『得』
明朝。ギード、アーサ、ロロの彼ら三人は眠気眼を擦りながら、シスターに見送られ出掛けて行った。無論、『少年兵早期訓練』へ参加するためだ。その後姿を、シスターはどこか複雑な表情で眺める。
あれから一週間。シスターは、心の奥底でではあるが隙あらば訓練に行くのも行うのも禁止にしたいと思っていた。しかしそんな胸中とは裏腹に、あの日から彼らは約束を守って闘気や魔力のことを調べたり試したりすることもなく、そして幸か不幸か、あるいは皮肉なことにアーサとロロは他の子達に乱暴をしなくなった。ギードも、まだ粗暴さはあるものの大分抑えられている。
それがある種の力を目の当たりにしたことで多少の精神的成長が促されたのか、それとも単にシスターの思惑をどこか感じ取っていい子ちゃんにしていただけ故なのか、シスターには判断がつかなかった。前者であると思いたい反面、後者である可能性が否定できないのは、やはり赤子の頃から面倒を見ていたから故だろう。
シスターはここ最近で増えてしまったと自覚する溜息をつき、院へと戻る。まだ時間も早い。子供達が起きてくるのも、一時間弱ほど後だろう。それまで紅茶でも飲んでおこうと、シスターが思考を緩く回していると、ふと、小さな二つの影が視界の端を通って院から出ていくのが見えた。
「やっぱり……あの子たちまで……ハァ……」
やはりもう一つ溜息をつき、しかしその影を引き留めることも無く、礼拝室へ入る。シスターには、どうしようもないことだった。一週間前、この場で魔法を見せたあの時から、こうなることは何となく分かっていた。ベノーは大方引っ張られてのことだろうが、ガラシャラのあの眼を見れば黙ってでも訓練に行くことは容易に想像できた。
「怪我をしなければいいのだけど……」
ただ気休めでも、子供達には安全を。そして彼らの未来に光を。長い戦争時代を生きたシスターは、そう祈りを捧げる他なかった。そして憎まずにはいられなかった。力が全てなこの国を。
◇
「ガ、ガラシャラ~、シスターに黙ってなんてやっぱり駄目だよぉ……」
「うるさいぞベノー。ここまで来て帰れるかよ。それに俺たちが行きたいって言ってもダメって言われるに決まってる」
ベノー、ガラシャラの二人はコソコソと話しながら、物陰に潜む。ベノーはキョロキョロと辺りに目線を彷徨わせているが、ガラシャラは潜みながらも真っ直ぐと、ある一点を見つめていた。その目線の先にいるのは、三人で仲良く並んで歩く悪ガキ三人組だ。
「へへ……尾行ってのは初めてだけど、意外と出来るもんだなぁ」
高揚に釣られる口角を摩りつつ、ガラシャラは三人の行く先をしっかりと確認する。そう、彼は訓練所の場所を知らぬ故に、ひっそりと三人をつけているのだ。
そうして、ゆっくりとではあるが二人は確実に訓練所へ向かって行った。途中からベノーも諦めたのか、黙って着いてきている。
「はぁ……訓練って、痛いこともするのかぁ……」
そんなベノーの情けない声は、誰も返事することもなく虚空に消えた。
幾分か歩いた後、遂に三人は少々サイズのある建物へ入っていった。入る前に三人が少々緊張気味におどおどしていたので、間違いなくあそこが訓練所であるとガラシャラは飛び出しそうになるのを抑えながら確認する。
「よし……ベノー! 行くぞ!」
「う、うん!」
最早ベノーもやけくそ気味に勢い良く返答し、二人は早足でその門を潜った。
中はそれなりに広く造られていた。しかし訓練する場所というよりは待機所、あるいは案内所の様な雰囲気で、幾人かの大人がカウンターで作業をしていたり、紙を乗せた板を手に持ちながらウロウロしている。そしてそれ以上に子供の数も多かった。
「あら、訓練に参加する子かしら?」
そんな人の群れに呆気に取られていると、ふと若い、というよりも若干幼いくらいの女の声が二人に掛かった。声に釣られそちらの方を見てみると、そこには白いローブを着た少女が真っ直ぐ二人を見つめており、手に持っている板から軍側の人間であることが窺える。
「あぁ、そうだ。俺はガラシャラ、こっちはベノー。二人とも訓練しに来た」
ガラシャラはそう答えながら、さっとその少女を観察し思考を回す。
身長はガラシャラとベノーよりは拳一つ大きい位で、目鼻立ちは整っているが子供っぽさが残っていることから、何となく歳は近そうだと推測される。そして、それは遠からず離れていなかった。
「ふふ、自己紹介ありがと。ガラシャラとベノーね……よし」
穏やかな笑みを浮かべながら、その少女は紙に名前を書き留める。そして、少女は再び顔を上げて口を開いた。
「さ、もうすぐ最初の説明が始まるから、ここで待っててね」
「あぁ、分かった」
これで会話は終わったと、少女が離れかけたその時、ふとガラシャラは思い立ち、声を掛けた。
「アンタ、俺たちと歳が近そうだな。それなのにそっち側の人間なのか」
少女がぱっと振り返る。
よもやこちらが声を掛けられるとは思わなかったのか、少女は出会ってから常に浮かべていた落ち着きのある表情から、僅かに目を見開く表情へ変える。そうして、少し思案顔を浮かべた後、言葉を口にした。
「んー、そうねぇ。確かに年齢は近そうだけど、これでも私は十三歳よ。つまりは学院生。今日は軍主催の民兵訓練だから駆り出されたのよ」
後、私優秀だからと、少女は一言付けたし、イタズラっぽい笑みを浮かべた。その笑みに、不覚にもガラシャラはドキリとしてしまった。しかし色恋沙汰のことなど経験も、ましてや知識すらほとんど無い少年であるガラシャラには、この胸の僅かな高揚が何なのかはまだ分からない。
「アンタ、名前はなん……」
「時間だ。訓練の説明を開始する。少年兵らは速やかにこちらに集合せよ」
と、ガラシャラは少女に名前を聞こうとした瞬間、筋骨隆々の軍人がお立ち台に上がり、野太い声を全体に掛けた。シスターの穏やかな声掛けとは違う、強かで厳格な大声に、自然と心が引き締まる。
「あ、始まるわね。ほら、あっちよ。いってらっしゃいな」
「……あぁ」
少女にも促され、ぞろぞろと子供たちが集まっている開けた場所に向かう。ベノーは相変わらずオドオドしていたので、ガラシャラは彼の手を引っ張っていった。
その去り際。
「私はサニラ。サニラ・カンファニアよ。医療班にいるから、怪我したら来なさい?」
危うく聞き逃しそうになるほどサラリと。だが確かにガラシャラの問いへの返答。
ガラシャラはそれに無言で、手を軽く上げて応答し、訓練への、未来への第一歩を踏み出した。
子供達はまず、二つの集団に分けられた。闘気と魔力。軍人が持参した魔道具を用い、それら二つの内、より適正の高い方へ割り振られ、集団ごとに訓練を施すためだ。そしてガラシャラとベノーは闘気組に割り振られた。
ガラシャラは分かれ際、さっと見渡してみると、明らかに魔力組より闘気組の方が多かった。そして厄介なことに、闘気組には……。
「あ!? ガラシャラ! ベノー! お前ら何でいるんだよ!?」
アーサとロロを後ろに、ギードが二人を指差して大声を上げる。その声に周囲の子供の視線が集まり、また教官の眉も顰められるが、本人は気付いていない。
「何でって、訓練しに来たからに決まってるだろ」
ガラシャラは素早くベノーを背中に隠し、わざとらしく呆れた顔を作って、ずれた返答をした。
いつもなら、この生意気な態度に腹を立てて乱暴をけしかけるだろうが、ここには大人の眼もあることから下手な真似はしないだろうと踏んのだ。そしてその目論みは上手くいき、ギードは久しぶりに顔を真っ赤にしているが、直接的なことは何もしなかった。それに加え、教官が訓練場へ向かうから黙ってついて来いと言ったのも何事もなく終わった要因の一つだった。
「ガ、ガラシャラ~」
ベノーは小さな声で先ほどの行動を諫めようとするが、ガラシャラはどこ吹く風。寧ろいい気味だと内心で舌を突き出していた。
そして、そうしている内に一行は施設内の訓練場へ到着する。そこは均した土で大きな長方形を形作る多用途な広場だった。そこで先導していた男が振り向き話し始める。
「私はこの闘気訓練の責任者、グロウバンだ。では早速、訓練を行う。だがその前に、まずは簡単な講義から入るぞ」
グロウバンはそう言って、助手にある物を持ってこさせた。それは木製の案山子であり、通常の畑に建てる様な細いものでは無く、ガタイの良い男を模した訓練用の案山子だ。
「今から行うことをよく見ておけ。お前たちがこれから学ぶモノを派手に教えてやる」
そう言うや、グロウバンは構えを取る。すると、全身から黄色の湯気の様なモノが立ち上がりだし、全身を包む。そしてそれだけで終わりではなく、さらに体を覆う湯気が厚みを増し、また爆発的にグロウバンから放たれる威圧感が上昇した。どこからともなく、子供達の誰かが喉を鳴らした音が流れる。ガラシャラもまた、じっとりと妙な汗を掻いていた。
「これが、闘気だ。闘気を纏った人間は爆発的に身体能力が上昇する。丁度……」
グロウバンがすっと腰だめに拳を構え、案山子に向き合う。
「このように」
一瞬、グロウバンの体がブレる。少年たちの眼には、瞬きする間もなく拳を放った状態で静止する男の姿が映っていた。そして、正面にあったはずの案山子がバラバラに砕け散っているのも。
「すげぇ……」
誰かが呟いた。思わず口から零れた言葉だろう。それはたった一人分の声だったが、明らかにこの場にいる少年達の心中を総括した言葉だった。
そんな充分に闘気の力を思い知ったであろう少年達の表情を確認したグロウバンは、強かな口調で講義を再開する。
「無論、闘気を学べばすぐさま同じことが出来るわけではない。闘気の出力と量、あるいは運用する技術は修練でのみ磨かれる。では、始めよう。アルバ、ドーン、手筈道理に」
「ハッ」
「了解です」
グロウバンが背後に控える軍服の男二人に呼びかける。すると二人は心得たとばかりに頷き、子供達の名前を呼び始めた。
そうして呼ばれた子供は散り、それぞれ三人の教官の下へ集まった。
ガラシャラとバーンはグロウバンに、ギード達はアルバに付き、ついに闘気の訓練は始まった。
「まずは己の中にある闘気の素を感じ取る訓練だ。これは闘気を操る術の最も基礎的な部分でもある。目を閉ざし、身体の中心に意識を集中しろ。開始!」
ガラシャラ達はまばらに散って立ち、一斉に目を閉じる。
(身体の中心に意識を……)
時々聞こえる子供特有の高めの呻き声の中、力の源を必死に探る。すると……
(あった……!)
微かに感じた異質な熱。ガラシャラはこれが闘気の種火だと直感的に察した。それを逃さない様にさらに意識を集中させ、手繰り寄せる様に表へ表へと意識する。
「ほぅ、驚いたな……」
ふと、厳つく低い声がガラシャラの頭上から降ってきた。それに気を取られつつゆっくりと眼を開けると、今度はガラシャラが驚く番だった。
「これが闘気……?」
視界が薄く黄色掛かっていた。ゆっくりと体を見渡すと、明らかに自分が黄色い靄に包まれているのが分かる。
「あぁ、まだ弱いが紛れも無く闘気だ。まさか一日目にして纏える者が出るとは思わなかったな、お前には才能がある」
グロウバンは肯定する様に頷き、ガラシャラの才能を認める。ガラシャラは遅れて気付いた、内から湧き出る力に口元のゆるみが抑えられなかった。
(これだ! ここから始まるんだ!)
噛みしめる様に拳を強く握る。今まで弱者だった自分を置き去りに、より強者へ、より高みへ、自分が歩き始めたことを強く強く実感したのだ。
そして事実、ガラシャラの物語はここから始まった。