第一話 海に浮かぶ月を貴方と共に
水平線の向こうから吹く鋭く尖った冷たい風に、乾は顔をしかめマフラーで隠した。目の前には広大な漆黒の海、そして浮かぶ月に水面に映る月、そして波に追いつくように、追いつかれないようにはしゃぐ華の姿。華は乾とは違い、寒さをもろともせず楽しそうに走っている。
「なんで海なんだ?」乾は言った。
ここに来たのは、1時間前に突然「海に行こう」と華からメッセージが送られてきたからだ。こんな寒い冬になんで海に行かなくてはならないのか?と気が進まなかったが、それでも華が行きたいと思うのならそれなりに理由があるからだろうと考えたからであった。
「それはね......きゃっ! 冷たいっ!!」
声に反応してこちらに振り向いたとき、華の足はあっという間に返ってきた波に飲み込まれてしまった。華は冷たいようといいながら、後悔をするかのように波から離れてこちらに歩いてきた。
「それはね、今日が満月で、海に浮かぶ月が見てみたかったからなの」華は乾の横まで歩くと座り込み、靴と靴下を脱いで裸足になった。「うわ〜べしょべしょだ」
「それだけか?」乾も同じように華の隣りに座った。
「うん!ロマンチックでしょ?」
「まあ、そうだな......」
隣で濡れた靴下を乾かそうと必死に振っている華の姿はとてもロマンチックではなかった。でもニカッと笑う華の顔が月光に照らされ、すごく美しいと思った。潮風に吹かれてボサボサになった髪の毛、手に靴下を持っている間が抜けた姿でも。
「ねえ、優也君。変なこと聞いていい?」優也というのは乾の名前だ。
「なんだよ変なことって」
「ずっと聞いてみたかったんだ。もし魔法が使えたらどんな魔法がいい?」
「なんだそれ、突然だな。それって靴下を乾かしながら聞くこと?」
「いや、そうではないのだけれどね。人間って自分の力でできることって限られているじゃん」
「まあそうだな。空を飛ぶことも、永遠に生きることもできない」
「でも魔法は何でも出来る。人間ができないことをできてしまうから、その人が使いたいと思う魔法こそが人の姿を移していると思うんだ」
思いの外真剣であったため、乾は驚いた。そしてそこまで知ってどんな魔法が使いたいかを言わなければならないことに少しばかし重圧を感じ、考えてから口を開いた。
「それじゃあ、こんなのはどうかな?」乾は立ち上がり、ズボンについた砂を払った。
「その濡れた靴下を一瞬で乾かす魔法とか」
「なにそれ!」華はクスクスと笑いながらその全く乾く気配のない濡れた冷たい靴下を履き始めた。「寒くなってきたし、それじゃあ帰ろうか」
「ああ。帰ろう」
彼女の手を手に取り乾は歩き出す。
実は靴下ぐらい一瞬で乾かせる魔法、いや魔術が使えるんだけれどな。乾は気付かれないように靴から少しずつ乾かしながら思う。
そう、乾 優也は魔術師である。
この科学が発展し、魔術は物語だけでしか存在しない世界に、地下でこそこそと過ごす生き物のように生活する数少ない絶滅危惧種だ。
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都内にある大学の教室。何処とも変わらない教室の風景、変わりない人の群れ。置かれた安っぽい席で、人々の視線が集まる黒板も他の大学と変わりないだろう。変わっているとするのであれば、この教室は隠された地下の教室であり、ここの生徒たちは全員魔術に精通しているということだけだ。
「それで野乃崎さんとはどうなんだ?」隣りに座った山口が言った。
教室内では授業が終わったため、この後何処に行こうかと相談する生徒や、これからバイトで沈んだ表情をしている生徒の姿が散らばっていた。乾も周りとあまり変わらず、これからバイトに向かわなければならないので授業から開放された喜びと、働きにいかなければならない陰鬱とした気持ちがぶつかっていた。
山口というのは、男のくせに肩まである髪の毛をヘアゴムで後ろで止めてポニーテールにするという奇抜なヘアスタイルに、それメガネの意味があるのかと思わせるほどのレンズの小さい眼鏡をちょこんと鼻に乗せている、一見詐欺師のような胡散臭さがある男だ。
「どうって、変わりないが」野乃崎というのが華の名字だ。野乃崎華。それが乾の彼女の名前であった。
「そうじゃねーよ。やったのかって意味だ」
「まだ三ヶ月だぞ、やってない」
「はぁ、だからお前は二十歳超えても童貞なんだ」
「どうでもいいだろ。んでお前はそんなくだらない話をしにきたのか」少しイラッとしたため棘を含んだ口調になってしまう。
「違うんだな。お前知ってるか?環状線の落書きを」
「落書き?」
「おう、変哲もないただの落書きだが、どこかしら魔術めいた雰囲気があって誰かが大魔術を発動しようとしているって噂があるんだ」
山口はスマホの画面をこちらに向けた。スクリーンに写っているのはここから近くの地下鉄らしき景色と、その壁に書かれた落書き。スプレーで描かれているようで、ド派手な配色に、その真ん中にはよく見る五芒星が描かれていた。スライドしていき、いろいろな角度からその落書きを見ていき、山口の無駄にキメ顔の自撮り写真が出てきたところでスライドする指を止めた。
「上手いな。特に五芒星を囲む円が綺麗だ」乾は率直な感想を述べる。
「そこが魔術っぽさがあるだろ?」
「確かに」
魔術師の魔法陣を書くときには必ず円を書く。とにかく円を綺麗に書くことは基礎中の基礎である。きっとその点で山口は気になったのだろう。
「んで俺はこの大学の中に犯人がいると考え捜索しているというわけだ」
「おいおい、そんなことしている暇があるならレポート書けよ。お前再提出だったのだろう?」
「だからだよ。この落書きから謎を解いてレポートを書くつもりなんだ」山口は俺を指差す「俺の助手として一緒にこの謎を解こうとは思わないかい、ワトソン君」
「断る。生憎俺はレポートは通っているし、お前とくだらない落書きを調べるつもりもない」
指された指を本来曲がらない方向に向けてやる。いてててっと山口はすぐに指を引っ込めた。
「なんだよ。どうせ野乃崎さんともエッチなこともしないんだから、ちょっとぐらいいいじゃん」
誂うように山口は言うが、その言葉で乾は少しかちんと来た。立ち上がり、荷物をリュックに入れて歩きだす。
「じゃあな山口。変なところに突っ込んで助けが欲しくなっても電話してくんなよ」
「乾悪かったから、手伝ってくれよぉ〜」泣き縋るように山口は近づいてくるが、足を早めて廊下に出た。
「付いてくんなって」
「親友を助けると思ってさ、お願い!!」なにか思い出したのか、山口はポケットから何か取り出した。「これ、遊園地のチケット二枚ある。これあげるからさ」
チケットを見ると、某有名な遊園地名が書かれており、そこそこ値段がかかるチケットだ。正直に言って乾が喉から手が出るほしいものだ。なんせ乾はあまり金が無い。それを二人分......。
「はぁ、わかったよ」乾は奪うように山口の手からチケットを受け取った。
「交渉成立だな」
作戦通りって言いたげながら笑顔を浮かべながら山口はスマホをいじる。すぐに乾のスマートフォンが鳴った。もちろん山口から送られてきた落書きの写真、そしてその落書きがある場所にピンが立てられた地図。
山口はそれじゃあ何かあったらよろしくな!っと言いながら去って行った。はあ、また余計な事に巻き込まれてしまった、なんて思いながら乾はため息をつき、そして華をどうやって遊園地へ誘おうかとスキップを踏みそうなほど弾む心を抑えながら廊下を歩いていった。




