第十七話 錦は語り始める
まじまじと乾は錦を見る。その表情は乾を誂っている様子もなく、至っていつもどおりで嘘をついているとは考えにくい。もしこれが嘘であるのならば、相当錦の性格が歪んでいるのだろうが、数年一緒の学び舎に居て彼がそのような人間でないということも乾は知っていた。悪いところを上げるとすれば、女癖が酷く悪いぐらいだろう。
今、神の目に入っているって言ったのか。自分の耳を疑うが、確かにその言葉は錦の口から発せられた言葉であった。
まだ乾は鼓膜に伝わり脳に届いた音の振動を咀嚼し飲み込むことができず、喉に支えている状況だ。頭の中で錦の言葉が反芻する。
言った本人は何深刻な表情をしているのかとケロリとした表情であったが、対する乾の表情は青ざめていた。
大学に入ってきたときに消えていった不安が急に込み上げてくる。何処にも安全な場所はない。そんな気がした。
錦は神の目の遣いで、俺が余計なことをしていないか見張りに来ているのか?
頭の中ではありえないと断定しようとしているが、僅かな不安がそうさせない。
教祖の家に行ったとき溝渕に会ったときはこれほど怯えはしなかった。それは相手が乾にとって明確な敵であったからだ。
今回こうなっているのは、仲間だと思っていた友人に裏切られたという絶望感からだ。
もしかしたら他にも......そう思うとさぁと頭の血の気が引くような感じがした。
「どうした、乾」
錦は明らかに様子が変である乾に気づき声を掛ける。
「な、なんでもない」しかし先程の声色とはかけ離れた乾の弱々しい声に錦は確信した。
その偽装された手を見て薄々は察していた。それに乾が来ていない間に山口にも会っている錦は、同様の偽装を目にしていた。
掛け方が同様だ。大体怪我をしたのであれば、こうやって偽装するより治すほうが遥かに早い。人の体に備わっている治癒力を増幅するのに魔力を使えばいいだけの話だからだ。中には魔力を使い肉体を作るほどの魔術師、いや治癒師も存在すると耳にしたことがある。
それなのに、わざわざ中身を変えずに外見だけ偽装するというのは難しい。偽装する部分に魔力の膜を作るようにし相手の目を誤魔化すというものだが、少しでも違和感を持たれてしまえばその偽装は解けてしまう。
魔術師がこの偽装を見破れるのは、その魔力に違和感を覚えるからだ。
そのためこのような偽装は使われることは少ない。
しかし、魔術師にバレても構わないからとしている場合がある。日々の生活の中で一般人には気付かれないようにし、尚且怪我の苦痛を与え続ける拷問のような場合だ。乾のような魔術が苦手な人間にとっては治せることが出来ないため、その手を見る度に酷い目に遭ったことを思い出すだろう。
乾と山口を痛めつけたやつには、心を圧し折ろうとする悪意があることがわかる。
なんて酷いことをしやがる。自分のことでもないのに、錦は確かな怒りを覚えた。
「大丈夫だ、俺は何もしない」
「ああ」乾は返事をするが、こちらを覗くように見る目は伺っていた。敵か、味方か判断しようとしている。
弱い乾には100%信じるということができない。それが彼にとっての生存戦略だろう。きっと乾が理由もなく信じれる人間は居ない。大学から仲が良かった山口でも無理だろう。多分、彼女ですら。
「俺もそんなことしている団体とは知らなかった。知っていたら入らなかった」錦は言う。「本当に何が遭ったんだ?」
乾は一度周りを見渡した。何を気にしているのかと錦も同じように顔を動かす。
周りにはいつものように退屈そうに取ったノートを眺めるものや、楽しそうに雑談をする二人、いつもと変わらない光景だ。
そうか、乾は他に神の目の人間が居ないか探っているのか。
錦が入っているのだから、他の大学生も同様にいる可能性があると疑っているのだろう。まあ居ないのだが。
「他には居ないぜ」錦は言う。それで乾に伝わったようだ。
「ああ」返事は曖昧だ。
錦と話し始めたときの乾とは違い、言葉には曖昧さがあり、言葉らしい言葉が口からは出てきていない。
動揺しているのだろう。自分が同じような立場になっても同じような反応を取る。
そして乾は口を開いた。
「なんで入ろうと思ったんだ?」
「魔眼の珍しさに」錦は即答する。「そりゃあ御伽話みたいなものを間近で見てみたいと思うのは当たり前だろう?」
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錦は入るまでのことを始めた。
入ったのは一ヶ月前程度だったか。まだ寒く桜の蕾が膨らみ始め、新たな季節の始まりを感じ始めた頃であった。
その時付き合っていた彼女から聞いたのだが、どうやら相手のことを調べずに過去にどのようなことをしていたか、そしてありえないのだが今考えていることまで言い当てる“神の目”を持った少女がいるらしい。別れてもう名前も髪型も忘れたが、魔術に精通してはいない女であったため、都市伝説を語るように話していたのを覚えている。
錦も始めは思春期に入り、妄想に浸った中学生がネットの掲示板に殴り書いた話なのだろうと一蹴しようとしていた。だが、彼女は見てきたかのように鮮明に話すため、疑問に思い聞いてみたのだ。
「それはどこで聞いたんだ?」
「えへへ、実は見てもらいに行ったの」
それを待っていました!!と言わんばかりの表情だった。錦の頭の中には、へのへのもへじが笑顔になっている絵が浮かんでいる。
「それで???ちゃんの頭の中も当てたのかい?」名前が思い出せない。
「うん!全部当てられちゃったっ!」
その後直ぐに錦は教祖、渡辺に会いに行った。どれぐらい直ぐかというと、午前に話を聞き、午後に会いに行ったぐらい直ぐだ。ちなみにこのときに彼女とデート中であったのだが、それをほったらかした。そのせいで錦は頬に紅葉のような手の跡を付け彼女にも振られたのだが、そんなこと些細なことでしかなかった。
始めはペテンだと思っていた。過去を言い当てることなら誰でも出来る。探偵を雇い、その身の回りを調べ上げたりすればいいのだから。だがそれでもペテンでその人の考えまで読めるものだろうか。歩きながら錦は考えた。長い間生活を共にし、相手の性格などを知り尽くしてもそんなことが出来るわけがない。それが初対面の人間の考えまで読み取るなんて普通に考えて、いや異常に考えてもありえない。人間にそんな事ができるわけがないのだ。
しかし魔術師の間にはこの言葉が付きまとう。
「ありえないことなんてありはしない」
科学が現代を支配している世の中で、魔術という非科学的なものを扱っている魔術師がいるのだから間違いない。魔術師になっていると魔術があるのが当たり前になっているため、時々忘れてしまうのだが。
ならそのタネは何だ。錦は自分に問いかける。自分が同じことをしようとしたときどうする?
錦の使う魔術は変わっている。魔術をかけた相手に本音を自白をさせたり、相手の思考を誘導させたりと他人を操るものばかりに特化していた。他にも使えるものはあるのだが、一番使いやすいものがこれなのだ。
それを錦は昔から人が何を考えているのか知りたいと思っていたからだと推測していた。
昔からよくモテた。気づけば隣には違った女の顔があり、その女が離れていけばまた女が近くにいる。一体この女たちは何を望んでいるのだろうか、不思議で仕方がなかった。ある意味それは呪いに近い体質だったのだろう。
考えても考えても、彼女らの考えはわかりはしない。理由を聞いても好きになったとか曖昧な言葉で濁し、その本心を見せはしない。その度錦は人の心を読めるようになりたいと強く思ったのであった。
きっと錦が同じことをしようとした場合、その自白の魔術を使用する。自白しているときの人は夢を見ているみたいに記憶に靄がかかり、自分が何をしていたのか忘れるため、同じようなことが出来るだろう。だがこれをした場合他の人間と一緒に居たのなら、ペテンであることが、そして魔術師であることがバレてしまう。宗教のような団体を作っているのだから、こんな手を使ったところで信者が増えることはないだろう。
そしてある可能性にたどり着く。魔眼なのか?
錦の歩くスピードがさらに上がった。目の輝きが増した。
魔眼なのか!魔眼なのか!!魔眼なのか!!!
文献を辿っても魔眼について詳細に書かれていることはなく、あるだろうと都市伝説程度の信憑性だったもの実在すると言われれば生きている間に見ておきたいに決まっている。きっとこれまでに魔眼を拝みたくても存在することがなく死んでいった魔術師は何万何千万といただろう。その無念を晴らすべく錦は早足でその魔眼を持っている教祖のもとへと歩いていった。この歩みは誰にも止めることが出来ない。同じ時代に生まれてきたことに深い感謝をして錦はその組織、神の目に向かった。
迎い入れてくれたのは信者の二人であった。
建物の中に居た優しげなおばさまや、若い人たちとは異なり、いかにも魔術師といった匂いがした。
血の匂いだ。
実際には血の匂いなんてはしない。だが、錦がそう感じたのは一人の、巨体に隆起した筋肉、四角に角ばった顔の男だ。身にまとう黒のスーツは肉体に張り付くようになっており、手には黒色の革手袋を身に着けている。これでは信者というよりボディーガードだ。
使用された魔力の痕跡が他の魔術師に比べ濃い。その魔力の痕跡に顰めそうになる顔を抑え、無理やり笑顔を向け爽やかな好青年を演じる。
「ここに考えていることを言い当てる超能力者がいるのだとお聞きしていたのですが......」




