第七話 3つの指摘
夜の街を走る。後ろに誰かに追いかけられているのではないかと怯えながら、ひたすら足を動かす。
周りは人気はなく、街灯もないため月明かりだけが頼りだった。まだ気温は低く、吐き出した息は真っ白に染まる。
「なんだか映画みたいでいいな」山口は呑気に言う。「謎の宗教団体に監禁後、窓から飛び降りて逃げる。最後にはその宗教団体を俺ら二人で崩壊させるっていうのはどうだ?」
「うるせぇな。それより追手は来ているか」
「いや、まったく。もういいだろう」
乾は走っていた足を止めた。山口を降ろし、膝に手を置いた。冬の名残の寒さが火照った体を冷やしていく。その寒さが心地よかった。
少しの間息を整えるため、そのままの状態でいた。顔から落ちた滴がコンクリートに染みを作る。頭の中で走ったあとは歩いたほうが良いという情報が過るが、そんなことが出来るほどの余裕はなかった。ただ、足りない酸素が身体が求めていた。脈と同時に頭がズキズキ痛む。
息が整う頃には、シャツに滲んだ汗が冷えてきっており、寒くて震えた。
シャツがへばりついて気持ちが悪い。
「それで山口、あいつらはなんなんだ?」隣で痛そうに自分の手足を眺めている山口に声をかける。
流れていた血は固まっており、鮮血は黒々とした色へと変わっていた。見ていることまで痛そうになってくる。だが反対に山口は本物はこうなるんだぁと他人事のように言っていた。
「そうだな。表現の方法はいろいろあるかもしれないが、宗教というのが一番しっくりくるかもな」山口は歩き出す。足は痛くはないのだろうか。
「それは坂下も言っていた」
「坂下?ああ、お前のバイト先か」と山口は頷く。「それで乾はどこまで知っているんだ?」
知っている情報を頭の中で噛み砕いて口にする。
「全てを見通す少女が自分の宗教に魔術師を誘っているってぐらいだな」
その言葉に山口は偉そうに腕を組み頷く。
「うむ。ま、そんな感じだ。だが、細かい点が抜けているな」山口は三本指を立てた。「まず1つ目だ。魔術師が誘そわれているといったが、少し違う。魔術師が惹かれていくんだ」
「惹かれる?」
「そう、惹かれるんだ。乾、魔術師の基本的なことだが、魔術を使う上で必要なのはなんだ?」
「自分の心の内の“魔”を見つめることだろう?」
魔術師は心の中に秘めている「魔」を術る者だ。うちに秘めている「魔」が大きいほど術師が使う魔術も強大なものになっていくのだ。
以前も書いたが、心の内に秘めている“魔”というのは、ネガティブな感情と言ってもいいだろう。これまでの人生で感じた後ろめたい経験であったり、嫉妬など醜い感情などが一般的だろう。
その“魔”が魔術のトリガーとなって発動できているというのが今の理論だ。
「百点満点だ」茶化すように拍手する鬱陶しい山口を睨みつけると、お~怖い怖いと言ってまた話し始める。「その少女は“魔”も見通せてしまうんだ」
「つまり自分の醜いところを暴露されたくなくて入ると?」それでは恐怖政治のようなものではないか。
「違う。そこを見られるというのは、一番見られたくないものを見られたというのと変わらないということだろう?」
「まあそうだな」
「だがそれが恥ずかしいことではないとか、それを許してくれるとなれば自然と惹かれていくものだ。強い部分を認められるより、弱い部分を認められる方が人間は嬉しいものだっていうのは分かるだろう?」
そうなのかもしれない。乾は頷く。
「つまり誘われていくのではなく、自分から入っていくと。そういう意味で宗教ということだな」
「しょーゆこと」
山口は花丸を指で空中に描く。いちいちリアクションが鬱陶しいやつだ。
「まるで詐欺師だ。宗教とはかけ離れている」
言葉を操り、相手にその気にさせる。神にもにた何かを崇高するというのは程遠い気がした。
「いや、これはカリスマ性というんだ。作られたカリスマ性、それが少女の武器だ」
信じられないな。乾は考える。
ロジックに煩い魔術師が、ただカリスマ性に惹かれ組織に入るというのは。
それにこれまでに乾自身カリスマ性というものを人から感じたことがない。人々がなぜそんなに容易く人に従えるのか。
「それで山口、2つ目は?」
「全てを見通す少女だな。精確には“全てを見通す魔眼を持つ少女“だ」
「ほとんど同じ意味じ、って魔眼!?」
「そうだ、魔眼だ。伝説の存在と言われたものを彼女が持っている」
魔眼、それは存在しないともされているお伽噺のようなものだ。存在する可能性は否定できないが、それでも確認されていなかった。
魔術で魔眼のような力を真似ることが出来るが、いちいち目を通さなくてはいけないので効率が悪い。それをするなら直接したほうがマシだ。
「嘘だろ?」乾は全く信じられずに目を丸くした。「推理小説のような観察眼の延長線上のようなものじゃないのか?」
ほんの少しのことで推理するという神業のような探偵の物語は、非常に有名だ。
「いや、本物だ。俺も信じられなかったが、知り合いで接触したやつがいたんだが、全て見透かされたと言っていたぜ」
「その知り合いは宗教に?」
「いや断ったよ。逆に怖くなって逃げ出したらしい」
乾もあの少女に会ったときのことを思い出してみた。
あの遊園地のことは非常に印象的であったため、すぐに、そして鮮明に明確に思い出すことができた。
「待て、山口。話を聞いていたら少女に危険性を感じないぞ」山口に魔法陣の写真を送ったとき、いますぐにげろとメッセージが送られてきていた。話を聞いていれば見透かすぐらいで全くの危険性を感じない。「なんであのとき逃げろって言ったんだ?」
「いやいやいや、目の前にいるだろ」爪が剥がされ血が固まっている手をこちらに向けた。「反抗する勢力には暴力的なんだ」
あ、ほんとだ。
しかし体全体中に走ったあの激痛は何だったのだろうか。
「そういえばその少女は俺のことが見えないって言っていたぜ」
「何?どういうことだ」
「あの娘が言うには、塗りつぶされたかのように見えないって言っていたが......」
山口は話すのをやめ、考え始める。
全てを見通す魔眼を持っているはずなのに、見えない。矛盾だ。
乾も少し考えてみたものの、全く思いつかなかったためにすぐ諦めた。なにより正直に行って全てを見通す魔眼ということすら信じきれていなかった。
山口もその矛盾を解くことができなかったようで、なにか不服そうにため息をついた。
「わからん」
一旦考えるのを辞めたようで、こちらに最後の指を1本立てて言った。
「3つ目だ。これが一番間違っている」
乾は固唾を飲み込んだ。
一番間違っているだと?自分で言ったことを思い出してみるが、そこまで間違っているように思えない。
目の前に真剣にこちらを見る山口は一体何を言おうとしているのだろうか。
「......なんだ?」
「あの少女、どうみても中学生ぐらいのように見えるが、俺らと同じ21歳だ。つまり少女ではなく、女性の方が正しい」
「一番どうでもいいことかよ......」
乾は大きくため息を吐いた。期待した俺が馬鹿だった。