無明家
『 年 月 日
夜の書斎に座る女性はどこか熟年した老婆を思わせる雰囲気を携えながらグラスの酒を煽る。
後ろから来たもう一人…否、彼女自身の存在に気づきながらも彼女は気づかないふりをして本の頁をめくる。
そこに書かれているのは10に分かたれた魔法を使う者たちの物語。
「あら、久しぶりね…といってもあなたは過去の私かしら?未来の私かしら?」
「さぁ、それは互いにわからないほうが身のためじゃない
タイムパラドクスなんか気にするよりは何も考えずに飲み交わしたほうが気楽なものよ」
歩く女性の言葉に座る女性は答える、彼女は外見も声も銀の瞳も総てが同じだった。
「あら、シカト決め込むつもりだと思ってたけど案外話を聞くものね
拒むことを選んだ末路たる貴女にしては行幸と言うべきかしらね?」
「何とでもいいなさいな、それに末路となった覚えもないしね」
かんらかんらと歩く女は笑い尋ねる。
「人間何事も終わりが肝心、あなたが一番それを理解してると思ってたけどね?」
本を閉じて座る女は歩く女を見据える。
「貴女こそ、そういう事は絶対に否定すると思ってた
やっぱり、同じでも私とあなたは違うものね…育ちが違う?」
歩く女も、他同時のように動かしていた足を止めて座る女を見る。
「正体わかってるじゃない、お互いに
…というか、育ちは同じだってのにね」
「私はずっと引きこもってたじゃない、楽園に」
二人して笑う。
夜、人気のない…それどころか人間の気配がどこにもないそれこそ現実化夢かもわからない書斎に響く二つの同じ笑い声はシュルレアリスムのように不気味さをいっそう際立たせていた。
歩いていた女は手元の本棚から本を一冊開いて見る。
「私は果たして自分の本心にその時はたして気づいていたのかしらね
それともそれには気づかず、ただ漠然といつもとは違った何かを求めて来ただけなのか…
私にはもうわからない、そっちは?」
「さぁ…ね
ただ安部瑠の手を取った私は、不思議とその手が軽い事を感じていたのは確か
外の世界の具現が現れてくれたことに安心する気持ちは、貴女に近いものなのかしらね?
依存することを選んだ"私"?」
そう言うと"拒むことを選んだ女"は歩いていた女に手を伸ばす。
"依存することを選んだ女"はフッと笑ってその手を握り立たせるように引っ張った。』
その手に引かれ、気付いたら広い屋敷の玄関前に立っていた。
表札には無明とあり、塀の四隅には麒麟の彫刻、さらには屋敷だけで町の数分の1は取るのではなかろうかとも思える広大な敷地
目立つなと言うほうが無理といえるこの敷地は、それでも自然にこの町に存在していた。
「珍しいかね、武家屋敷って」
「…何でその武家屋敷に紹介されなきゃなんないの…?」
呆れたように呟いた明は女子中学生である、なし崩しに手をひかれ歩いてきたが
これは訴えれば余裕で犯罪とも認められそうなほど手際のいい拉致に近かった。
そもそも自分がなぜこんな胡散臭い男についてきたのか、それを公開し始めた矢先だった。
「こらっ、アクティブ引きこもり!!」
矛盾した罵声をアベルに投げかける少年が、塀の上に立っていた。
「ヨォ、ただいま下院♪」
「こんな時間までほっつき歩いてると思ったら、誰だよその女は?」
「え、あ…こんにちは」
思わず挨拶してしまう明をよそに下院は阿部瑠に向かって飛び降り、その脳天に踵落としを炸裂させる。
「ぐぁ!?うぉぉ、塀の上からは反則…」
「反則もくそもあるか犯罪兄貴、ジジィの影響か!?遺伝なのかこら!?」
阿部瑠は脳天を抑えるのとは別の手で激情する下院を抑えて落ち着かせる。
「まぁまぁ落ち着いて、そんなことないから
お爺ちゃんみたいに節操無くはないから、ね?」
明は二人のやり取りから不穏な案格を覚え、そこから立ち去ろうとするが…
「こんなエロい体格の女連れ込んで…」
「エロ・・・っ!!?」
思わず顔を赤らめて胸を両腕で隠す、明はコンプレックスに思うほどではないにせよ
何故か彫刻のような豊満な体型をしている自覚はあった。
しかしエロいと言われるのはこれが始めてである。
「だいたい陰性の女なんか連れ込んだら結界に穴が開くだろうが、何のための結界だと思ってるんだ!?
そんな役にたたなそうな馬の骨早くもとの場所へ返して…」
「…………」
兄の気まぐれへの叱責として、罵詈雑言を飛ばす若き下院少年は
明が彼自身の頭に腕を伸ばしていくことなど気づいておらず…
結果その頭を鷲掴みにされた。
「え………」
下院もまさかこのタイミングで頭を捕まれるとは思っていなかったのだろう、呆けた顔で明を見る。
般若のように怒気を孕んだ顔がそこに逢った。
「おい小僧、いって良い事と悪い事があることくらい知ってるわよね?
誰が陰湿だ?誰が馬の骨だ?誰がエロいだ?初対面の年上に対する礼儀程度どうとくの時間に習わなかったのかしらぁぁ?」
ギリギリギリギリギリ
「いっ・・・痛いイタイイタイ!!割れる!!もげる、ごめんなさ…あぎゃあぁぁぁぁっぁぁ」
人気のない住宅街に若き下院少年の悲鳴がこだました。