起こる異変
「やっと、5階層か」
「初めてだし、遅くないと思うさ」
「甘やかすな、ハニナ。もう少し急がないと、期日までに達成できないぞ」
「……そうだな」
アウルが唇を噛みながら渋々と漏らす。アウル自身も薄々わかっていたことだ。だが、こちらも初めての迷宮要塞であるので、多少なりとも緊張するのは当然の成り行きではある。それに先刻からずっとエーゲン・ラフトの元気印であるカレハが不調となっているのだ。その歩みが遅くなったところで悪くはないだろう。まぁ面と向かって言えるはずもないので、曖昧に頷くだけに留めるが。
「少し速度を上げるぞ。それに俺達もただ潜って何も取れずに終わりでした、は避けたいからな。せめて、10階層までは行きたい」
「わかってる。サクサク進もうか」
時刻は先程罠を踏んだときから1時間半ほどが過ぎて、外ではそろそろおやつ時と言ったところか。3階層での休憩を含めたらなかなかの長旅であるが、まだまだ目標とする階層からは遠い。そこをイカルに指摘されたので、アウルたちは少し歩く速度を早めた。この階層までくれば、もう陽の光特有の温かみは忘れ去っている。
明るく輝く松明と、光照石の燐光が暗く狭い迷宮要塞の行く先を示すなか、靴音を響かせて進んでいく。魔獣にも魔族にも出会わないこの回廊は、どこか退廃的な雰囲気を醸し出していた。それは、対戦に散っていった魔族の怨嗟か、それとも人類の無念か。
魔族への憎しみというのは、未だに積もっているのがこの世界だ。魔族を倒してきた守護者に喝采が送られ、魔族を取り逃がそうものなら何をやっているんだと詰められる。それは一部の人間ではなく、多くの人類がそれを行うのだ。戦争から百数十年が経ち、それに参加した人はもういないかもしれない。だが、ネズミが猫を避けるように、あるいはカエルが蛇から逃げるように。なんとなく、という本能で魔族を嫌う人間が大多数だ。
アウル自身はそこまで忌避感はないが、かと言って完全にゼロというわけでもない。
「おい、来たぞ……!」
「っ、どうやらそうみたいだな!カレハ、頼めるか?」
「……やってみるわ」
イカルから警告が飛ばされる。思考から意識を戻せば、眼前に動く影を捉えた。魔獣に違いない。
そろそろカレハのワンパン火力が恋しい……とまでは行かないが、急ぎたいこのタイミングではカレハが重宝できるのだ。カレハもいつものように戦えば、気分が晴れるかもしれない。そんな思いやりも込めて、カレハに振った。
カレハはおずおずと頷いて、メリケンサックを握り込む。そして眦を決して、通路の奥に遠く見える影の方に走っていった。
その後聞こえてきたのは、カレハと影の戦闘音……ではなく、話し声だった。
「どうしたんだ?」
「わからん、だからとりあえず集まってみよう」
カレハが走っていった方向に全員で向かう。そうすると、薄暗い闇の奥でカレハが屈んで話しているのがはっきりと見えた。
即座に近寄って、様子を確かめる。
「貴女、なんでここにいるの?」
「わたし……まいご?」
「いや、私に聞かれても……多分、そうなんじゃないかしら」
「たすけてくれた?」
「ええ、そうよ」
「カレハ……その子、誰だ?」
「だから私に聞かれてもわからないわよ!」
カレハと話し込んでいたのは、無垢な表情を浮かべた、愛らしい子どもだった。背丈はカレハの腰と同じか少し高いくらい、130センチほどだ。髪の色は乳白色で、顔立ちも育てば相当の美人になることが見えているほどだ。ルビーのような輝く瞳が、こちらを見つめる。
「あなたたち、だれ?」
「俺達は、守護者だ」
「まだ見習いですけどね」
「俺達の事よか、お前の方が不思議だろ。なんでこんなガキが迷宮要塞にいる?」
イカルが腕を組んで、心の底から不思議そうに首を傾げた。言葉自体は悪いが、言っている内容はアウルたち全員の総意に違いない。問われた彼女はふるふると顔を振った。何をしているのか。
「がきちがう。わたしおとな」
「どう視てもガキだろ……まぁそこは論点じゃねえんだ。なんでいる?警備兵はどうした?」
「わたし、きがついたらここにいた。わたし、わるくない」
「気づいたらここにいた?誰かに連れ込まれたってことか?」
「わかんない……」
ユウセイが唸る。彼女が誰かに連れ込まれたとしたら、それは立派な犯罪だろう。処遇をどうするべきか、といった唸りだ。このまま彼女を置いて進むのか、それとも戻って情報を集めるか。
彼女は視線が集まっていることに緊張しているのか、きゅっとカレハの袖口を握って不安げに周りを見回している。その動作は全く自然なもので、嘘や虚偽と言った雑念のようなものを感じられない。本当に何も知らないのだろう。
と、ここでカレハが思い出したように、しっかり目線を合わせて言う。実はカレハ、幼女の扱いに長けているということがわかった。
「アナタ、名前を聞いてなかったわね。名前は何かしら?」
「わたしは、シェイカ。シェイカ・サイマー」
「シェイカちゃんね。私はカレハ・ライン。んで、こっちが『エーゲン・ラフト』のみんなとおじさんだよ」
「おい、おじさんじゃねえだろ。お兄さんだ」
「さっきこの子にガキって言ってたでしょ」
「……」
カレハに言いくるめられて、イカルはむっつりと黙った。そんなイカルを無視して、ハニナもシェイカに近づいた。
「私はハニナ・ザンベジ。このおじさんの相棒をやってるわよ」
そう告げると、シェイカは二人の間で視線を何度も往復させた。そして、わからないことがあったのかこてんと首を傾げた。
「ふたりはつきあってるの?」
「ば、ちげぇよ!?」
「……」
目茶苦茶に焦ってイカルがそう叫ぶ。ハニナに至っては死んだ眼でイカルを見つめるだけだ。
イカルは焦りのままに口を突く。
「こいつは俺が拾ったんだよ」
「……拾った?」
「あ、やべ」
「はぁ、言っちゃったか……馬鹿」
呆れたように、ユウセイが肩をすくめながら話を元に戻す。
「夫婦漫才やってる暇があったら、この子の処遇を考えないか?」
「そ、そ、そうだな。このガキをどうするかの話をしよう」
「シェイカちゃん、どうしたい?」
「おかあさん、さがす……」
「そうだね。ママを探して保護してもらうのが一番だね」
「じゃあ、一旦引き返すか。地上で、もう一回作戦を練り直す時間もほしいしな」
「そうするのが得策、と言いたいところだが……簡単には帰してくれなさそうだぞ」
「?」
「…………魔獣がきちまいやがったか」
「ああ。通路の奥に一瞬影が見えた」
アウルはくるりと振り返って、シェイカを呼び寄せる。
「これから俺達が化け物と闘うから、キミは俺と一緒に後ろに下がろう」
「おにいさん、よわいの?」
「まぁ、弱いと言えば弱いな」
アウルは苦笑した。そのまま、だけど、と続ける。
「アイツラと一緒なら最強だよ」
「……かっこいい」




