14話──それでも助ける
録画してたガキ使が面白くてお腹が痛い。
夢を、夢を見ていた。
遠い、遠い昔の夢。
でもこれは俺の夢じゃない。いや、これは夢じゃない。
これは……記憶だ。知らない誰かの、昔の記憶。
俺は、ただ見てるだけに存在している観客だ。
じゃあ、あそこにいるのは誰だ? あそこで家族三人と楽しげに笑っている小さな女の子は誰だ?
──ああ、琴理なのか。
魔法使いの家系とはいえ、彼女の家庭は幸福に溢れていた。
厳しくも確かな愛情を抱いていた父親と、深い愛で包み込んでくれる母親。
魔法の練習は厳しかったけれど、父親が褒めてくれるのが嬉しくて、母親がご褒美に作ってくれるオムライスが美味しくて、琴理は魔法の練習に打ち込んだ。
月に一度は家族と一緒に遊びに出かけ、何不自由なく家族と一緒にいる光景は、俺には無いものでとても羨ましくて、眩しく見えていた。
『琴理も、あんな顔で笑うんだな』
幼いけれど、その笑顔にはたしかに琴理の面影があり、俺が初めて見た琴理の笑顔だった。きっと、今の琴理も笑えばあんな顔をするんだろうな。
幸福に包まれた家庭、眩しく輝く笑顔、それはずっと続くかと思われたが、突如として崩れた。
誰よりも深く琴理を愛してくれた母親が、病で亡くなったのだ。
原因が判らず治療の施しようがなく亡くなってしまった琴理の母親。突然の不幸に父親は深い悲しみに襲われたが、それでも残された一人娘の琴理のために気丈に振舞っていた。
だけど、まだ幼い琴理には母親の死は耐えきれなかった。
母を求めて毎夜泣き続け、時には母を探して街中を歩き回ったりして、その姿は痛々しくて見るのも辛かった。
父親が何度も死んだ事を説明しても琴理は納得せず……ついにある事件を引き起こした。
鶴貴の家が代々保管し管理している魔道書、それが収められている禁書図書館。まだ幼い琴理は、母親を取り戻そうと魔道書を求めてしまった。
鶴貴家が代々継承している魔道書を読み解く能力、それは琴理にも継承されており、琴理は禁じられた禁書図書館へと侵入し中に収められていた魔道書の暗号を読み解いた──いや、読み解いてしまった。
魔法を扱う技術も未熟で知識も浅い琴理が魔道書を読めば、当然暴走という結果が引き起こされた。
魔道書に記された魔法たちが制御を失い暴走し、琴理を吞み込もうとした時だった。
「琴理っ!!」
「お父さん!」
異変に気付いたのか、父親が駆けつけてくれた。
しかし既に魔道書の暴走は侵攻しており、痛々しい裂傷と鮮血が流れていた。
「痛い、痛いよお父さん! 怖いよ、助けて!」
「大丈夫、大丈夫だよ琴理、お父さんが助けてあげるからね」
魔道書から様々な魔法が解き放たれる中、それを恐れもせず体を裂かれながらも父親は琴理の手に握られている魔道書を取り、琴理を引き離して必死に暴走を抑えようとした。
だが、その為には再び魔道書に記されているものを読み解く必要があり、暴走状態の魔道書を読み解くのはあまりに危険であった。
一方間違えれば都市の一区画をも破壊してしまうものを、なんとか抑えようとして──。
「琴理、ごめんな」
見事に、暴走を抑える事はできた。
しかしその代償はとても大きく、父親は琴理の目の前から姿を消して、床には夥しい程の血の跡しか残っていなかった。
「お父、さん? どこに、どこにいるのお父さん、ねぇ、お父さんったら……」
悲惨な光景を目の当たりにして、琴理の理解は追いつかなかったのだろう。父親を探し、呼びかけてみても誰も答えてくれない。辺りを静寂が支配してしばらく、琴理は目の前の現状を理解してしまった。
「あ、ああぁ……わたしの、わたしのせいだ……わたしが魔道書を読んだから、わたしがお父さんに助けを求めたから……わたしの、わたしせいだ……わたしの、わたしの、わたしの……──あ、ああぁあぁぁああ!」
『琴理!』
心にヒビが入り、喉が裂けるほどに叫ぶ幼い琴理を抱きしめようとするけど、ここは彼女の記憶の世界で、この光景は再生されている悲劇。俺の手は虚しく琴理の体をすり抜けてしまった。
俺は何もする事ができず、琴理の心が壊れていく姿をただ見てるだけしかできなかった。
そこから映像は切り替わり、琴理の雰囲気はガラリと変わってしまった。いや、いつもの俺が知る琴理になっていた。誰とも関わろうとはせず、孤独である事を選んだ琴理に。
彼女の過去を見てしまった今ならわかる。これが琴理の選んだ償いかたであり、皆を守る方法なのだと。
誰とも関わろうとしなければ、自分を守ってくれる人間はいない。誰とも親しくなければ、助けを求めなくていい。自分は、助けられていい人間なのではないと。
あの悲劇から誰かに助けを求めるのも助けられるのもトラウトとなってしまった琴理はそうして周囲の誰からも距離を置く事で、孤独である事で自らの過ちを償い、皆を守ると決めたのだ。
『ごめんな琴理、俺が弱かったばかりに……』
彼女の心に抱えている傷を知った今、俺が感じたのは俺自身の弱さへの不甲斐なさと琴理への申し訳なさだった。
俺が弱かったばかりに、琴理の傷を抉ってしまった。彼女が見たくないと恐れていたものを再び見せてしまった。
それもこれも、全部俺が弱かったからだ。そのせいで琴理は抱え込まなくていい罪悪感に押し潰されそうになって、再び孤独の中へ戻ろうとしている。
彼女の記憶が終わると、視界が真っ暗になり体に肉感が戻り酷い鈍痛に襲われる。
目を開けようと瞼は鉛のように重く、しかし俺の手に確かな温かさがあった。
「──私は助けを求めても、助けられても駄目な人なんです。だから私を助けようとしてくれる御堂さんには感謝しています。私は、まだ助けられてもいい人間だって、そう思える事ができました。だから……っ」
琴理? その声は琴理なのか?
とても弱々しくて、今にもそこから消えてしまいそうなか細い声が聞こえる。
違う、違うぞ琴理。お前は助けられちゃ駄目な人間じゃない。救われる資格は誰にだってある。
──いや、俺がお前を助けたいだけ。ただそれだけなんだ。だからそんなこと言わないでくれ。
声を出そうとしても喉は開かず、手を握り返そうとしても指にすら力が入らない。クソったれ、動けってんだよこの体。
「──熾隼さん、私を助けてください……もう、独りは嫌です」
ほら、彼女がようやく本心を話してくれた。心からの願いを言ってくれた。独りにしないという、たったそれだけのささやかな想い。
このままいなくなってしまえば、今度こそ琴理は自分の心を殺して孤独となりずっと泣き続ける事になる。もう俺の手が届かない所にいってしまう。
喉がなんだ、今ここで喋れるなら後で潰れたっていい。
腕がなんだ、今ここで彼女の手を握れるなら千切れたっていい。
今ここで……動けよッ!!
「──まもる、よ。おれが、たすけるよ、ことり」
離れていく彼女の手を引き止めるにはあまりに弱々しく、溢れた音は風に乗って消えそうなほどにか細く、だけど彼女には届いてくれたようで、そこにいてくれた。
鉛の瞼を開けてみれば、まるでお化けでも見たかのように琴理は驚いた顔で固まっていた。こんな姿じゃなかったら笑ってただろう。
「うそ、熾隼さん、意識が……」
「ああ、くそ、邪魔くさいな」
「駄目ですよ熾隼さん! まだ安静にしないとっ」
口についてる変な器具を外して、体を起こそうとする。死ぬほど痛ぇ……。
身体中に激痛が走っているけど、それ以上に嬉しさがあった。
「にひひ、ようやく熾隼って名前で呼んでくれたな」
「え……あっ」
今まで他人行儀で名前を呼んでくれなかったけど、ちゃんと名前で呼ばれたのが嬉しくてちょっとの無理もできる。
指摘されるまで気付かなかったのか、琴理を驚きと恥ずかしさで顔をほんのりと赤く染めていた。
その顔が少しおかしくて、ちょっと吹き出す。
「ごめんな琴理、意識がない間どうやらお前の記憶を見ちまった」
「私の過去を……まさか共感魔術のパスが残って」
そういえば最初の授業で琴理と共感魔術をしたんだっけ。一度共感魔術をすると両者には微細な繋がりができると学んだけど、琴理の記憶を見たのはそれが原因なんだろうか。両者との接触や強い想いで何らかの干渉を及ぼすらしいが、うーん分からん。
「お前の過去を見たよ。幸せも、悲しさも、過ちも。お前は、誰かに助けられるのが怖かったんだな」
「見て、しまったんですね。私の罪を」
触れられたくない過去の傷に、琴理は途端に顔を曇らせる。誰だってそうだ、他人には触れてほしくない場所なんて一つや二つはある。
けど、それでも俺は琴理の傷に触れなければいけない。それで嫌われようとも、この子を守るために。
「酷い話ですよね。魔道書を管理しなきゃいけない鶴貴の人間が、お母さんを蘇らせるために魔道書を利用して、結局は暴走してお父さんに助けを求めて、最後の家族のお父さんすらも失って……あの狗噛さんとなんら変わらないんですよ」
隠す必要がないのか、琴理は弱々しく本心を零しはじめた。
俺はただその独白を黙って聞いていた。
「身勝手な行動でお父さんを殺して、そして今では熾隼さんも殺しかけました。熾隼さんだけじゃありません。ブリュハノフさんに坂蔵さんに富士杉さん、私を助けようとする人はみんな傷ついていっちゃうんです。だから私は、助けられても助けを求めても駄目なんです。そんな資格なんてないんです。みんな私のせいで傷ついて死んでしまうから。それがとても怖いんです……だからどうか、もう私を助けようとしないでください。痛くて、苦しいんです」
琴理の独白、縋るような願いを言われても、俺の心は決まっている。
「──助けるよ、それでもお前を助ける」
この言葉以外の選択肢を俺は知らない。
「助けられちゃ駄目とか資格がないとか、本心を殺して我慢した言葉なんかに俺は従わないぞ。しがらみとか償いとかそんな事なんか関係なしに、お前が心からどうしたいのか聞きたいんだ」
「っ……わ、わたしは、でも……」
「辛かったら、さっきみたく助けてって言えばいいんだよ琴理」
さっきのように独り言のような本心じゃない。
目の前に俺がたしかにいる状態で彼女の心からの言葉を聞きたい。
たった一言、その一言をいうだけで彼女を取り巻く過去やしがらみなんて一切取り払ってやる。
けど、その一言は彼女にとっては重たいものだろう。でも、彼女の心を現実にするためには言わなきゃいけない。俺は背中を押してやるだけで、肝心の一歩を踏み出すのは琴理自身だ。
長い沈黙が続くが、それでも俺は待っていた。
「…………──もし、まだ私に許されるなら、それを望んでもいいのなら……」
「うん」
「熾隼さん……助けて……っ」
「わかった。絶対にお前を助けるよ」
ようやく踏み出せた、小さな一歩。ようやく聞けた、琴理の本心。
暫く振りに訪れた安堵ゆえか、琴理の瞳からは次々と涙が溢れてきていた。
止めようにも止まらない涙と嗚咽をこぼす琴理の頭をそっと撫でて、胸元で優しく抱きかかえた。
琴理も嫌がらず胸元に顔を埋めて、しばらく病室は彼女のむせび泣く声が残響していた。