろうか。

「人間のすることさ。全てに確固たる理由があるなんて思わない方がいいぜ。意外と、元気そうでムカついたから、なんて理由かもしれない」探偵ごっこか?と御浦先輩が茶化す。

「研修の君には、対象以外の寿命を操る権限はない。立花華は、元々あの日死ぬ予定だったか、別の誰かの数合わせで寿命が縮まった」

 その言葉は嘘か真か、私を慰めるための方便か。先輩は全ての真実を知っていそうな気もするが、何も考えていないようにも見える。

「何度も言うが、僕たちは神じゃない。時計の中に組み込まれてる小さな歯車の中の一つ、もしくは工場のベルトコンベアの一端、すぎないんだ。人間あがりの君には理解できないかもしれないが、人生において寿命っていうのは意外と」

「大した要素じゃない」

「研修の結果が出てよかったよ」

 部署のデスクスペースは、相変わらず不愛想であの世とか天国のイメージとは全くかけ離れている。立花華も、死んだらここに来るのだろうか。 


 立花華、たちばなはな、はな、はなちゃん。


 はなちゃんって、私のなんだったんだろう。ぬるい炭酸水を頭から少しずつ垂らされているような、得体の知れない感情だった。きっとこれは、知らない方がいい。


「アンザイちゃん、もう死んでるのに、死にそうな顔してどうしたの」

「…無駄な仕事ってなんだろうって、考えてました」

「この世に無駄な仕事なんてないですぅっ」御浦先輩は私の口調を真似た。


初投稿です。こちらの作品は、カクヨムにも投稿しています。

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