プロローグ
プロローグ
ひとりでなんの課題もなく、過去に戻れたやつは、幸福だ。
よくある話だ。夏休み、大学生たちがレンタカーで海にドライブに行くことも。はしゃぎすぎて事故に遭ってしまうことも。運が良ければ車以外無傷で、運が少し悪ければ怪我をして、運が悪ければ死ぬことも。
よくあることなんだ。
俺たち四人は、全員、運が悪くて、全員死んでしまったわけだけれど。目新しい話でもなんでもないんだ。
でもね、ここで終わりだと、君たちに話を聞いてもらう理由がなくなるわけで。
まだまだ話は続くわけ。死んだのにね。
まさか誰も思わなかっただろう。死んでから、仲良し四人組の俺たちが憎み合うことなるとはね。
「うわあああああああ!」
トラックが、突っ込んでくる。俺たちの視界は黒く覆われる。
運転手の日吉に、お願いだから回避してくれと、最後まで願えたのかどうかも覚えてない。
俺は自分の絶叫で目を覚ます。周りは真っ白。天井も壁もなにもかも。
あああ、痛い、痛い、いた……くない?
自分の体を見ると、血一滴すら流れていない。無傷なのだ。
もしかして俺は運の良い人間だったのか?
怪我もしていないし、死んでもいない。そんな一瞬沸いた希望を打ち壊すほどに、次に辺りを見回すとそこは異常だった。
本当に真っ白なのだ。雪景色なんてかわいいもんだ。もはや、なにが壁でどこからが天井なのかもわからない。まっさらなコピー用紙の上にでも放り投げられたみたいだ。
「理生!」
俺の名前を呼ぶ声に振り返る。
この声は、日吉の声だ。
トラックが突っ込んで来た時に運転手だった日吉は、一番重症だったに違いない。俺は全身血塗れの日吉を想像して、振り向いたことを後悔したし、こいつが幽霊だというケースまで一瞬で描いた。
ところがだ。日吉もなにも変わらなかったのだ。服だってあの時そのまま。胸元に花柄のポケットのついた有名じゃないブランドのTシャツに、ジーンズ。汚れても傷ついてもない。顔も相変わらずの、なにかが惜しい腑抜けた三枚目。多分引き締めたらそこそこいける。
「お前なんで無傷なんだよ! どうやってトラック回避した! つうかここどこ!」
俺はこのサスペンス状態から一刻も早く解き放たれたくて、日吉の肩を掴んで捲し立てた。
日吉は人の好さそうな、しかし頼りない顔をさらに頼りなくさせて、うるうると目を潤ませながら「俺が聞きたいんだけど」と言った。
「理生! 日吉!」
新しい声がひとつ増える。でも、足跡は二つだ。
「爽真……春一郎も」
あの時、助手席にいた爽真、俺の隣にいた春一郎、二人も無傷そのものだ。なにも変わらない。
俺はいよいよ嫌な予感を抱き始める。運が良かったハッピーエンドじゃないぞこれは……。
想定できる説は二つ。
夢説か、俺たち死んだ説だ。
「後者が正解かな」
いきなり男四人のむさ苦しい場に響いた高い女の声に、寒さと痺れが背筋を走る。しかも、俺の心の中でつぶやいた声に答えてきやがったのだこの女! 偶然と呼ぶにはあまりにも難しい、良いタイミングで答えた。
カツカツカツカツ……近づいてくるハイヒールの音に振り返ると、そこに立っていたのは黒いスーツに眼鏡をかけた、色っぽい女の人だった。背が高くてすらっとしていて、出るところが出ていて、ひっこむところはひっこんでる。理想的なナイスバディのお姉さんだ。顔も贅沢すぎるくっきり二重にまん丸の瞳、鼻立ちも通っていて泣きぼくろがセクシーときた。
「どうも。神様です」
こんなことを言わなければ、ぜひとも声をかけてお茶をしたいと思う、そんな女性だ。
「神様って普通、真っ白髭のおじいさんじゃないの」
「春一郎、黙ってろ」
事態は恐らく深刻だが、春一郎を爽真がたしなめる光景は通常運転だ。
春一郎は天然だ。あほではないんだ。決して擁護しているわけではなく。ただ、場の空気が読めなかったり、いつもみんなとは違うところに着眼点を置いている、そんな奴。
「神様って、本当にあの神様なんですか?」
俺が聞くと、神様と名乗るお姉さんは微笑んだ。確かにこの笑顔なら女神の説得力がある。
「俺は、正義を司る神。現世からいらない人間を選定して、排除する仕事をさせていただいております」
自分のことを俺と呼ぶことにも驚いたが、そこではない。
俺はもう、訂正せずにはいられない。他の三人も言葉の意味を飲み込んだらしい。笑顔で恐ろしいことを言っているがこの女、正義を司る神っていうかそれって……。
「死神ってことですか?」
「またの名をそうとも言う」
恐る恐る聞く俺に、女は間髪入れずに返答してきた。
「俺たち、あんたに刈られたってことすか?」
短気な爽真は顔は見えないけど、恐らく額に青筋を立てて口をひくひくさせているのだろう。
「そうだ。一宮爽真」
名前を言い当てられて、爽真はぎくりと肩を跳ねさせる。
それから死神はひとりひとり俺たちを指差して、名前を言い当ててきた。
「星日吉」
「はっはい」
「宮古春一郎」
出席のように太一は答えて、春一郎は無言で手を挙げた。
「藍沢理生」
「う、うす」
最後に俺を指差したところで、彼女はその手を自分の肩に引き寄せて、首をくわっと掻っ切る手振りをして「お前ら全員、トラックにひかせて殺しました」と唇で弧を描いた。
さーっと血の気が引いていくのがわかる。
掴みかかって死神を殴ろうとできるのなんて、爽真ぐらいだ。
「おい、俺たちがなにしたよ、答えてみろ!?」
仮にも女の姿をしている死神の胸倉を掴んで怒鳴りつけることのできる爽真を、俺は心から尊敬しよう。
ちなみにこいつは柄が悪いが、別に不良ではない。不良たちによって、不良にさせられるタイプのやつだった。本人は健全に生きているのに横槍に答えてやっているうちに、不良のレッテルを貼られてしまった可哀想な男だ。
「したよ。お前らもう知ることができないから話してやるけど。羽村弓月が今、どうしてるか知ってるか?」
その名前に、俺の胸は刃物でえぐられたように竦んだ。
羽村弓月。俺たち四人の、高校一年生の時にクラスメートだった女子だ。
「今まで思い出しもしなかったよな?」
確かに、他のみんなはわからないが、俺は、彼女のことを思い出すことは今まで一度もなかった。
高校一年生……十六歳の一年は、俺たち四人と羽村が、出会って別れた一年だ。
「お前らが知ることもなかった、知る気もなかった、知りたくもなかった彼女の思いを、教えてやるよ」
彼女の思い。
俺は、知りたくなかった人間だ。
人によっては、俺たちは彼女をいじめていたともとれるだろうから。
羽村弓月。名前ですら呼んだことはなかった。こっくりさん。俺はそう呼んでいた。いつもにこにこ作り笑顔をして、こくこくと人の言葉に頷いてばっかいるから、こっくりさん。
また俺がそう呼ぶと、怒るでもなく、羽村は困ったように、悲しそうに、笑うのだ。
「今からゲームを始めるぞ。個人戦だ。優勝の賞品は、豪華だぞ」
新しいおもちゃを与えられた子供のように嬉々としながら、死神はとんでもなく残酷な提案をし始めた。彼女の名前が出た時から、嫌な予感しかしなかったんだ。
「蘇生だ。ひとりだけ、生き返らせてやろう」
この時の俺は、知る由もなかった。まさかあんなにも仲の良かった俺たちが、死んでからこんなにも憎み合うことになるとは。死ぬよりも辛いって、死んでるから言える。
「ゲームの内容は至って簡単。高校一年生の入学式に戻してやるから、一年間、もう一度高校生をやるんだ。そして、一年経ってクラスが終わったその日に、羽村弓月からの好感度が一番高い人間が優勝だ」
そして代わりに、俺の中でもかなりどうでもいい位置にいた彼女を、こんなにも愛することになるとは、思いもしなかった。
俺と隣にいた日吉は、釣り針かなにかで口を引き上げられたように、愕然とした表情をしていた。春一郎だけが、少し眠そうだった。
「ちなみに良いことを教えておいてやると、彼女からの好感度が生前一番ましだったのは一宮爽真」
「え」
爽真が驚いて思わず女の胸倉から手を離す。
「そして一番低かったのは藍沢理生、お前だ」
なんとなく予想していた事態だったので、自分が一番低いことに関してはしょうがないと腹を括る。だが、爽真が高いことは納得がいかない! なぜだ。彼女にあんなにも強く当たっていたこいつが一番なんて。俺の知らない時間と場所で、爽真と羽村の間でなにかあったのか。
「さあ、乗るか乗らないか」
みんなの顔を見るまでもなかった。
この誘いに乗って損することは、なにひとつない。この時の俺は、俺たちは、間違いなくそう思っていたから。
「乗るに決まってんだろ」
誰よりも早くそう言い放ったのはやっぱり爽真で、俺は果たしてこいつに勝てるのかと不安になる。さらに勝負の内容は女の子の奪い合いで……生憎、俺はそんなことをしたことがなかった。日吉もないと思うが、爽真や春一郎は確実に色恋沙汰には慣れている。そのくせ相手は羽村弓月で……今のところ、完全なる負け戦だ。
「全員気持ちは同じみたいだな。それでは飛ばすぞ。高校の入学式まで」
死神が指を鳴らす。俺は意識がなくなったことにすら気づかなかった。どんな感覚かって言ったら、寝落ちに近い。
次に目を覚ました時には、俺は十六歳になっていた。
こうして、俺たち四人はまた、十六歳の一年間をやり直すことになった。三人にとっては、人生最後の一年になる。
D組の問題児四人組として有名だった俺たちだけれど、そんなものは新しい過去では消えてなくなる。羽村弓月は地味な女だったけれど、どうしてこんなにモテるのかわからない女として、高校の七不思議になる。
そんな新しく始まる歴史を、俺たちはまだ知らない。