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キスと弾丸  作者: 蒼治
1 首都連続首切事件
3/53

3

「これでいいか」

 もう一つの椅子に勧められないうちからさっさと座ったジョンに、ヒューゴは茶と一緒に部屋の涼しい場所に置いてあったゆで卵を差し出した。

「ソフィアも食べるかい」

「……いただきます」


 よく考えたら朝からほとんど何食べていないことを思い出したソフィアもそれを一つ貰う。ぺりぺりと殻を剥いているとヒューゴは塩入れをテーブルの端においてくれた。ふと視線を感じて卵から顔を上げると、ジョンがソフィアを凝視していた。


「君はソフィアというのだな」

「あ、大した名前でもないので忘れてくださって結構です」

 もう関わる事は二度とないと願います、と心の中で付け足す。

「ソフィア・ブレイクだ。私の妹みたいなものでね。今国立医科大学校に在籍しているんだ。成績も君ほどでは無いが優秀だ」

 またしてもヒューゴの悪気のない言葉にやられて、ソフィアはむっつり黙り込んだ。


「ほう、女性で医科大学校在籍とはすごいな」

 いきなり本気で感嘆の声をあげたジョンにソフィアは度肝を抜かれた。

「すごいって……珍しい人ですね」

「なにが?」

「大体みんな、女なのにって顔をするのに」

「優秀ならば性別は関係ないだろう?」

 聞かれたことが逆にわからないという顔でジョンはソフィアを見返す。


「別にらしいらしくないとかではなく、己のしたいことをすればいい。しかも向いているんだろう、学問が。それは誇っていいことだ」

ソフィアはその言葉に、目を見開いた。本当に率直に、そんなことを言われたのははじめてだ。ソフィアの表情の変化には気が付く事が無いまま、ジョンは、ああ、と慌てて付け足した。


「そうそう、ソフィア・ブレイク。感謝する。このあたりの治安が悪いということは重々承知していたのだが、事件に巻き込まれてしまった。まったく『女性』にあんな無礼なことをするとは嘆かわしい世の中だ」

 ジョンの先ほどの言葉に、少し彼を見直していたソフィアははっと我にかえった。あの扮装で、自分は女性と間違えられて当然と思っているような変な人であったのだ。お前の女装は嘆かわしくないのかと問いたい。


「あの集団もスミスさんの顔を見ていたら相当事件だったと思いますよ」

「僕も腕には多少の自信があるつもりだったが、しかしこのドレスと言うものはなかなかの拘束着だな。腕を上げただけでいきなり肩が破れた。一歩大きく踏みだしたら裾を踏んで転んであのざまだ。世の女性達はどうやって破らずに生活しているのだろうな。きちんとサイズをあわせて作ってもらったのだが」


「仕立て屋はスミスさんが着ることについて何も異論を……?!世の専門職の職業意識の高さには驚かされるばかりですね……」

「しかしながらソフィアはそのドレスを破くことも無く華麗に奴等をちぎっては投げちぎっては投げしていたな。これはなんだろう、男女の骨格の問題か、それともシナバー患者ならばそういったことが可能なのだろうか」


「少なくとも二の腕の太さは骨格もシナバーもあまり関係ないと思うんですけど」

「ああ、そうだ、ソフィア。僕の事はジョンでいい。先ほど言っただろう。それにもうちょっと気さくに喋ってくれていい」

 あえて忘れていたのに、とソフィアは歯噛みする。


「でもね、名前で呼ぶのはもっと親しくなってお互いを理解してからでいいと思うのです。百年くらいかかりそうですけど」

「そして気になっていると思うので教えるが、僕がなぜあんな服装をしていたかというとだ」

「いやあまり気にしてないです興味ないです」


「いやあ……」

 唐突にヒューゴは惚れ惚れとした様子で呟いた。

「私はジョンとここまで会話を成立させている女性は久しく見ていないね。素晴らしいよソフィア。君ならばきっとどんな患者ともわかりあえるだろう」

「えっ、今、会話成立していました?!」

 ヒューゴの認識もちょっと変と思った時、ジョンが言った。


「連続首切り事件を知っているか?」


 さすがにそれにはソフィアも興味を持たざるを得なかった。

 それはこの首都でもちきりの事件である。

女性が襲われ首を切って殺されるという猟奇的な事件が、ここ三ヶ月ほどの間にすでに二件も続いているのだ。未遂もあわせれば三件となる。最初の被害者はただの人間であったことから当初はシナバー患者の仕業かといわれていたが二人目以降、二件続いてシナバー患者の女性が被害者となり事態は混乱していた。


 何よりも奇怪なことに、その死体からは全て血が失われていたという。


 特に特殊な訓練をつんだわけでもないソフィアでも人間と比べたら圧倒的な攻撃力を誇る。基本的に人間がシナバー患者と武器も無しに戦うのは大変難しい。かといってシナバー患者同士では、襲う理由も襲われる理由もない。患者同士の血は飲んでも意味がないからだ。

 被害者は全員女性。年齢は三十代から六十代までと広い。一人目のケイト、二人目のローズ、三人目のマデリーン。奇跡的に逃げおおせて助かった三人目の被害者の証言から、襲ったのは人間であるということだけがわかっていた。


「どうしてスミスさんがその事件を」

「『ジョン』」

 つい好奇心を押さえきれないのは悪い癖だ。ソフィアは苦々しい表情で言いなおして話の先を促した。

「ジョンはどうしてその事件を?」

「ちょっと関係者に知り合いがいてね。被害者は皆あまり治安のよくない場所で襲われている。だからこのあたりを調査していたんだ。もしかしたら間違えて僕を襲うかもしれない。そうしたら事件解決に役に立つ」

 ……この人ちょっと抜けている、とソフィアはため息をついた。


「そんな危ないことをして……。そもそも犯人はシナバー患者を中心に狙っているじゃありませんか。ジョンのことは襲わないのでは」

「でも相手が人間なら間違えることもあるのでは?」

「あ。ああそういうこと……でも危ないですよ」

 シナバー患者には、互いを見分ける能力がある。漠然とだが、普通に会話できるくらいに近づくことで、相手がただの人間か自分と同じシナバー患者かを察することができるのだ。昔は人間を捕食していたわけだからその能力は確かに必須だったであろう。間違えて同病者に噛み付いたら悪趣味な喜劇だ。


「でもそうなると、もしかしたら仲間にシナバー患者がいる可能性もあるわけだ」

 ヒューゴも口を挟む。

「私やジョンには誰がシナバーかなんてわからないから」

「でもわたしだって難しいですよ」

 ソフィアの言葉に二人は首を傾げた。


「だって、相当近づかないとシナバーかどうかなんてわからないです。誰がシナバー患者かは別に公開されているわけじゃないですし。それにわたしも普通に生きていて偶然知り合ったシナバー患者なんて一人くらいです。この大都市でシナバー患者を探すのは結構難しいと思います。……確かに、たまたま被害者のうち二人がシナバー患者なんていうのもちょっと偶然過ぎる気はしますが」

 それからソフィアは付け足した。


「なんにせよ、ジョンのしていることはわたしには理解できません。本当に危ないですよ」

 なんとなくどうかしていると思われる人だが、それでも人間として常識的な心配はしてあげることにした。

「なるほど」

 ジョンは手にしたゆで卵をじっと見つめている。腹が減ったと言っていたのにどういうわけかまだ殻さえ剥いていない。ソフィアはもう食べ終わってしまった。


「あれ、召し上がらないんですか?」

「殻を剥いたことがない、頼む」

「は?」

 目の前にひょいと差し出されて思わず受け取ってしまったそれとジョンを思わず見比べた。ヒューゴが慣れた様子で噴き出してから言った。


「まったくジョンは手がかかるなあ。初対面の女性にそんなことを頼んではいけないよ。私がやろう」

「い、いえ診療で疲れているヒューゴにそんなことをさせるわけには」

 ソフィアはぺりぺりと卵を剥き始めた。

 猛烈な美形で、どうやら相当賢いらしいが、やることはなんだか突拍子もない、自分の興味のあることには金も手間も惜しまない、それなのに卵を剥くのを面倒くさがる。

 これがジョン・スミスとソフィアの出会いだった。



 結局、ソフィアはヒューゴに自分のことを相談できずに、彼の家を立ち去ることになった。ジョンがいたせいでなんだか何もかも調子が狂ってしまった。

 ゆで卵だけでなく軽い夕飯までご馳走になって二人は一緒にヒューゴの家を辞したのだった。

 正直、出るタイミングをずらしたいと考えていたソフィアだったが、ジョンがソフィアを送るといい始め、ヒューゴもそれに乗ってきてしまったため断りきれなかった。大体自分のほうが明らかに強いのに送るも何もない。


 下町の道はそれでも飲み屋街まで出れば光が灯っていた。店の中からこぼれてくる嬌声や怒声などからは確かにここが柄の悪い場所だという事はわかるが、それでもジョンと無言で歩く二人きりの暗い道よりは百倍気楽な気持ちになれただろう。

 しかもここでジョンはとんでもない危険物を投げつけてきた。


「ヒューゴに脈は無いと思うが」

「……は?」

「ソフィアはヒューゴを好きなのだろう?」


 ヒューゴの言葉を思い出す。

『あいつを一度殴れたら爽快だろうな』…………ですね、とソフィアは全力で同意したくなった。

人の恋路に口を挟むなど失礼千万である。それはともかくどうしてそれがわかった、とソフィアは声を裏返らせて叫んだ。


「な、なんでそんなことを!」

「僕自身はまだ恋に興味を持つことができないが、そういった人間は多く見てきた。さかのぼればヒューゴも亡き妻シンシアに恋をしていた。そういう人種は大抵相手に向かう時、似た表情をとる」

「えっ、本当?それってわかってしまうものなの?」

「……まあカマをかけてみただけだ。正解とはさすが僕」


 またヒューゴの言葉を思い出す。『あいつを一度殴れたら爽快だろうな』。これはもしや神の言葉か、託宣か?特に信仰深くない自分だが、これはもう従って良い言葉じゃないだろうかとソフィアが思った時、少しだけしんみりとした声でジョンは言った。

「しかしヒューゴはまだシンシアを愛しているものと僕には見受けられるが」


 ヒューゴの亡き妻の名は、ソフィアの胸も締め付ける。嫉妬とかそんなものではなくただ純粋に悲しみとして。

 シンシアこそが、ソフィアの数少ない同病者の知り合いであった。直接話した事は一度しかないが、手紙でのやり取りはソフィアが田舎に住んでいた頃、シンシアが亡くなるまで続いた。確かにヒューゴの妻に相応しい優しい女性だった。シナバーであってもあっさり病気で亡くなってしまうのだと身に染みて感じたのも、彼女のことがあったからだった。外傷や毒には強くても病気には勝てない。


「……知ってます」

「ではなぜ好きになる?」

「恋心になぜなんて、変だと思う」

 ふうむ、とジョンが唸る。

「でもね、別に今はそういう気持ちじゃないのよ。ずっと優しくて、実のお兄さんみたいだったから憧れていただけ。結婚した時はそりゃあちょっと残念だったけど、シンシアもとても優しかった。だから嫉妬なんてこともないし。ていうか、出来ないわよ、二人は愛し合っていたし、わたしはその頃まだ十歳ちょっとの子どもだもの」

 ソフィアがヒューゴのところを訪れるのは彼が気がかりだからだ。ずっとシンシアの死から逃れられないようで。


「ヒューゴが幸せになるといいのにとは今でも思っている」

「そういうものか」

 ジョンが表情に乏しいことに気がついたのはそのときだ。端正な顔はあまり大きく表情を作る事はなかった。

「それで、ソフィアは今日はどこに泊まるつもりだ?家が火事にあったんだろう」

「は?」

 今度こそ、ソフィアは本気で息を飲んだ。


「なんで知って……」

「そんなこと見ればわかるじゃないか」

「どうして?ヒューゴも気がついていた?」

「いやヒューゴはぼんやりしているからわかっていないだろう。でも、ちょっと知人の家にやって来たにしては君の荷物は尋常では無い大きさだ。君の身なりから生活水準を推察するに、ほぼ全財産と思われる。全財産を持ち歩くなどよほど切羽詰った状況だ。そういえば、最初に会った時に僕を気遣って君が近づいたが、焦げ臭さが少し服から感じとれた。火事だな」

 他人に興味が無いような彼の異様な観察眼は驚きだった。


「ついでに言うなら火事は君の住まいではない。本当に燃えてしまって困窮すればあんな貧乏人でなく、もうちょっとちゃんと力になってくれそうな相手にまっすぐ助けを求めるはず。家族とか公的機関とか。そうしないということは、数日すればなんとかなるという状況では無いかと思うが」

「……家族は……」

「まあ君の家の事情など知らぬ。興味も無い。しかし君が困っているのならば、手を差し伸べなくもないが」

 どういうことかと、ソフィアはジョンを見た。


「しばらくなら君の寝場所の提供が可能だ」

「どういうことですか?」

「僕も今事情があって、ホテル暮らしだ。もう一部屋くらい借りてあげられる」

「ちゃんと躾けられた未婚の女性は知らない男性のところになど行きません」

「家ではなくてホテルだが?そして何を恐れる。世間体か?そんなものは黙っていればよいいだろう。もしなんなら僕は君の遠縁としておけば良い。そして実際僕が男として心配だということは君には無いだろう。誓って言えるが僕は君より弱い。おそらく君のデコピン一撃で死亡だ」

「言われなくてもわかります。よければ試してみたいです」

「ははは、まるで僕を殴りたいみたいだな。それはそれとして、手助けを嫌がる最後の理由は……そうだな、借りを作るのが嫌だという個人の信念かな?」


 そこでジョンは頷いた。なんとなく嫌な予感がする。

「では借りは即返してもらおう。首切り事件の調査を手伝ってもらいたい」

「手伝うって」

「ソフィアが今日目撃したように、僕は特別強いわけではない。僕を守ってもらいたいんだ。そうだな、期間は一ヶ月。ちょうど火事の後始末も終わることだろう」

 いかがかなとジョンは締めくくった。


「……もしかしてわたしの状況を察した時、ものすごく都合の良さそうな人間に出会ったとか思いませんでした?」

 隠し切れずに疑心暗鬼を口にしたソフィアに、ジョンは完璧な表情で微笑みかけた。美形の面目躍如とばかりのすばらしく魅力的な表情だ。これでころりとほだされない女はいないだろう。まあ彼の中身がわかりつつあるソフィアにはわりと効果はなかったが。


「人は皆、個をというものをもっている。誰も他の誰かのために存在しているわけでは無いだろう?それを都合がいいという言葉で片付けるのは、あまりにも安易だ」

 不思議な人だとソフィアは彼の顔を見上げた。長身のソフィアでも彼相手だと見上げることになる。朗々とした口調はまっすぐ伸ばされた視線と相成ってすばらしい物語でも聞いているような気分になる。急にまともなことを言い出したのは驚きだが。


「相手の不運につけこんで、己の望む方向に押しやって、そこで初めて『都合がいい』という言葉は使うべきだと僕は考える。そこまでやってはじめて身勝手といえよう。察しているだけではまだ甘い。ということで、身勝手全開で言うが、僕の都合のいい相手になってくれたまえ、ソフィア」

「……」


 まともなことを言っていなかった。

 別に彼は、自分が変わったことを言っているとは考えていないということが表情でわかって、ソフィアはめまいを覚える。この人、人格的にちょっとどうかしている。

 とりあえず、殴ろう、いつか。

 二発くらい。

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