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ずっといっしょだよ

作者: 桜野 あかり

 五月のよく晴れた日、五年生になったばかりのあかりは立ち止まりました。

 ねこの鳴き声が聞こえた気がしたからです。

 そこは下校時にいつも通る、畑の横を通る道でした。見ると、畑に軽トラックが一台停まっていて、顔見知りのおじさんが荷台の横に立っていました。この畑の持ち主で、いつもあかりに気さくに声をかけてくれます。

 あかりは思いきって近づいていきました。

 近づいていくと、鳴き声はもっとはっきり聞こえました。

「あかりちゃん、こんにちは」

 おじさんが気がついて声をかけてくれました。

「こんにちは。どうしたの?」

 あかりもおじさんの隣に並んで、荷台をのぞきこみました。

「わあ。子ねこだ」

 ネズミ捕りの粘着シートに子ねこが一匹はりついていて、鳴き声をあげていました。

 こげ茶色の毛並みで、うっすらしま模様が見てとれました。

「物置で野良ねこが子どもを産んで、うるさくてしかたないから、ネズミ捕りをしかけて、捕まえたんだよ」

 おじさんの畑のすみには、クワやカマなど、道具をいれておくための物置小屋がありました。雨風も防げるし、野良ねこにはちょうどいいすみかだったのでしょう。

「お母さんねこは?」

「捕まらなかった子ねこを連れて逃げてったよ。全部の子ねこがネズミ捕りにひっかかるわけじゃないからね。けっきょく、捕まえられたのは二匹だけだ」

 母ねこがいなくては、この子ねこはどうなってしまうのでしょうか。

 あかりは迷いながらも、黙っていました。軽はずみに飼いたいなんて言ってはいけないのです。

 お父さんとお母さんは、「家では飼えない」と反対するでしょう。あかりの家には、すでにシフォンというメスねこがいたからです。

 前にも捨て猫を見つけて、お母さんに飼いたいと言ったことがありました。

 そのとき言われたのです。

「あかり、気持ちはわかるけど。家にはもうシフォンがいるでしょう。ねこには縄張りというのがあってね。新しいねこが来れば、シフォンが出て行ってしまうかもしれないのよ」

 大好きなシフォンが家から出て行くのはいやでした。でも、こんな小さな子ねこを放っておくのはもっといやでした。

(どうしよう・・・)

 黙りこんで、子ねこを見つめつづけるあかりのそばで、おじさんは話をつづけます。

「かわいそうだが、これから処分するんだ」

「しょぶんって、なに?」

「畑に埋めて、殺すんだよ」

 あかりの問いに、おじさんはお天気の話でもするように軽く言いました。

 あかりはびっくりしすぎて、何も言えませんでした。いつも優しいおじさんが、今日は知らない人に見えました。

 心臓がバクバクいっています。

 ネズミ捕りにくっついた子ねこの隣には、半透明の黒いゴミ袋があって、その中に小さなかたまりが入っているのが見えました。そのかたまりはもう動きません。

 子ねこの兄弟だ。あかりは思いました。

 子ねこは、声を限りに鳴いています。あかりには助けを求めているように聞こえました。

 あかりが何もしなかったら、この子ねこは死んでしまうでしょう。

 きゅっとこぶしをにぎりしめて、あかりは顔をあげました。

「おじさん、わたしがこの子を飼う」

 おじさんはびっくりした顔をしました。

「あかりちゃん。この子ねこは弱っているし、すぐに死ぬよ。悲しい思いをするだけだ。おじさん家にも子ねこが生まれたから、そっちの元気な子ねこをあげるよ。だからこいつはやめときな」

 あかりは断固として首を横に振りました。

「いいの。この子がいいの」

 粘着シートからはがしてあげたいけど、あかりではうまくできそうにありません。とにかく家に連れて帰ろうと、粘着シートごと子ねこを持ち上げようとすると、

「ちょっと待ちなよ」

 と、おじさんが止めました。

 おじさんは物置小屋にはいり、野菜の苗用のダンボールを抱えて戻ってきました。

「連れて帰るなら、これにいれていきな」

「ありがとう」

 あかりはダンボールに子ねこがくっついた粘着シートをそっと横たえると、大事に抱えました。

 大騒ぎしていた子ねこは、あかりがダンボールを抱えると、鳴くのをやめておとなしくなりました。紙のように軽くて、たよりなく感じられました。

「本当にいいのかい? すぐに死んで、悲しい思いをするのはあかりちゃんだよ」

「平気。おじさん、ありがとう」

 あかりはぺこんと頭をさげると、ダンボールを揺らさないように、でも急いで家に向かいました。



「ただいま」

 玄関のドアを開けると、甘い匂いが鼻をくすぐりました。

(今日のおやつはドーナツだ)

 あかりの家は一軒家です。狭いけど、庭もありました。玄関も庭も、いつも花でいっぱいです。お母さんが花が大好きなのです。

 あかりはダンボールを抱えたまま、そっとリビングダイニングをのぞきこみました。

 対面式キッチンで、お母さんがドーナツを揚げていました。

 どうやらシフォンは、ここにはいないようです。シフォンは外には出さずに、家の中だけで飼っています。二階のどこかでお昼寝でもしているのでしょう。

「あかり、おかえりなさい。手を洗ってきなさい。なにをもっているの?」

 お母さんが顔をあげて、あかりを見ました。

火を止めてエプロンで手をふきながらあかりに近づき、ダンボールをのぞき込むと、目を丸くしました。

「どうしたの。その子ねこ」

「畑でひろったの」

 お母さんはきびしい顔をして言いました。

「あかり、前も言ったでしょう。ひとつの家には一匹のネコしかいられないの。 シフォンが家出してしまうかもしれないわ」

「わかってるもん。でも、わたしがつれかえらなかったら、畑にうめるっていうんだもん。死んじゃうところだったんだもん」

 お母さんは困った顔をして黙り込みました。

 あかりは、畑であったことを必死に話しました。お母さんは口元に手をあてて考え込んでいました。あかりが固唾をのんで見守る中、数秒後ためいきをついて笑いました。

「しかたないかぁ。もう連れてきちゃったし。シフォンに見つからないようにしないとね。うまく仲良くなってくれるといいんだけど」 

「お母さん、ありがとう!」

 あかりは、ぱあっと顔を輝かせました。

 お母さんもねこが大好きなのです。子ねこを見捨てられるわけがないのです。

「よし、そうと決まったら、獣医さんに連れて行きましょう。この時間なら、まだ診療時間に間に合うわ」

「うん」

「でもその前に、そのネズミ捕りをどうにかしないとね」

 それからあかりとお母さんは、二人がかりで子ねことネズミ捕りシートの境目に小麦粉をまぶして、子ねこをはがしました。

 ネットで調べると、この方法がいいと載っていたのです。毛も抜けてしまいましたが、なんとかはがれました。

 あかりは藤製のかごにタオルを敷いて、子ねこを寝かせました。

 抱きあげると、まだ毛がぺたぺたと手にくっついてきます。顔の左半分にも、粘着シートが残っていて、まだらもようになっていました。触れると、骨ばっているのがわかりました。

「大丈夫。わたしが助けるからね」

 話しかけると、まんまるな目をあかりにむけてじっとしています。タオルでくるみなおして、あかりはお母さんと車に乗り込み、近所の獣医に出かけました。


 

 ささき動物病院は、シフォンの予防接種でいつもお世話になっているところです。夫婦で先生をしていて、今日は奥さんが診察をしてくれました。

子ねこを診療台にのせて、先生は体温をはかったりおなかを触ったりしました。あかりとお母さんは診療台の横で、その様子を見守っていました。

「生後二週間ってところですね。たぶん、オスでしょう。だいぶ衰弱していて、体温も低めです。粘着シートは、体内に入っても無害の洗浄剤をだしておきますので、それでおとしてあげてください。グルーミングをして、粘着シートを食べてしまう可能性があります。具合が悪くなるようなら、また連れてきてくださいね」

「先生、グルーミングってなに?」

「毛づくろいのことよ。ああ、もうはじめてるわ」

 子ねこは自分の体をなめていました。あかりは子ねこをつつきます。

「ねこさん、なめちゃだめなんだって。洗ってあげるから、もう少し待って」

「栄養剤をうっておきます。ただ、絶食状態が続いていたので、ご飯をあげるときは少量ずつにして、様子を見てあげてください」

 先生は子ねこの育て方というプリントをくれました。

「先生、ありがとうございました」

「せんせい、ありがとうございました」

 あかりとお母さんは、帰りにドラッグストアに寄って、ねこ用のミルクと子ねこ用のフードを買いました。子ねこ用の哺乳瓶は売ってなかったので、スポイトで代用しました。

 子ねこは疲れたのか、あかりのひざのうえでタオルにくるまれて、ずっと眠っていました。

 家に着くと、お母さんはむかし飼っていたウサギ用のケージをだしてきました。新聞紙をしいて、その上に汚れてもいい古いタオルをしき、肌触りのいい別のタオルをまるめて隅において寝床を作ります。ペットボトルに四十度に冷ましたお湯を入れて、それもいれました。暗い方が落ち着くとあったので、ケージの上にもタオルをかけます。

「まだ自分で体温調節が出来ないから、寝る前にもう一度ペットボトルのお湯を入れ替えるのよ。夜、この子が寒くないようにね」

 ケージは二階のあかりの部屋におくことにしました。

「部屋を変えたくらいじゃ、においでわかるだろうけど。やらないよりましよね」

 お母さんは心配そうでしたが、あかりはシフォンよりも子ねこのほうがもっと心配でした。

 ねこ用のミルクを温めて、スポイトであげました。子ねこは、最初はスポイトを嫌がっていましたが、ミルクが入っているとわかると、自分から飲み始めました。

「食欲はあるみたいね。自力でご飯を食べられるなら、大丈夫でしょ」

〝にゃ~〟

 カリカリカリ・・・

 そのとき、あかりの部屋のドアを引っかく音と、鳴き声がしました。

「シフォンだ!」

「おなかがすいたのかしら。あかり、シフォンを部屋の中に入れたらだめよ」

「わかってるよ」

 あかりは子ねこをケージにいれると、掛け金をしました。

 お母さんがドアを細く開け、廊下に出ようとしました。

「あッ、シフォンだめよ」

 しかし、すきまからするりとシフォンが部屋に入りこみました。

 シフォンは生後二年目になる真っ白な毛並みのメスねこです。横広の顔で目がまんまるで、美人だとよくほめてもらいます。おやつが大好きで、肉付きがよく、すわると鏡もちのようになりました。

〝なあ~ん〟

 シフォンは甘えた声であかりにすりよろうとし、ぴた、と止まりました。違和感を覚えたのか、あかりの服のにおいをかぎます。でも、それだけです。

(もしかしたら、うまくいくかも?)

 お母さんとあかりは目を見合わせると、うなずきあいました。

 あかりはシフォンを抱き上げてケージに近づきました。シフォンは鼻をひくつかせています。

「シフォン、あのね。今日、畑でこの子をひろったの。一緒に住みたいんだ。シフォンも仲良くしてくれるとうれしいな」

 あかりはケージにはいった子ねこ見せました。すると、

〝ふーーーッ〟

 シフォンは突如、のどの奥でうなり声をひびかせます。

 かみつこうとしたので、あかりは思わずシフォンを放しました。

「だめ、シフォン。仲良くしてよ」

〝シャーーーーーッ!!〟

 シフォンはケージに激突します。ケージがひっくりかえりそうになり、あかりがあわてて抑えます。

「シフォン、だめだめ! リビングへ行きましょう」

 お母さんがシフォンを無理やり抱き上げました。シフォンは腕の中でしゃにむに暴れます。

「いたたッ!」

 腕を引っかかれながらも、お母さんは部屋の外にシフォンを連れ出しました。廊下に出ると、シフォンはお母さんの腕から逃れて、奥の部屋へと走っていきます。

 大騒ぎの中、子ねこだけがきょとんとした顔をしていました。



「やっぱり、だめだったわね。最初は平気そうだったから、母性を発揮して、面倒を見てくれるかなって期待したけど。都合が良すぎたわね」 

 リビングのソファに座りながら、お母さんはためいきをつきました。

「うん、怒ってたね」

 あかりもお母さんの腕に薬をぬってあげながら、ためいきをつきます。

 お母さんの腕は、シフォンに引っかかれた箇所から血がにじんで、みみずばれがたくさんできていました。

「お母さん、大丈夫? 痛いよね?」

「平気よ。ねこと暮らしていれば、引っかき傷のひとつやふたつ、できてあたりまえなのよ」

 お母さんはしゅんとしているあかりに笑いかけました。

「大丈夫よ。時間はかかるかもしれないけれど、きっと仲良くなれるわ」 

「ただいまー」

「あ、お父さんが帰ってきた」

「まあ! もう七時過ぎてるじゃないの。もうそんな時間なのね。夕飯のしたく、なにもしてないわ」

 お母さんはあわてて立ち上がると、キッチンに向かいました。

 あかりはちょっと気まずくて、自分の部屋に子ねこの様子を見にいきました。数分後、お父さんがドアから顔をのぞかせます。

「あかり、子ねこを拾ったんだって」

「うん。お父さん。わたし、ちゃんと面倒みるよ」

 お父さんに怒られるんじゃないかと、あかりはびくびくしていましたが、お父さんは笑いました。

「お母さんからも聞いた。あかり、子ねこを助けようと一生懸命だったんだってな。えらかったな」

「うん」

 あかりはほっとして、うなずきました。怒られるかと思っていたのに、拍子抜けした気分です。

「ちっちゃいなあ」

「生後二週間だって」

 子ねこは部屋の中を探検中です。お父さんは子ねこをひょいともちあげます。

「顔にも粘着シートがついてるんだな」

「顔は洗えないから、どうしようってお母さんとも言ってたの」

「あかり」

 お父さんがふいにまじめな顔で言いました。

「一度面倒を見るって決めたんだから、元気になるまでこの子ねこは面倒をみよう。だけど、もしシフォンと仲良くなれなかったら、そのときはどうするつもりだい?」

 あかりは言葉に詰まりました。正直なところ何も考えていなかったのです。

「仲良くできるようにがんばるよ!」

 お父さんは厳しい顔のまま、首を横にふります。

「それだけじゃだめだ。お父さんは、子ねこに別の飼い主を見つけてあげたいと思う。子ねこのときの方が、引き取り手は見つけやすいから、期限は一ヶ月だ。一ヶ月、シフォンと仲良くなれるようにがんばってみて、それでだめならあきらめなさい」

「・・・・はい」

 いやと言える雰囲気ではありませんでした。あかりはうなだれながら、うなずきました。

 気分を変えるように、お父さんが明るい声を出しました。

「名前はもう決めたのか?」

「ううん、まだ」

 お父さんは、子ねこの顔を見て、にっこり笑いました。

「じゃあ、こいつはポマードにしよう」

「ええ!? ポマードって何?」

「髪の整髪料のことだよ。この顔の毛がぺったりしてるところなんか、それっぽいじゃないか」

「そんな可愛くない名前はいや。わたしがもっと可愛い名前をこれから考えるところなの」

「いいじゃないか。お父さんはポマードが気に入ったから、ポマードって呼ぶぞ。どっちにしても、仮の名前は必要だろう。なあ、ポマード」

 なんと、子ねこは「みゃあ」と鳴きました。

「ほら、返事したぞ。こいつも気に入ったんだ」

「そんなことないもん。もっと可愛い名前がいいんだもん」

 お父さんはあかりが何を言っても、機嫌よく子ねこをかまっています。こうなったら、早く可愛い名前を考えないといけません。

「あかり、お父さん、ご飯よ」

 お母さんが呼んでいます。

 こうして、子ねこの名前は「ポマード(仮)」になったのでした。



「お母さん、ただいま!」

「あかり、おかえりなさい。おやつは?」

「あとで!」

 次の日、学校が終わるとあかりは走って家まで帰りました。自分の部屋に直行して、ケージをのぞきこみます。

 眠っていたポマードは、あかりの気配を感じたのか、ケージにかじりついて鳴きだしました。

「はいはい。今、出してあげるよ」

 ケージから出すと、ポマードはあかりのひざにのってすぐにまるくなりました。

 お母さんがドアを細く開くと、体をすべりこませて入ってきました。シフォンが入ってこないように用心です。

「昼間、体を洗ったのよ。粘着シート、だいぶとれたでしょう? 疲れたみたいで、午後はずっと寝てたわ」

 言われてみると、毛が昨日よりふわふわしています。でも顔はぺったりしたままでした。

「顔は怖くて洗えなかったの。目の中に洗剤がはいったら大変だもの」

お母さんはあかりのひざの上でまるくなっているポマードを見て、目を細めます。

「あかりがいなくて、さびしかったのね」

「お母さん、おやつは自分の部屋で食べたい。ポマードと一緒にいてあげたいの」

「はいはい。わかりました。ドアしめとくわよ」

 あかりはポマードをなでました。寒いかなと思い、タオルをかけてあげます。

 おやつを食べる間も、宿題をするために勉強机にむかうときも、ずっと抱っこしたままでした。

 夕ご飯に呼ばれて、一階におりていくと、シフォンがいました。あかりを見ると、ぷいっと横を向いておしりをむけて座りました。

「今日もご立腹だね」

 あかりは悲しくなりましたが、お母さんは動じていません。

「しかたないわ。ポマードにやきもちやいてるのよ。シフォンにご飯あげなさい。今日は特別に猫缶にして」

「うん!」

 シフォンをつるなら、おいしいご飯です。あかりは猫缶をお皿にあけて、シフォンの隣におきました。

「ほら、シフォン。ご飯あげるよ。シフォンも大好きだから、家出しないでね」

 シフォンはあかりをちら、と見ると、そ知らぬ顔でご飯を食べはじめます。

「しばらくはシフォンにも特別サービスよ。あんまり口が肥えすぎても困るけど、家出されるよりはましよね」

 お母さんに抱っこされて、シフォンはゴロゴロのどを鳴らしています。その様子を見て、あかりはほっとしました。

 この調子ならシフォンも家出をせずに、そのうちポマードとも仲良くなってくれるかもしれません。

「ポマード、ミルクも飲んでるし。子ねこ用のキャットフードもあげたら食べたよ。これならすぐ元気になるね」

 ポマードは食欲旺盛だったので、日に五回与えるミルクと一緒に、二日目からキャットフードも少量ずつ与えるようにしていました。

 寝る前に体重を量っていましたが、少しだけ増えていました。

 晩酌中のお父さんが言いました。

「あかり、そういえばポマードって呼んでるんだな。なんだかんだ言って、気に入ってるんじゃないか」

 あかりはぐっと言葉に詰まりました。たしかに、いつのまにか違和感なくポマードと呼んでいます。

「お母さんは、ポマードでいいと思うわ」

「まだ、名前は考えてるところなの」

 負け惜しみを言いましたが、あかりもポマードでも可愛いかも、と思い始めていました。

「そう言いながら、最後はポマードで落ち着くんだろうな」

「きっとそうね」

 お父さんとお母さんは二人で笑っています。

 あかりは頬をふくらませながら、ご飯をほおばりました。

 


 異変が起きたのは、ポマードが来てから三日後のことでした。

 あかりが学校から帰ると、ポマードはいつものようにケージから出してアピールをしました。出してあげると、部屋の中を探検していましたが、急に物陰に移動してしばらくでてきません。

「ポマード?」

 のぞきこむとポマードはあかりのそばにまたやってきましたが、フローリングの床になにかが落ちています。ティッシュで拭くと、今までなかった水っぽいうんちでした。

 下痢でした。その日の晩になっても、下痢はとまりません。はかりにのせたら、せっかく増えた体重が来たときよりも減っていました。

 脱水症状になったら危険だというので、ミルクは飲ませましたが、あかりは不安でしかたがありませんでした。

「明日、お母さんがささき動物病院に連れていくから、そんなに心配しないの」

 あかりはうなずきましたが、不安はぬぐえませんでした。

 次の日の放課後、あかりが走って家に帰ると、ポマードはケージの中でタオルにくるまって眠っていました。

「先生に子ねこのときの下痢は、あまり良くないって言われたの。ビフィズス菌を出してもらったから、それを一日三回のませて。あとはこの子の体力次第だって」

 何日もご飯が食べられなくて、最初からあんなに小さかったポマードです。これで下痢になって体力が落ちたら、どうなってしまうのか。あかりは涙ぐみました。

 お母さんは明るく言いました。

「大丈夫。きっと良くなるわ。隣に座ったおばさんがね。ねこを連れていたのだけど、そのおばさんもポマードくらい小さい子ねこから成猫まで育てたんですって。ポマードは手足が大きいから、大きく育つでしょうって言われたわ。オスだしね。成猫になったら立派になって、このあたりのボスになるわよ」

 整腸作用のあるビフィズス菌とミルクを飲ませて、ポマードを寝かせます。

 ポマードはあいかわらずあかりのあとをついて回ろうとするので、あかりは移動のたびにポマードを抱っこしていました。

 


 下痢になって、三日目の夜でした。

 あかりはふと、目を覚ましました。

 時計を見ると、まだ夜中の三時です。ポマードが鳴いたような気がしましたが、部屋の中は静かでした。

(夢だったのかな)

そう思いながらも、なぜか胸騒ぎがしてベッドから起き上がりました。灯りをつけるとケージをのぞきこみます。

「ポマード」

 返事はありません。

(寝てるのかな?)

 いつもなら、あかりの気配を察して、起きてくるはずです。嫌な予感がして、あかりはケージをあけてポマードを抱きあげました。

 ポマードはぐったりしていました。あかりが抱きあげても、手足をだらんとしています。

「ポマード!」

 あかりが悲鳴のような声で呼ぶと、かすかに目を開けました。小さく鳴いて、また目をつぶります。手に伝わってくるぬくもりが、いつもより少ない気がします。

「お父さん、お母さん! ポマードが!」

 ポマードを抱きかかえたまま、隣にある両親の寝室へ駆けこみました。あかりはすでに泣いていました。

 お父さんとお母さんは、最初は寝ぼけた顔をしていましたが、ポマードを見せるとさっと緊張した顔になります。

「とりあえず、あかりの部屋にもどろう」

お父さんにうながされ、三人であかりの部屋にもどりました。

 お母さんがペットボトルに新しいお湯をいれてきてくれました。あかりはそれをタオルにくるむと、ポマードごと大きなタオルでくるんで、ひざの上で抱えました。

「こうすれば、少しはあったかいかな?」

 ささき動物病院の先生は、助かるかどうかはポマードの体力次第だと言いました。

(ポマードはきっと大丈夫)

 言い聞かせても、言い聞かせても、不安がこみあげてきます。

「ポマード、死んじゃうのかな。わたし、絶対に助けるって約束したのに。どうしよう、どうしよう」

 あかりは涙をぽろぽろこぼしました。

ポマードの毛並みに、涙がすいこまれていきます。

 そのとき、

〝にゃあん〟

 シフォンがドアのすきまから、部屋の中にすべりこんできました。

「シフォン、だめよ」

 お母さんの制止も聞かず、あかりに近づくと、ポマードの顔に鼻を近づけ、においをかぎます。そして、ポマードの額をなめはじめました。

「あッ!」

 あかりが声を上げました。ポマードが目を開いたのです。弱々しくではありますが、シフォンに顔をこすりつけます。

 それを見ていたお父さんが言いました。

「あかり、シフォンにポマードをあずけるんだ」

「でも……」

 あかりはためらいました。

あんなにポマードに敵意をむき出しにしていたシフォンです。いじめたりしないか心配でした。

「きっと大丈夫だ。ほら」

お父さんにうながされて、あかりはしぶしぶシフォンに場所をゆずりました。

 シフォンはタオルの中、ポマードの横にもぐりこむと、せっせとポマードの体をなめて、毛づくろいをはじめました。

 ポマードの表情が、こころなしか和らいだように感じました。かすかにのどがゴロゴロいっています。

「あとは、ポマードの体力を信じて、シフォンにまかせるんだ。あかりは明日学校もあるんだし、もう寝なさい」

 お父さんの言葉に、あかりはうなずきました。でも、心配で眠れそうにありません。

 けっきょく、二匹のそばで毛布にくるまって、見守ることにしました。

 翌朝、まぶしくてあかりは目を開けました。

 部屋の中は朝日で満たされていて、小鳥の鳴き声が聞こえてきます。

「寝ちゃった!」

 あかりはあわてて飛び起きました。時計の針は、六時三〇分をさしていました。

 いつのまにか、ベッドに寝かされていました。お父さんが運んでくれたのでしょう。

 ぱっとケージのほうを確認すると、ポマードとシフォンが昨日と同じ態勢で眠っていました。

 ケージ上部の金網部分ははずされていて、下の受け皿だけになっていました。そこにはモコモコの起毛毛布が敷かれていて、夜中のあかりの記憶よりさらに厳重に防寒対策がされていました。お父さんとお母さんがしてくれたのでしょう。

 あかりはケージの前にひざをつきました。

「ポマード」

 おそるおそる名前を呼びます。 

〝にぃ〟

 ポマードはぱちりと目を開けて、鳴きました。その声にシフォンももぞもぞと動き、目を半分開けると、ポマードの顔をなめはじめました。

〝にぃ、にぃ〟 

 シフォンに毛づくろいをしてもらって、ポマードは満足げな顔をしていました。昨日よりも、だいぶ元気です。

「ポマード、生きてる」

 ほっとしすぎて、また涙が出てきました。昨日の夜から泣き通しです。

「あかり、起きたの?」

 お母さんがドアから顔をのぞかせました。お父さんも後ろにいます。

「お父さん、お母さん、ポマード元気になってきたよ」

 二匹の様子を見せると、二人は顔をくしゃくしゃにして笑いました。

「よくがんばったわね。ポマード。シフォンをよくやってくれたわ」

 お母さんが涙ぐみながら、ポマードをなでました。

「猫の舌には、治癒力を増幅させる力があるのかもな」

 お父さんがしたり顔でうなずいています。

「シフォン、ポマードを助けてくれて、本当にありがとう」

 あかりになでられて、シフォンは目を細めてのどをゴロゴロならしました。

 あれから一週間、ポマードはすっかり回復し、下痢もおさまってご飯ももりもり食べられるようになりました。

 ポマードの体調が回復したとたん、シフォンの態度はまた冷たくなりましたが、ポマードはすっかり懐いたようです。シフォンが寝転がっていると、すかさずくっついて一緒に寝ようとします。

 シフォンに前足で押し返されても、猫パンチされても、めげずに何度もシフォンにすりよるので、最後はシフォンも根負けしたようで、一緒に眠るのでした。

 一週間もすると、シフォンはポマードがすりよってきても、そのままにさせておくようになりました。

 もう一週間たつと、二匹で行動するようになりました。ご飯もならんで食べます。

 寝そべったシフォンが、自慢の長いしっぽを横にふって、そのしっぽにポマードがじゃれついたりもします。

〝面倒だけど、しかたないから遊んであげてるのよ〟

 そう言っているようにあかりには思えました。

 期限まであと二日を残したある日、あかりはくっついている二匹をお父さんに見せて言いました。

「お父さん、ポマード、シフォンと仲良しになったよね。これなら、ずっと家にいてもいいよね」

 お父さんは苦笑して言いました。

「そうだな。この調子なら、平気そうかな」

「やったぁ!!」

 あかりは歓声をあげて、ポマードの両脇に手を入れて頭上高く抱きあげると、くるりと一回転しました。

 きょとんとしているポマードをぎゅっと抱きしめます。

「ポマード、ずっといっしょだよ」

 そんなあかりを、お父さんとお母さんは優しくほほえんで見ていました。

 


 一年後・・・

「ただいまぁ!」

 あかりは学校から走って帰ってきました。玄関に飛びこむと、ランドセルを放り出して二階の奥の部屋に向かいます。

「こら、あかり。静かにしなさい」

 お母さんの怒った声が追いかけてきます。

 奥の部屋は空き部屋です。ふだんは誰も来ないので、シフォンのお気に入りの場所でもありました。

 今、その部屋のすみには、毛布をひいたダンボールがおかれていました。

 足音をしのばせて、そっとのぞきこむと、シフォンが寝転んでおなかを見せていました。

〝みうみう、みうみう〟

 子ねこが3匹、重なり合いながらおっぱいにすいついています。

「わあ、かわいい!」

 一匹はシフォンと同じ真っ白、一匹はこげ茶色のしま模様、最後の一匹は白地に黒のブチでした。

 産まれて一週間です。そろそろ目が開きはじめる頃でした。

「あと少しで、ポマードが家に来たときと同じになるんだ。ポマード、こんなに小さかったんだね」

 あかりはかたわらにひかえているポマードを見ました。

 ポマードは立派なオスねこになりました。子ねこのときはぼやけていた、しま模様も濃くはっきりして、手足も太くなりました。

 キジトラ模様というのだと、図鑑で見ました。

 外には出さないようにしているので、近所のボスにはなりませんでしたが、家中をかっ歩する姿は、トラに似ている。と、あかりは思っています。

「ポマード、お父さんになった気分はどう?」

 あかりが聞いても、ポマードはそ知らぬ顔で毛づくろいをしています。

「あかり、そろそろ部屋から出なさい。シフォンの気が散るでしょう」

 お母さんが部屋の入り口から声をかけました。

「はーい」

 子ねこたちに後ろ髪をひかれつつ、あかりは部屋を出ました。

「ポマードは? いっしょに行く?」

 あかりが声をかけても、ポマードはダンボールの産箱から離れません。

「すっかりお父さんの顔をしてるわね」

 お母さんが笑いながら言いました。

「シフォンが妊娠してるってわかったときはどうなるかと思ったけど。シフォンにまかせてたら、全部自分でしてくれたもの。本能ってすごいわよね」

「姉さん女房ってやつだね」

「まあ、あかり。どこからそんな言葉を覚えてきたの」 

 シフォンはせっせと子育てしていますが、ポマードは少し離れた場所で見守っています。 

 かと思えば、子ねこがダンボールから脱走すると、首ねっこをくわえて連れ戻しています。

 お父さんねこが育児に参加するのはめずらしいことだと、あかりはささき動物病院の先生から聞きました。

 子ねこはもう少し育ったら、里親にもらわれる予定です。

 でも、あかりは今度はちっともさびしくありません。友達や親戚の家にひきとられるので、いつでも会いにいけるからです。

「ずっとずーっと、いっしょだね」

 あかりはにっこり笑いました。


 

                              おわり 


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[一言] 読ませて頂きました。 猫の世界にも姉さん女房が!なんて羨ましい、じゃなくて可愛らしい作品だと思いました。
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