戦乙女は恋をする 後
現実から目を背けるように、オレンジに染まる世界に目をやる。
美しい夕暮れ時の町並みは影を色濃くしていく。
ふと、校門に影を長くする二人がいることに気がついた。
校門を出ていくその人影に、頑張れよ、密かにエールを送る。
「出た。タイムスリップものの定番、過去の自分へのエール」
夏野が茶化してきたので「うるせーよ」とデコピンしてやった。
過去の自分達を見送ってから、俺と夏野は校門を出た。
本当なら絵画教室に行くべきところなんだろうが、今日は疲れきっていたのですぐに家に帰って熱いシャワーを浴びたかった。
「先輩! 家に帰るまでが主人公ですよ」
上機嫌に大手を振って歩きだす夏野の背中にため息をつく。
「お前は時々訳のわからないことを言うな」
空は分厚い灰色の雲に覆われていた。
さっきまで燃えるような夕焼けだったのに、今日は風が強いので天気が変わりやすいらしい。気温は低く、雪がちらついてもおかしくない雰囲気だった。
夏野はそんな曇り空を晴らすかのような明るい笑顔を浮かべてから、
「しゅわっち!」
再び鞄から前かけていた二千年の年号メガネを取り出し装着し、「解析ッ!」と叫んだ。
うわっ、頭おかしい子だ。
少しだけ距離を開けて歩く。
「ふむふむ。相変わらず能力に主人公補正がありますね。おっ、それとは別に新しいスキルが手に入ってますよ、これは……」
「なに?」
「USBスティックを一発で入れられるスキルみたいです」
「いらねぇ」
「いやいやけっこう重要ですよ。それはそうと、先輩。私のスキルもチェックしてくれませんか?」
緊張したように夏野はメガネをはずすとモジモジとそれを差し出した。「なんで?」と尋ねると、夏野は満面の笑みを浮かべて、「今回の冒険で私も成長したと思うんです!」とふんぞり返った。正直こんな道端で恥ずかしいメガネをつけるのはイヤだったが、夏野には色々と助けられたので、そのお返しをしてあげることにした。
メガネを受け取る。
「解析ッ!」
「別に叫ばなくても見れます」
知ってたが、気分の問題だ。
「あっ、なんか新しいの覚えてるな」
「ほ、本当ですか! なんてやつですか!?」
《ランクC 記憶を正しく紡ぐ者》
「これどういう意味?」
「それ……USBメモリを一発で入れられるスキルです」
悲しそうに呟いた。不満そうだ。やっぱりハズレスキルじゃねぇか。
冬枯れた街路樹がいくつも並ぶ河川敷をゆっくり歩く。
日はすっかり沈み、辺りはすっかり夜だった。
「でも、ま、先輩、気を付けてくださいね。ホラーやミステリーだと主人公補正が最期の最期で切れちゃったりするんでジャンル選びは慎重にしてください」
「ジャンルって……まだそんなこと言ってんのかよ。そんなもん無いって何回言えばわかるかね。それに仮にあったとしたらもっと平和なの選ぶよ」
「ほほー。たとえばどんなのですか?」
「例えば、そうだな。ラブコメ、……とか」
言ってから後悔した。街灯に照らされた夏野はいたずらっ子めいた邪悪な笑みを浮かべて、持っていたダサいメガネをポケットにしまった。
「先輩、好きな人とかいるんですかぁ? あ、上村さんですか? 下妻先輩かな。はたまた右田ちゃんか、わかった左門先輩だ! 」
「お前」
「うーん、なるほど、私ですかぁ、……えっ、私!?」
みるみると赤くなっていく夏野。
先ほどまでの勢いはない。
「え、え、え、嘘ですよね、先輩!」
「そんなしょうもない嘘つかないよ」
「え、え、えー。そ、そっかー。ふぅん、ど、どーしよーかなぁー」
にまにまと笑い、しどろもどろになった夏野は顔を真っ赤にし、その場にしゃがみこんだ。吐き出した息が白く染まってすぐに透明になっていく。
「おい、なに座ってんだ。行くぞ」
「……空気読んでくださいよ。先輩、冬花はいま猛烈に葛藤してます」
「なにに対してだよ」
顔をあげる。風邪を引いたみたいに赤くなっていた。
「先輩の告白に対する返事ですよ! 」
「告白? あー、そうか、まあ、そうだな。告白になるのか」
「え?」
「お前のことは好きだけど、だからどーしたいとかはないからなぁ」
手を差し伸べる。それを受け取って夏野はおちょぼ口で呟いた。
「なんですか、それ。好きだったら付き合いたいと思うのが普通なんじゃないんですか? もしかして先輩は私のナイスボディだけが目的なんですか?」
無い胸を強調し、体をくゆらせて夏野は少しだけ悲しそうに冗談めかした。それをカドがたたないように否定してから続ける。
「まあ、普通は付き合いたいとか思うんだろうけどさ」
手をほどこうとしたら、強く握られていて出来なかった。
「ほら俺ってわりとトラブルに巻き込まれやすい体質だろ」
「さすがに自覚はあったんですね」
「迷惑かけたくはないから、別に恋人になりたいとかはあんまり思ってないんだ」
「はぁー」
大袈裟なため息をこれ見よがしについて、夏野は言った。
「バカですねぇ、先輩」
「バカとはなんだバカとは」
「女の子は少なからずお姫様に憧れてるんですよ。悪役にさらわれてヒーローが助けに来るのを待ってるんです」
ピーチ姫が思い浮かんだ。あのさらわれる頻度は八百長を疑うレベルだが、そういうもんなのだろうな。
「少なくとも、冬花はそうです」
夏野は完熟リンゴのように真っ赤になって呟いた。
その時だった。
耳をつんざくようなブレーキ音が響き、俺たちの目の前に白いワンボックスカーが乱暴に停車した。
「?」
ドアが開かれると、深緑色したツナギと帽子を目深に背負った二人の男が降り立ち、止める間もなく、抵抗する夏野を捕まえ、乱暴に後部座席に積め込んだ。
「な、なに! 離してくださいっ!」
あまりに突然のことで呆然としていた俺は、慌てて男につかみかかったが、鳩尾に強烈な一撃を食らった。
「せ、先輩!」
涙ながら、叫んで夏野は連れ去られてしまった。
うずくまって小さくなっていく車を睨み付けながら、「展開はやすぎるだろ」と呟いた。