第九話 逢引き
夜、私は使用人を全員下げ、自室のテラスでじっくりと夜空を眺めていた。
夕食の席でアマデウス殿下は、私がウネマ王国の茶葉を使った心遣いなどに気を良くして親し気に話しかけてきたが、彼のストレス値を見れば彼が思ってもいないことを言っていそうなのは火を見るより明らかだった。
もちろんお父様も同席していたのだから、その場で粗相などするはずも無い。
別に今誰かを好きというわけでは無いが、それでも言葉が分からないだろうとこちらを嘲るような人が夫になるというのはちょっと嫌だ。
まぁ、もう決まったことだし変えるつもりは無いけど。
チリチリとストレスが溜まっていくような感覚に杏であったときを思い出してしまい、私は頭を振った。
仕方が無いこと。
これは、我慢しなければならないこと。
自分に言い聞かせつつ何をするでもなく、ただ外を眺めていると後ろから軽い何かが落ちたような音が聞こえた。
振り向くとそこには黒いマントを羽織った屈強な男が居た。
「ヒッ」
『待った!叫ばないでください‼危害を加えるつもりはありません‼』
マントの男は流暢なウネマ語と共にマントを脱いだ。
そこには見覚えのある猫っぽい耳の褐色細マッチョ、マシャドさんがいた。
『すみません、あの…………け、結果、そう騎士団長との勝敗だけ聞きたくて……』
マシャドさんは大きな体を縮め、しどろもどろになりながらまるで浮気現場を見られたように慌てている。
その姿は妙に可愛らしくて笑ってしまいそうになる。
『ありがとうございます。貴方ノおかげで勝ちましタ!』
私が答えれば彼はパッと顔を上げてほころんだ。
『良かった、貴方なら勝てると思っていました。では、夜にすみませんでした……このことは内緒にしてもらえると』
『あ、待って下サイ!お礼をしたいので手を出してもらえますカ?』
『……お礼はもうあの魚で済んでいます。それに、本当は俺ここに来てはいけないんです。なので…』
『物では無いので手荷物にはなりませんよ』
そっと手を差し出すように催促すれば彼は少し悩んだ末に、優しく私の手の上に自身の手を出してくる。入れ墨だらけで分かりにくいが、見るからに古傷だらけのその手に少し心が痛みつつ、私は彼の手を両手で軽く握った。
以前よりもはっきりと白い光が周囲を舞い、マシャドさんを発光させる。
前回別れるときに彼のストレス値は99から72まで下がったはずなのにこの短期間でまた87まで上がっていた。
『これは?何だかフワフワします』
『魔法です。とは言っても傷が癒えるわけではなくて気分を落ち着かせるだけなんですけど』
彼の頭上の87だったストレス値はみるみる減っていく。
間近で見れば夜だからかマシャドさんの縦長だった瞳孔がほぼまん丸になっていることに気がついた。
『魔法……初めてです』
『ふふっ帝国の皇族しか使えないんです。アノ、もう少しかかるので一つ聞いてもいいデスカ?』
『はい』
気持ち良いのかとろんとした目になりながら、私の手を指の腹で軽く撫でてくる。
『ウネマ王国のマナーが分からないので失礼だったらごめんなサい。マシャドさんは猫?ですか?』
聞いた瞬間閉じかけていた目がカッと開かれ私を凝視してきた。
『失礼ではないですが俺はそんなに弱そうに見えますか?クロヒョウです』
『うっ、ごめんなサい。どうしてモ気になってしまって…』
『謝ってほしいわけではなくて……入れ墨が多いのは強い男の証なんです』
『はい、王国で3番目に強いんですよね?』
ちゃんと話を覚えているという意味で返したのだが、少々不服なようでブスッとむくれながらそっぽを向かれてしまった。
彼のストレス値が一桁になったことを確認し、手を離すとマシャドさんは名残惜しそうに私を見つめてきた。
心なしか顔色が大分良くなった気がする。
『……手、しっかり洗ってください。殿下は鼻が利く方ではありませんが側近は気づくと思うので』
『ふふっ何だか逢引きみたイナ言い方ですね。分かりました。おやすみなサイ』
マシャドさんは黒いマントを被りながらもう一度じっと私を見ると、音もなくテラスの柵を乗り越え暗闇に消えて行った。もう既にどこに居るのかも分からない。
「逢引きか……」
洗面器に張ってある水でしっかりと腕から手を洗いながら自分の言葉を反芻する。
さすがにこうして夜に2人きり、しかも寝室で会うことなどはしないがそれでもまたあの猫耳、いやヒョウ耳に会いたいと思ってしまうのはやっぱり駄目なのだろうか。
ぼんやりと考えつつ眠りにつき、翌朝。
今日はお父様は参加せずアマデウス殿下と向かい合いながら朝食をとる。
「アマデウス殿下、昨日はよく眠れましたか?」
「えぇまぁ……はぁ、駄目だめんどくせぇ。アンジェラ、少し取り決めをしませんか?」
名前の呼び捨てを容認した覚えはないけど、と思いつつも淑女教育の通りに済ました顔で続きを促す。
「俺はアンタを女として見れないし、見る気もない。だから気をつかわなければならないヤツの前以外で無理に仲良くなろうとするのはやめよう。アンタらの文化だと表面さえ取り繕えばいいんだろ?」
驚きのあまり言葉が咄嗟に出てこなかった。
それを見てアマデウス殿下はさらに鼻で笑いながら続ける。
「アンタたちは耳も遠いんだな。目も良くない耳も悪い、足も遅ければ空を飛ぶヤツもいない。そんなヤツら本当はすぐに蹂躙したって良いんだ。ただ、今はこっちの内情が悪い。だからこうして俺が来て結婚の真似ごとをしているだけだ。理解できたか?」
本当は怒ってすぐにこの婚約予定を破棄にしてもいいほどの言葉。
けど私にはなぜか私を嘲るアマデウス殿下に既視感があった。
それは帝国民がウネマ王国のことを二足歩行の獣の国と語る姿にそっくりで気味が悪いほど似ていた。
「……あまりにも稚拙な言動で驚きました。私は殿下に見下されるような立場ではありませんし、殿下もそこまで驕れるような立場ではありませんよ?」
『何だとこの女‼弱い分際で‼』
『殿下‼やり過ぎです‼気を静めてください‼‼』
一気に私に掴みかかろうとするアマデウス殿下を側近数名が羽交い絞めにして止めに入った。体格的には殿下の方が小さいのになぜか側近は若干力負けしつつある。
側近が力負けすれば最悪私は殺されるかもしれない。
そう思いつつも、私を守るために間に入ろうとする護衛を制する。
(このまま逃げたり無様な姿をさらせば、あの地獄の様な環境が待っているかもしれない)
不意に浮かんだのは杏だったときの職場環境だった。
これから彼らの陣地に赴き生活をするというのに、見下されていては対等な関係性など築けない‼
内なる杏が叫びを上げ、勇気を奮い立たせてくれたおかげで私はどうにか震える体を抑えることが出来た。
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次回はまた明日の18時10分頃です。
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