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第十三話 渡辺羽結

 中に入ると、まず教祖は部屋の鍵を締めた。

 部屋は建物の半分の広さもあるが、散らかっているため狭く感じる。掃除の痕跡が見当たらない部屋だ。棚の上には埃が積もっており、脱ぎ捨てられた服が散らばり、食事の後の洗われていない皿が机の上に置かれている。それでもってパソコン机だけは非常に綺麗であった。机の下には高性能と思われるタワー型パソコンが青白く光を発し、机にはゲーミングキーボード、モニタが3台並んでいた。


 予想以上に引きこもりっぽい。というか完璧引きこもりの部屋だ。

 

 相手には戦う意志はないように「なにか飲む?」という言葉を聞いて少しホッとした。だが、その飲み物に怪しい薬が入ってないかなどは勘ぐるが、出されたコーヒーには何もなかった。あるとするなら濃くて苦かっただけであった。目の前で同じコーヒーを飲んで教祖も顔を顰める。お前もかい。

 

 目の前の教祖は部屋着のような伸び切った大きなシャツを着ており、そこには「教祖」といった崇高さが大きく欠如しているように思えた。

 

 「それで一体何のようだ?」乾は口を開く。

 「何のようってただ貴方と話がしたかったの」

 「何の話だ?」

 「別に、他愛のない話でも、貴方が体験した面白い話でも」


 予想外の返事が帰ってきて乾は間抜けに口を開いてしまう。

 ここまで溝渕に脅されてきたものだから、彼女の言うことが信じられない。疑いの目で乾は教祖を見るが、目の前の女性は楽しそうに目を細めるだけだ。

 

 え、話がしたいって、世間話?

 乾はてっきりというか、この前のことを考えれば交渉や、脅迫、そして今後の話などをするのだと考えていた。いや、そのような話をすると考えるのが当然だろう。

 

 なのにわざわざ、脅迫するような形で教団の本部に連れてきて、それで世間話?

 一旦落ち着こうとコーヒーを飲むが、強烈な苦味が口の中を襲う。

 

 「どうしたの?」

 その表情が面白かったのか、くすくす笑いながら目の前の教祖は言う。

 いつの間にか机の上には牛乳が置かれており、彼女のコップの中で白乳色の渦を作っていた。

 

 「い、いや。本当にそれだけの理由なのか?」

 「うん」

 

 ここまで純粋な目で頷かれると乾は何と返事すればいいのかわからなかった。

 目の前の教祖は何を言い出すのかとまだかまだかと待ちわびている様子。言っていることは本当なのか?だとしたらそんな理由で俺を呼び出したのだろうか。

 乾は未だ拭いきれない不信感を胸にいだきながら、当たり障りのない会話を始めることにした。

 

 「とりあえず貴女の名前を聞いていいか?」

 「渡辺羽結。羽を結ぶってかいてうゆって呼ぶの。貴方は乾優也でいいよね?」

 「ああ。それで渡辺、その牛乳をくれないか?」手元にある牛乳を乾は指をさす。

 「はい。あと羽結でいいよ」


 手渡される牛乳をコーヒーに入れる。これで苦味は和らぐだろう。

 

 「いや、渡辺のほうが気持ち的に呼びやすいからこっちで」

 「そっかぁ」渡辺は少し残念げに肩を落とした。


 本当にこのまま話が続いていくのか?俺をあれ程痛めつけた敵と?

 もう乾にはわけが分からなかった。

 

 ここでは安全と思っていいのか?いや、ありえない。

 「私に逆らえば貴方の大切な彼女に手を出す」という渡辺が発した言葉が脳裏で蘇る。


 そんなやつを信用していいのか?


 だがよく考えてみれば、全然口調が違う。

 渡辺の口調は、初めてであったとき、そして今は幼気に思える。だが、前あったときは理知的、いや冷たさを感じた。

 

 二重人格?それともあのときは教祖としての演技をしていたのか?

 様々な考えが乾の頭の中をぐるぐる回る。だが持つ情報量は少ないため答えにたどり着けるはずがなかった。


 「いま優也は今何を考えているの?」

 目の前でコーヒーを飲む渡辺の表情は、純粋に会話を楽しんでいるようにしか見えなかった。

 

 「いや、何を話せばいいのだろうかって」

 とっさに嘘をついてしまう。そうだ、目の前の女性はすべてを見通す魔眼を持つんだ。バレてしまう。

 だが、渡辺はそんなことわからないかのように「そうなの」と頷いた。

 

 「確かに私達は初対面、ってわけじゃないけれど、ちゃんと話したことないから何を話したら良いかわからないね」 

 渡辺は気まずいのか、それとも人見知りなのか照れているように言った。

 確かに以前にも会ったことは会った。遊園地のとき、そして戦った夜に。話せないのは、話したことがなかったからではなく、一度こちらは死を覚悟するほどに打ちのめされたからが、気まずい一番の理由なのかもしれない。


 「そ、そうだな」乾は縦に首を振る。やはり俺は見通せないのだろうか、それとも演技?

 

 乾はコーヒーに口をつける。先程のような苦味は和らいでおり、美味しく飲めた。

 目の前では渡辺も同じように丁寧に両手でカップを持ち、コーヒーを飲んでいた。だがまだ苦いようで、次は机の下に置いてあった瓶の中から角砂糖を取り出して液体の中に入れた。

 

 「なんで俺と話したいと思ったんだ?別にこのぐらいはここに住んでいる人でも良くないか?きっと喜んで話し相手になると思うぞ」


 まわりを見渡せば、窓もなく、この部屋に出入りできるのは、乾が入ってきた扉ただ一つ。だが鍵をかけられており、渡辺の許可がなければ入れないようになっている。乾からは自分から壁を作り、拒否しているようにしか見えなかった。

 

 渡辺はうんうんと頷く。

 「話し相手はたくさんいるのはわかっているの。けれどね、目のせいで見通せちゃうから」

 「相手の返事を?」

 「それもだけれど、相手の考えていることすべて」

 「なるほど、相手に話しかけなくても何を考えているのがすべてわかるから」


 渡辺は首を横にふる。 


 「それもそうなのだけれど、人を見るだけでそのすべてが分かっちゃうから、嫌なの」

 「いや?」

 「うん。相手の返事だけならいいのだけれど、相手のいいところもだけれど、悪いところも見えちゃうから」渡辺は俯きながら言った。

 

 なるほど、乾は納得する。

 渡辺には全てを見通す魔眼がある。全てを見通せてしまうのだ、卑しい部分も、醜い部分も。

 その部分を見つめながら話すのはどれほど辛いことなのだろうか。乾はわからなかった。

 

 なら目の前の女性はこれまでその人のすべてを見通せしながら過してきたのだろう。

 話す相手の醜さを見て成長し、自分の魔眼を神のように崇められ、崇拝される気持ちはどうなのだろう。

 それを考えると恐ろしくなる。それは暴力によるものではなく、人が必ず持つ悪意。


 暴力は振るわなければ恐怖は感じない。悪意は普通にしていればもっと感じない。

 

 

 「つまり、俺だったら何も見えないから、呼んだのか」

 「うん。何も見えないのは物凄く落ち着く。こんなに誰かと一緒にいて嫌な気持ちにならないのは初めて」

 

 こちらを見て笑う彼女の表情は、やっと救いを見つけた子供のようであった。

 これまでの悲しみ、そしてやっと救われたという喜び。そんな感情が混ぜ合わさった表情であった。

 

 乾はすごく同情していた。

 乾も同じような経験をしたことがある。だが、それほど大きな問題に出会ったことはない。なぜそんな気がしたのかはわからなかったが、心底同情していた。胸から、盃から溢れ出すこの感情の液体は、哀れみか。

 

 「分かった。ならこれから話し相手になろう」

 「ほんとっ!?」渡辺の表情は一瞬にしてぱぁと笑顔になる。


 「ああ、本当だ。だけれど一つ約束してほしい」

 「なになにっ!」

 「前言っていただろ?お前に逆らえば俺の恋人に手を出すと。それを辞めてくれないか?恋人だけでなく、友人も」

 

 これは無茶なお願いなのかもしれない。だが、それでもまわりには被害は出てほしくなかった。

 人質のように取られている華に、今回拷問された山口。

 だが、乾の想像を越して、渡辺は軽く「いいよ」承諾してくれた

 

 「え?いいのか」

 「いやなの?」

 「嫌じゃないが、え、いいのか? 前に脅しに使っていたのだから、断られる無理なお願いだったのだが」 

 「あのときは言ったけど、私にはそれほど興味がないから」

 

 本当に、興味がなさげに渡辺は言う。それに乾は違和感を感じた。

 

 「興味がない?待て、興味が無いのに山口を拷問したのか?」

 何かを聞き出そうとしたがために拷問したのではないのか?

 「拷問?何のこと?」目の前の渡辺は目を丸くして首を傾けた。

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