第四話 初ケモミミ細マッチョ
「騎士団長と皇女の勝負……ね。皇宮の至る所で話題になっているよアンジー?」
「うっ……その……」
お父様は会議で不在の昼食の席、お兄様のカイルは表情を変えずにマナー通りの動きでスープを掬いながら話しかけてきた。
「別に咎めているわけじゃない。ただどうにも倒れてからの行動が君らしくないから心配しているんだ。アンジー、もし獣との結婚が嫌なら……」
「お兄様!ウネマ王国の人にはまだお会いしたことはありませんが、彼らはれっきとした人です‼お兄様もかの国の言葉を勉強なさったでしょう⁉」
姿を見た者が少ないとは言え、多少の交易は存在する。
そのため彼らの言語もこちらには伝わっていた。
私が声高に指摘するとフレデリクお兄様はほんの少し眉間に皺を寄せて、口元を拭いた。
「そうだね、皇族の言葉として失言だった。詫びるよ。ただ僕はアンジーがこの皇宮での居場所を求めて足掻いている様に見えてならないんだ。そんなことをしなくても一言こんな結婚嫌だと言えば僕や父上は無理強いしたりなんてしない」
切実に言うお兄様の言葉は多分嘘ではない。
けど、そんな感情でこの婚姻を断ってしまえば最悪戦争が起きることも考えられる。
それだけは避けたかった。
「お兄様、私は別にこの皇宮に居場所がないから作ろうとしているのではありません。今まで私が目にしていたのに、気がつきもしなかった方達の力になりたいと思っての行動なんです、どうかご理解ください。
それに私はかの国との婚姻を受けるつもりです」
どうあっても戦争は避けねばならない。
特に帝国はこの北大陸一の領土と国力を備えてからというもの、戦争は数百年していない。
戦いになれば、最近まで南大陸を制覇するために戦っていたウネマ王国の有利は火を見るより明らかだった。
…………‼。
ホリングワース帝国とウネマ王国の差を考えているとき、ふと一つの考えが浮かんだ。
裏を返せばウネマ王国は今や戦いのスペシャリストとも言える。
騎士団長から期限は設けられていないが、人数は10人以下という制限を指定されている。
しかも私の考えを証明するために全員騎士団経験も無いド素人を集めなければならない。
こんな劣勢を覆すためには戦いのプロに話しを聞いてみればいいのでは?
「……お兄様、ウネマ王国の方は9日後に来るということですが、私なら帝都に入らないまでも余裕をもって早めに近くの港に宿泊すると思います。何かご存じないですか?」
船旅で約2か月。
必ず誤差は生じるものだ。
しかも今回は両国が数百年前に取り決めた貿易以外で初めてまともに接触する機会。
絶対に遅れてはならないはず。
私が問いかけるとお兄様は顎に手をおき、しばらく考えると頷いた。
「あぁ、一応港についたという知らせは受けている……僕も昼からの会議に出席するから同行出来ないが彼らを見に行ってみるかい?父上との謁見は定められた日にちを待たねばならないがアンジーが偶々遊びに行った港で偶々出くわす分には問題無いだろう」
「はい‼」
……と、いうことで皇宮から馬車で2時間程の港。
馬車にはお兄様選りすぐりの護衛騎士が3人もついてくれることになった。
潮風や波の音が心地よく、海産物が発酵した匂いが少しする。
実はアンジェラになって以来、海はこれまでで片手で数えるほどしか来たことが無く、いよいよ婚姻する種族と会うことも相まって私のワクワクは最高潮に達していた。
馬車の窓を開け放ち、風を感じているとふと絶壁の淵に立つ黒いマントの人が目に入った。体格からして男。
普段ならただ海を眺めていると見過ごす光景だがこの時の私は違った。
「馬車を止めて‼‼」
「アンジェラ様⁉」
私の鋭い声に御者も護衛も馬も驚き、一瞬凄まじい揺れを起こすと馬車は止まった。
止まると共に私は馬車から転がり出て絶壁へ向かった。
男は私の存在に気がついたらしく軽く振り向く。
マントで鼻より上は見えないが、褐色の肌に全身隈なく顔も埋め尽くすほどの奇妙な模様の入れ墨が入っていた。
普通の淑女なら叫び声をあげて退いていただろう。
けど、私にはそれどころではなかった。
彼の頭上に金色に輝く数字は98を表していた。
つまり、心のお疲れ度98%の状態で絶壁の上に立ち下を覗き込んでいたのである。
その状態でやることなど目に見えている。
「失セロ」
舌ったらずな発音で男が言うが、ここで引いてしまっては一生後悔する。
けど、前世で似たようなことをやった身としては引きとめる良い言葉なんて出てこない。
迷った末、私の口からは自分でも予想していなかった言葉が飛び出てきてしまった。
「わ、私‼帝国の騎士団長に勝つ方法を探しているんです‼知りませんか⁉」
「……テイキ……??俺、バカ…スルカ?」
色々と言葉足らずだが、恐らく男は帝国の言葉に馴染みが無く、言葉の分からない自分を馬鹿にするのかと聞いているのだろう。
「ち、違います‼私はただ聞きたいだけで……貴方、国、どこですか?」
護衛が私と男の間に入る中、男は私をじっと見据えておもむろにマントを取った。
褐色の肌に黒い髪、金色に輝く瞳、そして頭には明らかに人間と違う黒い獣の耳が生え、はためくマントからは黒く長い猫の様な尾が見えた。
「もしかしてウネマ王国の……」
私が言った瞬間男はまた馬鹿にされたと思ったのか、ライオンの様な咆哮と共に叫んだ。
「失セロ‼‼‼」
ただ声を張り上げられただけなのにゴウッと何かが周囲を駆け抜け、体の芯から震えがこみあげ、間違いなく私は今までで一番の恐怖を感じていた。
息も浅くなり腰が抜けて座り込み、涙がポトポト落ちる。
護衛騎士達も一瞬怯み、震えているが頑張って私を支えようとしてくれていた。
「殿下、掴まってください……この者は話が通じません」
『ワ、私、貴方と話がしタイ』
今度は勉強したウネマ王国の言葉で話すと男の顔色が変わった。
『話?俺はお前なんて知らない。珍獣扱いするのはやめろ。八つ裂きにするぞ!』
低い声で脅しにかかってくるが幾分か警戒は解けたらしく先ほどよりは静かな声で彼は呟いた。
『貴方の国に私、行ク。だかラ知りたイ』
『…………お前、何者だ』
護衛の騎士達は私が騎士団長と敵対中とはいえ、帝国語で話していればこんな問答は許さないだろう。
ウネマ王国の言葉で良かったと思いながら私は続けた。
『ホリングワース帝国第一皇女アンジェラ・ホリングワースです。貴方ハ?』
私の言葉に男は目を見開き、顔を真っ青にしてこちらに来て跪いた。
『……申し訳ございません。マシャドと申します、次期王妃殿下』
青くなるマシャドの頭上を見ると金色の文字はゆっくりとその形を変え99を表していた。