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もし神がいるなら  作者: 福竹
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見えない何か

 図書館から出ると周りから一切の光が消えた。

 学校帰りに寄って時間をかけて借りる本を選んだけれど、まだ日も落ちぬ時間であるはずだった。すると今度は世界がいきなり真っ白になった。少女Aは反射的に本を抱えた腕で目を覆った。雷だと思ったのだ。信じられないくらい厚い雲が地域を被って、世界を救えるくらいの電気が放たれたのだと。しかしいくら待っても世界は白いままで、予期した体の芯まで震わせるような轟音どころか何の音も聞こえてこなかった。

 恐る恐る目を開けるとそこは白い部屋だった。ベッド、机、椅子、冷蔵庫、洗面台、トイレらしき場所、それで全て。その家具はどれも真っ白で上から照らす光の強さに影さえ殆ど作らない。シンプルだとかお洒落というには生活感がなさすぎる。入り口も出口も見当たらない。そして広すぎる。

 だからAは死後の世界に来たのかもしれないと思った。図書館を出た瞬間に自分はもう何らかの理由で死んでいて、最後の審判を受けるための待合室に自分はいるのかもしれないと。元来空想家のAはよく分からない事態をあっという間に死を受け入れるための時空として一旦処理した。肩にかけた鞄も抱えた本もそれを持つ自分自身もしっかりとした質感があり、死んだという実感はない。でもこの映画の始まりのような現状を、一瞬にして現実と思っていた世界と入れ替わった非現実的な空間を納得するには、それが一番手っ取り早かった。

 このようにAは把握できない事態に身を置かれた時、取り乱さないようにまず自分を落ち着けるために取り敢えずの仮説を立てる癖があった。ただの思いこみを軸となるストーリーとして、それを否定または肯定する要素を見つけていくのだ。だが今回はそれが逆に彼女を取り乱させた。気絶だの貧血だのに憧れるのは誰にもあることだが、死というものはつかの間意識を失うそれらとは決定的に一線を画する取り返しがつかないものだからだ。

 Aは大きな声を出してみた。声は何度も跳ね返った後、壁に吸い込まれるようにして消えた。リノリウムのような材質の床には継ぎ目の一つも見当たらない。ただ静けさとあたたかみのない白だけがあった。それを見る心持ちは雨が降った翌日の青く冷たく見える夏の空を見るのに少し似て、だが寂しさのようなものよりも味気なさだけがあるようなものだった。

 彼女は声を上げ壁を叩き始めた。叩いた壁は重く響かず、彼女の体にずしんと振動を返すのみ。すぐに拳が痛くなった。でも止めはしなかった。自分はどうやってここへ来たのか、ここを作った人はどこから外へ出たのか。自分の死を否定するための何かを探すために。

 椅子以外の家具は床とぴったりくっついていて、釘やネジなどで止めてある場所はなかった。まるで白い石を内側から掘ったみたい、Aはその考えをすぐに改め、まるで3Dプリンターで作った部屋みたい、そう思い直した。床には埃一つなく、自分の足跡さえ残りはしなかった。


 二時間に渡る調査で彼女は冷蔵庫の中にあった水と食料、そして机の陰にいた一匹の蜘蛛を見つけた。黒と黄色の縞模様を持つ女郎蜘蛛だった。個体によっては腹部の模様が怖ろしい顔にも見えるそれは、脚高蜘蛛ほどではないにせよ彼女の恐怖対象であり、その存在はまったく何の慰めにもならなかった。だがそれがいる以上どこかに外から入り込める隙間か何かがあるという可能性があった。食料があったことを考えるとここはやはり生者の為の部屋かもしれず、であるなら空気孔くらいはあるかもしれなかった。

 もし無かったら、そう考えると急に息苦しくなった。今はもう殆ど収まったが幼児期は頃喘がひどく、息で痰が喉につまって味わったあの苦しみは思い出すだけで過呼吸になりかける。何度か大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けようとしたが、吸い過ぎかもしれないとまた不安になった。無駄に叫んでも貴重な空気を消費するだけだという気持ちと、それでも叫びたくてしょうがない気持ちがせめぎ合った。とりあえず餓死の心配は少し遠のいたのだし、部屋の広さから言って空気も取り敢えず数日は何も問題はないはず。そう自分に言い聞かせて僅か気分が前向きになったと思った途端、天井の照明がゆっくりとその明るさを落とし始めた。もしこのまま明かりが戻らなかったら、追い打ちをかけるように加わったその恐怖に彼女は力の限り叫んだ。ここにいます。誰かいませんか。助けて。でも照明は落ち続け、やがて部屋は本当に何も見えない暗闇になった。


 再びぼんやりと照明が灯り始めたのを見た時、ほっとする気持ちとまだ同じ夢の中にいるんだという気持ちが同時に湧いた。それでも光は、この部屋に来て初めて嬉しいと思えるものだった。殆ど眠ることは出来なかった。眠りかけても言いようのない不安で目が開いてしまい、そうするとまた頭の中で不安の一つ一つがグチャグチャに混ざり合って訳がわからなくなってしまうまで、訳の分からないどうしようもない状況にいる自分のことや、心配してくれている(泣いているかもしれない)であろう家族のことを考え続けることになった。時間がどれだけ経ったのかはわからない。時計は持っていなかったし部屋にもなかった。それも彼女をひどく不安定にさせることの一つだった。

 徐々に明るくなる部屋を見ていたらいつの間にか寝ていた。それほど長い時間ではなかったが、Aが起きた時照明は前日と同じように全ての雑菌を消し去ろうとするような明るさで部屋を白く染めていた。

 蜘蛛が天井の隅で巣を作り始めていた。イラストなどで描かれる蜘蛛は大抵外側に行くほど目が荒くなる。しかし女郎蜘蛛の巣は違う同じ大きさの長方形がびっしりと並ぶ目の細かい巣だ。より多くの獲物を捕まえて生きるために種として編み出した技術。でも、獲物なんていないだろうに、そう思いつつも巣が作られていく様をしばらく眺めた。彼女(大きさからして雌に違いなかった)だって生きることに必死なのだ。

 Aは怖いものに蓋をするよりも、詳しく調べることを好んだ。怖ろしいのは良く分からないものである、それが彼女の信条だった。どこかで教わった助けを呼ぶモールス信号のリズムで壁を叩き続けながら部屋を調べ続けた。机の引き出しで見つけた紙に冷蔵庫の中に入っているものを全て書き出し、食べる順番を決めた。もし自分が死んでいないのならば、生きるためにそれは必要な作業だった。なによりそういうことをやっている間はあまり不安を感じなかった。

 疲れると蜘蛛を眺めた。いつの間にか巣は出来上がっていて、主はその中心で掛かることのない獲物を待ち続けている。ひょっとしたら自分こそが彼女の罠にかかった獲物なのかもしれない。自分は来るはずのない助けを待ち続けてここで死ぬのだろうか。Aは蜘蛛を眺めながら自分の置かれている状況に至るまでの様々な物語を考えた。再び照明が暗くなり始めるとできるだけ楽しい話を考えた。もちろん不安で涙も流したが無理矢理にでも物語を考えているうちに眠りに落ちた。


 Aが考えるこの部屋からの脱出できる可能性がある場所は二つ、トイレに繋がっている下水管、そして電力を伝えるケーブルが走っているはずの冷蔵庫の床下。どちらも上にある装置を壊さない限り確かめることが出来ない以上、食料が底をつき始めたら最終手段として試してみようと思っていた。

 しかし三日目彼女は予定を繰り上げて冷蔵庫に突進し始めた。彼女は怒っていたのだ。

 予定表にしたがって食べるものを取り出そうと冷蔵庫を開けると中身が入れ替わっていた。食べかけだったものは真新しいものに変わっていたし、野菜や果物は昨日あったいくつかの種類が消えて、無かったはずのものが入っていた。改めて冷蔵庫の中を確認したが馬鹿みたいに頑丈な造りで部品の一つも外れることもない。暗闇とAの睡眠に乗じて入れ替えたのかもしれない。そんな気配は全く感じなかったが眠っていた時間がある限りあり得ないことではなかった。

 しかし方法などどうでもよかった。問題は自分がここにいることを知っている何者かがいるかもしれないということだった。何のためかは分からないが、知りながら自分を敢えてこの状況に留めている者がいるとしたら。その考えに彼女は大層腹を立て、墓石のように地面に突き刺さっている冷蔵庫をへし折ってやろうと体当たりし、部屋にある唯一の椅子を滅茶苦茶に便器に叩きつけた。始めからびくともしないであろうことは予想はついていた。椅子すら傷つきもしなかった。彼女はここに来てから初めて明るいうちから泣いた。

 これまで生きてきて初めて味わう感情の爆発が済むと少し落ち着いた。取り敢えず餓死の可能性はないのかもしれない、何者かの気が済めばここから出られることもあるのかもしれない。そう気休めに思うことができた。その間も蜘蛛は自分の巣の中心からまったく動かなかった。冷蔵庫にあったハムを小さくちぎって巣に投げてみたりはしたのだが結局それには興味を示してはくれなかった。


 七度目の消灯が終わって、何の期待もなく部屋を見回すと部屋の壁に長方形の穴が空いていた。蜘蛛はやはり巣の中心にいた。見えない何かを抱きしめるように足を折り曲げたまま動かなかった。死んでしまったのかもしれないとAは思った。この穴が元の世界に繋がっているなら一緒に連れて行きたいと思った。しかし家具の中で唯一動かすことのできる椅子に乗っても巣には届かず確かめることはできなかった。またハムを投げたがやはり反応はない。

 Aは諦めて穴の前に立った。高い位置から照らす照明はその入口のほんの少し先までしか照らさず、その先は完全な闇だった。足を踏みだそうとして思い直し、自分の鞄と借りたままの本を抱えた。そしてゆっくりと深呼吸してようやくAは白と黒の境界線を越えた。それが網にかかる行為だとしても、照らすものが無くとも、希望はそこにしかなかったから。


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