六
巨大な蛇が、とぐろを巻いている。
だが、巨大なだけではない。
何やら蝙のような羽がついているし、どうやら後ろの方には脚もあるらしい。
全身漆黒だが、四個の目だけが紅い。
時折、チロチロと細い舌を覗かせる。
「で、何か収穫あった?」
ソレは大きな頭を傾げて、未明に問いかけた。
「まだ、何も……ホントに、ここにあるの?」
ヒタヒタと彼女の中に満ちていくのは、焦りだ。
満月は近付いている。自分は、果たしてこの世界に留まっていてもいいものなのだろうか。今日、見つけた『亀裂』はごく小さなものだったが、あの奥に息づく存在のことを考えると、未明はいても立ってもいられなくなる。
もしも、あの『亀裂』が拡がったら……。
恐ろしさに、思わず身震いする。
もしも見込みがないのなら、次の満月にでも、別の世界へ跳んだ方がいいのではないだろうか。
そう考えた未明の胸は、錐で貫かれたような痛みを訴える。だが、そうすべきなのだ。
今まで乗り越えてきたのだから、この痛みだって、きっとすぐに消えてくれる。
そんな未明の決意をよそに、ソレはゆらゆらと尾の先を揺らす。
「ん? ああ、『宝剣』のこと?」
「そうよ」
『収穫』とは何のつもりで訊いたのか、と未明はちょっとイラッとする。
だが、ソレはいたって暢気なもので、まるで鼻歌でも歌いだしそうな軽い雰囲気で澄ましていた。
「アレってさぁ、実は例の剣じゃないんだよねぇ」
「どういうこと? 『ユヌバール』じゃ……『ヒヒイロカネ』じゃないの?」
「多分ねぇ。だって、あれ、僕が別の世界から持ってきたやつだから」
ソレのその言葉に、未明の反応は一瞬遅れた。
「……え?」
「あのね、僕を殺そうとした奴が持ってた物なんだよ。どうやって作ったのか知らないけど、何をしても壊れなくってね。持ってた本人は、灰も残らず燃えちゃったんだけどな。珍しいからもらっちゃった」
その台詞の内容はとてつもなく重いと思うのだが、口調はこの上なく軽い。人の顔をしていれば、ニコニコと上機嫌で笑っているのではないかと思わせるほどだ。
「僕はこの世界で集めているモノがあってね。平家の侍女がそれを持っていたんだ。で、その剣と交換してもらったの」
その後すぐに、沈んじゃったんだけどねぇ、と、これまたいたって軽く、言い放つ。
「まあ、並大抵のことじゃ壊れないのは、僕の折紙付だよ」
「でも……『並大抵のこと』じゃ、ダメなのよ!」
そう、『絶対』でなければダメなのだ。
言い募る未明を、ソレは首を傾げて見下ろす。爬虫類の眼差しの中に憐れみのようなものがちらついているのは、気の所為だろうか。
「全てのモノは、いつかは壊れるよ。……僕はさ、ハッキリ言って、この世界がどうなろうとも、どうでもいいんだよ。ただ、今は、探し物を見つけ終わっていないから、まだ壊れてもらっちゃ困るんだ。あと数百年あったら、それでいいんだよね。別に、『亀裂』が大きくなってあいつらがこの世界に出てこようが何だろうが、ね」
「そんな……」
「君だってさ、もしも仮に『ヒヒイロカネ』が……君の言うところの『絶対に壊れないもの』とやらが見つかったとして、本当に、それは絶対に壊れないのかい? それをどうやって確かめるの?」
未明は、ソレの問いに答えることができない。何も、言葉を持っていなかった。
常に彼女の中に存在していた不安が、ソレの言葉で顕わにされていく。
ただ立ち竦む未明を、ソレはさらに追い詰める。
「君ってさ、本当にその『グールムアール』とやらを手放す気があるのかい? それを生きる目標に……理由にしてきただけじゃないの? 『壊れないもの』が見つかりさえすれば手放せるって、思おうとしていただけじゃないの?」
青い顔で唇を振るわせる未明を、ソレは見下ろす。
「康平君も哀れだよね。彼はあんなに君のことを想っているのに」
「私だって、康平のことが大事だから、世界を守らなくちゃって!」
未明は声を張り上げて、訴える。だが、ソレは、そんな彼女の主張もにべもなく退けた。
「そうかなぁ。それって、ホントに『彼の為』? だって、これから何百年も先に起こるかもしれないことのために、今の康平君を捨てるんだろ? そんな先のことは康平君とは関係ないんだから。彼はまた、失い、元の彼に戻ってしまうんだろうな。結局、君にとって、康平君は世界と天秤に掛けられるほどの存在ではないんだね。彼だったら、『不透明な未来の平和』より、『今の君の幸せ』を迷わず取るのになぁ」
哀れだねぇ、としみじみと言われ、未明は顔を上げることができない。4つの紅い目が全て自分に向けられているのを感じながらも、彼女は拳を握り締めて俯いていた。
ソレは、そんな未明をしばし見つめる。
「まあ、さ。僕も、別に君を苛めたいわけじゃないからさ。でも、康平君には恩があるから、どっちかって言うと、彼の味方なんだよね」
言葉の途中で、ソレはふと頭をもたげると、周囲の様子を窺う素振りを見せる。
「……そろそろ、時間みたいだから手短に。君に、『お守り』を渡したでしょう?」
「『お守り』……?」
その単語を耳にして、パッと未明の頭に思い浮かんだのは、東京で渡された組紐だ。と、彼女は手に何かを握り締めていることに気付く。
「そうそう、それ。それを結わえると、魔力を別の場所に流すことができるんだよ。僕も普段使ってるんだけどね。余分な力を、世界と世界の間に送り込んでいるんだ」
――次元の狭間のこと? アレらを封じている……?
未明の頭の中に、そんな疑問が浮かぶと、ソレがまるで声で聞き取ったかのようにウンウンと頷いた。
「そうなんだよ。だから、『壊れないもの』に君の中のものを封じてその『お守り』で結わえちゃえば、魔力はこの世界には溢れ出さずに済むわけ。『この世界には存在しない』ことになるんだよ。で、あそこに眠る奴にも『エサ』を与えられるから、おとなしく寝てくれるだろう? 一石二鳥じゃないか」
「でも……『壊れないもの』が壊れたら……?」
ソレが溜息を吐いたように見えたのは、気の所為だろうか。
「君は、そればっかりだね。壊れたら、その時はその時だよ。あとは、その時代の者に任せたらいいじゃないか。何で君がそこまで背負うの? 君は君の時を生きたらいい」
あまりに適当なソレの言いように、未明は激昂する。あの悲惨な状況を知らないものに、軽く言われたくなかった。
「そんなこと言ったって! あなたは私の世界のことを知らないから! あなたは、あれを見ていないから! 私が――」
殆ど叫ぶようにそう言い募る未明の前で、ソレはまるで嗤っているかのように身体を揺らした。
「『私がやらなきゃ誰がやる』って? 君しか世界を助けられないって? 傲慢だなぁ」
そう言い残し、ソレの身体が薄らいでいく――言葉で、未明を突き刺したままで。
巨大な占拠物がなくなり、ガランとした空間の中で、ポツリと独り佇む未明が自分に言い聞かせるように囁く。
「だって……私が、やらなきゃ……そうでしょ……?」
その言葉を受け止めるものは、いなかった。