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キスと弾丸  作者: 蒼治
3 伯爵令嬢婚礼事件
46/53

11

「ああ、一応宴席は終了になったようだ。湖畔の屋敷に宿泊する人々が最後の馬車に乗って移動するんだろう」

「まあ、ジョン、急がなくていいの?」

 ソフィアは思わず立ち上がってしまう。ジョンも湖畔の屋敷に宿泊するはずだ。だがジョンは先ほどまで繋いでいたソフィアの手をまた握り、ベンチに引き戻す。


「僕も湖上の城に泊まる事になった」

「え?」

 唐突な言葉に思わず聞き返してしまう。

「昼間は湖畔の屋敷に宿泊って言ってなかった?」

「変更した」

「そんなに簡単に変更できるものなの?」

「アーサーの部屋のベッドが一つ空いていたからねじ込んでもらった」

「アーサーと一緒の部屋!」


 ソフィアにとっては驚天動地である。けして仲良しとはいえない相手であるアーサーと一緒の部屋に泊まるなど、ジョンは一体どうしてしまったというのだろう。

「いつのまにそんなに仲良くなったの?」

「仲良しではない。苦渋の決断だ」

「どうしてそんなにこっちに泊まりたいの?」


 ソフィアの問いに、ジョンは隠すことなく冷ややかな、とんでもない間抜けを見る視線をよこした。ついでにため息までつく。


「それだけで嬉しい時もある」

 ソフィアにはさっぱり分からないが、ジョンにとっては非常に重要かつ分かりやすい問題のようである。

「そうなの……。あまりこちらに方に迷惑かけてはだめよ?」

 ソフィアはそう一応ジョンに礼儀を促す言葉を付け足した。


「でもそれならまだ、話が出来るのね」

「そうだな。湖畔の屋敷に宿泊する人々は帰ったが、宴席が終わったわけじゃない。希望者には酒や茶くらい出るだろう。静かになっただろうし屋敷内に戻ろう」

 まだ春先の夜に、確かに少し冷えてきた。ソフィアは頷いて、二人で城内に戻る。さすがにエイミーはもう眠ってしまっただろう。


 そう思ったソフィアだったが、城内に戻ってすぐ、唖然とする光景を見つけた。

 エイミーとチャールズが廊下に置かれた長椅子に座って話をしていたのだ。というか、一方的にチャールズが話をしている。


「エイミー!」

 ソフィアが声をかけると、エイミーはほっとしたように小さな笑顔を見せた。チャールズも二人に気がつきこちらに顔を向けた。親しげに立ち上がったチャールズが酔っているということは近付く前から分かった。


 ふらふらと全身がゆれ、足元がおぼつかない。上機嫌に彼は二人に手を振る。エイミーに不埒な態度をとっているのかと思い、すわ拳か!といきりたちそうななったソフィアだが、彼が本当にただ、エイミーを口説いているだけだとわかり心の拳を下ろした。


 もちろんそれも迷惑な話ではあるが、チャールズの態度からはいやらしさは感じられない。おそらくこのチャールズ・ギャラガーという青年は、心底女性にもてるのだろう。だからこそ自分が興味を持たない女性に対しても余裕をもってふるまえる。


「やあやあ、ソフィアじゃないか」

「僕のことは見えていないのか」

 チャールズの言葉にすかさずジョンが口を挟んでくる。

「見えているが興味が無いねえ。男の顔はあまり覚えないんだ。もしかしてギャラガーの商売にとって大事な相手かも知れないが、男なら兄貴が大事にしてくれるさ。弟の役目は兄貴に粗末に扱われる女性に優しくすることなんだ」


 ふーらふらと揺れながら、チャールズは愛想よく、しかし焦点があってない目で笑った。あまりにも核心に迫った言葉にとっさに声が出ないまま、ソフィアはエイミーを顔を見合わせた。

「別にヘンリー・ギャラガーにはなんの興味もないが……」


「チャールズさん」

 エイミーはどうやらさきほどからずっと繰り返していたらしい言葉をいい加減飽きた様子で言った。

「とても酔っているようよ。大丈夫?もうお部屋に戻られたほうがいいと思うわ」

「君はとても優しい人だなあ、エイミー。いいお嫁さんになるだろう、でも俺は結婚するつもりはないんだよ、ごめんね」


 エイミーではないソフィアは数分でさじを投げたくなる。よくもこんな戯言につきあってられるものだとエイミーの根気に感心してしまう。

「ヘンリーの様子を見ていれば、結婚なんてものに絶望しかないね、それを何度もやるんだからヘンリーは相当忘れっぽいか、自分を痛めつけたいかのどちらかだ。一度目の結婚で十分懲りただろうにねえ」


「……なにがあったんですか?」

 ソフィアは、一歩踏み込んだことを尋ねていた。チャールズはむにゃむにゃ言いながら、長椅子のエイミーの横に座った。だらしなく背もたれに寄りかかり、今にも眠ってしまいそうだった。最初はどんな相手か分からず多少警戒していたらしいジョンも、すでにあきれ返っている。

「一度目の結婚のときになにがあったの?」


 とろんと閉じかかった目を薄く開き、チャールズは面倒くさそうに何事かを呟く。少し耳を近づけたエイミーだが諦めたように首を振って立ち上がった。

「寝ちゃったみたいよ。こんなところで大丈夫かしら」

「大丈夫じゃないかしら。目立つ通路だし。そもそも自分の屋敷でしょう。それよりもエイミー、一人にしちゃってごめんなさい」


「特になにもなかったわ。チャールズはお喋りだけど、私のことをすごく褒めてくれたわ。そういうのも悪くないわね。君は可愛いとか声が素敵だとか手が美しいとか」

 エイミーは思い出して楽しそうに笑う。チャールズはううんと寝言のように呻く。

「そんなこと言われたことないけど、ちょっと嬉しいわね。本気じゃないのよこの人。たぶん全ての女の人に言っているのよ」


「なんだか羨ましいわ。わたしも言われてみたかった」

 お調子者で、考えは足りなさそうなチャールズだが、気立ては悪くないのかもしれない。

「ソフィア、君、そんなことを言われたいのか?」

 ソフィアの何気ない一言に反応したのはジョンだった。心底驚いた様子だ。

「あら、褒められて嬉しくない人はいないでしょう?」

「ジョンも言ってあげたらどうかしら」

 誰に、とは言わなかったが口を挟んだエイミーの目はきらきらと好奇心で光っている。


「ちゃんとそう判断した時は言っている」

「あら、ソフィア!言われていたの?」

 エイミーは目を丸くしてソフィアを見た。まさかそんなことを言われているとか想定もしていなかったといわんばかりだ。ソフィアは一瞬「ジョンは何を言っているのだろう」と思ったが、そういえば確かに何回か言われたことがあったと思い出す。


「ジョン、あれは本気だったの?」

「僕が今まで冗談を言ったことがあったか?」

「なかったわ!」

 ソフィアは思わず叫んでしまう。

 ではジョンの言葉は今まで本気も本気だったということか。


「本気だったんだ……」


 その言葉を言ったのは、ジョンではない。長椅子でだらしなく横たわりぼんやり目を開いているチャールズだった。

「本気で愛していたんだ、ヘンリーは。義姉さんのことを。一番最初の妻をね」

 かすれるような声でチャールズは呟いた。まるで夢でも見ているかのような頼りない言葉だった。

「義姉さんて」


「どうして義姉さんはヘンリーを裏切ったんだろうなあ。どうしてヘンリーの大事な息子を死なせてしまったんだろうなあ」

 チャールズは目を閉じた。最後にでたとんでもない告白に、今度は三人で顔を見合わせる。ジョンがソフィアを本気で褒めていた件はふっとんだ。


「最初の奥様に何があったんです?」

 チャールズは、夢の中にいるようだった。多分、彼は夢の中でしか、こんなことを語れなかったのだろう。ヘンリーが最初の結婚をしたとき、彼はまだ十代の……下手すればほんの子供だったはずだ。彼の恋愛観に影を落としているのはヘンリーの最初の結婚であったのだと思うと、ソフィアにもふとチャールズへの同情心が浮かぶ。


「義姉さんは、浮気していたんだ。たぶん遊びだったんだと思う。身分の低い男だったから。でもその間、ほんの数時間だったんだけど、その間に俺の甥っ子は屋敷の池で溺れて死んで」

 なんでだろう、ともう最後にまた呟く。

「……一体なにが」

 ソフィアの問いにエイミーが反応する。


「本当に言うとおりなのかしら。ヘンリー・ギャラガーの最初の奥様は、自分の子供を……」

「わ、わからないわエイミー。わからないことを口にすることはやめましょう」

 ソフィアもそれだけ呟いた。

「チャールズ」

 ゆっくりと呼びかけると、チャールズのまぶたは一度震えたがそのまま眠りに落ちていってしまった。謎ばかりを残して。

 今度こそ本当に寝入ってしまったようだった。


「部屋に戻りましょうか」

 このままチャールズが起きるまでここにいるわけにはいかない。彼の介抱を通りかかった使用人に頼むと三人はその場を離れた。

 城内に人もほとんど見なくなっていた。

「そういえばアーサーはどうしているのかしら」

「まだ起きていると思うわ」

 エイミーは思い出したようだった。


「さっき、カードゲームに参加するっておっしゃって、何人かの男性達と通って行ったから」

「ジョンはいいの?」

「人付き合いが苦手だと何度も言っているだろう。カードゲームは強いが」

「あら、じゃあジョン、今度私とゲームしましょうよ。私もね、結構強いのよ?」

「そうなの、エイミー、初めて聞いたわ?」

 ふふっとエイミーは意味深に笑う。

「意外な趣味を持っていたりするものよ」


 そんな雑談などを交わしながら、三人は宛がわれた客室のある三階フロアの奥までやってきた。階段から先は通路が違い、ジョンとはそこで別れる。

 階下からはまだ起きている人々の遊興を楽しむ声が聞こえてくるが、客室に入ってみれば静かなものだった。


 客室は今までの城内の、白を基調にした色彩とは異なり、深い茶からなる落ち着いた雰囲気でまとめられていた。ソフィアはなんとなくようやく息がつけたような気がする。

 今までの白ばかりの室内は、まるで無理やり「幸せだ!」と耳元で怒鳴りちらされているような強い主張を感じていたからだ。


 エイミーと二人で寝る仕度を整えて、寝台にもぐりこもうとした時だった。

 扉の外で人の気配がして、小さなノックの音がした。

 その頼りない穏やかな主張に、首をかしげながらエイミーが扉に近付く。まさかライオネルでは、と一瞬緊張したソフィアだったが、扉が開いたときにはなんだと肩の力が抜けた。

「ブレイク様、グリーン様」


 入ってきたのはクラリッサだった。美しい彫刻がかしこにほどこされたカートを押して入ってくる。カートには湯気の立ち上がる金属のカップと、綺麗に切り細工が施された果物が乗っていた。

「奥様からです」

「イヴリンから!」


 エイミーと顔を見合わせて、ソフィアはベッドから降りてそちらに近付いた。

 金属のカップにはホットワインが注がれていた。そして一通の手紙も添えられている。慌ててソフィアはそれを封筒からだし、寄り添うようにしてのぞいているエイミーと一緒に読み始めた。


『今日はほとんどお話できなくてごめんなさい。でも二人が来てくれて本当に嬉しかったわ。ヘンリーも私も人間的にはとても未熟だけど、なんとか二人でだんだん幸せになっていけたらと思うの。頑張るわ』


 それが本心かどうかはわからなかった。

 学生時代のイヴリン、逃げ出してきたイヴリン、招待状のイヴリン、そしてこの手紙のイヴリン、すべてがばらばらな印象だった。それがヘンリーに強いられてのものなのか、あるいは本当に前向になっているのかわからない。


「クラリッサさん」

「クラリッサで結構です」

 彼女は微笑んだ。

「イヴリンは幸せそうかしら」

 ヘンリーの使用人である彼女にこんなことを聞いてなんになるだろうと思ったが、思わず問いかけてしまう。この女中のまったくいない城内で唯一彼女だけが、女性だ。それはヘンリーにもイヴリンにも深い意味があるのではないかと思う。


「……私にはわかりません」

 ありきたりの返事、それで終わるかと思ったが。

「でもイヴリン様は今までの奥様とは少し違う気がします。彼女ならヘンリー様の心を変えられるかもしれません」

 女中の発言ではなかった。

 彼女もそれがわかったのかはっとして口ごもる。


「……過ぎたことを申しました」

「いいえ。でもあなたはギャラガー家に勤めて長いと聞きましたけど」

「ええ。ヘンリー様には小さい時からお世話になっています」

 話題が自分自身のことにうつって、クラリッサは少し安心したようだった。

「ヘンリー様は私の母にも親切にしてくださいました。本当は……」

 祈るように彼女は呟いた。

「本当はとてもお優しいかたなんです」


 ソフィアはエイミーと顔を見合わせた。

 先ほどチャールズが言ったことを思い出す。最初の妻が浮気をして、愛息子が事故死したという話。人一人が荒んでしまうには確かに十分な原因ではある。

 それでもイヴリンが痛めつけられていい理由にはならないが。


「……最初の奥様とは離婚なさったのよね」

 ソフィアに質問にクラリッサが戸惑う。彼女は間違いなく何かを知っているようだった。そしてそれを隠し切れない正直さも持っている。

「……最初の奥様がお亡くなりになられたことは残念です」


 それは恐ろしく不吉な言葉だった。

 病気か事故か……あるいは自死か。

 そして、もう一つの可能性は考えることすら怖い。


「……失礼します」

 クラリッサは弱弱しく微笑んで部屋を出て行った。扉の外の廊下をカートが遠ざかっていく音を聞きながら、ソフィアは自分が拳を作っていることに気が付く。

『青髭』

 そのあだ名が付くということは、最初の妻も、不審な死であったのだろうということは、想像に難くない。


 チャールズの語ったこととも重ねると、ヘンリーの深い悪意の底にある煮えたぎる憎悪の理由は予想できた。

 愛した妻が、自分以外の男と楽しんでいる間に大事な息子が死んだ。

 わが子の死が、親の運命をどれほど左右するかと言うことは、先日別の事件で、尊敬する教授の語ったことでも少しだけ知ることが出来ている。しかもその原因が裏切りであるのなら。


「ソフィア」

 エイミーが横で眠そうに微笑んでいた。それが彼女がソフィアを気遣ったのものだと言うことが分かる。

「温かいお茶を飲みましょう。こんな深夜に思いつめてもいいことはないわ」

 エイミーもイヴリンを心配していないわけではない。けれど彼女の穏やかな希望の持ち方は、いつも血の気が多くて無駄に悩むことの多いソフィアに安息をもたらす。

 ソフィアは頷いて、エイミーがカップにお茶を注ぐのを見ていた。


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