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暗黒神話(旧)  作者: トウリン
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 『ソレ』は小山のようだった。

 顔は、猫とも狐ともつかない、『獣』の形。額には捻れた二本の角があり、口からは長い犬歯が伸びている。

 上半身は暗色の毛皮で覆われているけれど、身体のほぼ半分から下はぬめりを帯びたような鱗に変じていた。

 人間のものに酷似した、鋭い鉤爪を光らせる六本の指を供えた両手。下肢はなく、とぐろを巻く尾で身体を支えていた。

 未明みあかは、彼女の夢の中に訪れた異形のものを、首が痛くなるほど顔を反らせて、見上げる。

「驚かないのかい?」

 ソレが面白そうに未明に尋ねるのへ、彼女は首を振った。

「何となく、判ってたから。康平が眠りに堕ちた時、私に呼びかけてくれたのはあなただったんでしょ?」

 ソレは肯定も否定もせずに、ニッと笑う――形は全く違うというのに、見覚えのある笑みだった。獣の顔なのに、人間くさい。

「ありがとう。……で、私の夢の中にまで来て、何の用?」

 問い掛ける未明を、ソレはジッと見下ろした。その縦長の瞳孔を持つその紅い眼差しは、何かを確かめようとしているようにも見える。

「ねえ?」

 なかなか先に進もうとしないソレに業を煮やし、未明が促す。

 けれども、ソレは、またしばらくの間を要し、ようやく口を開いた。

「君は、選択しなくちゃいけないよ――。この世界を立ち去るか、それともその力を手放すか」

 ガランとした空間の中で、それは神の声のように、重々しく放たれた。


   *


 康平こうへいは、手が止まったままの未明をチラリと見やる。彼女は、その視線にも気付いていないようだった。

「おい?」

 反応がない。

「未明?」

 やはり、反応がない。

 ――康平は無言で腕を伸ばす。

「! え!? あ、何?」

 額を小突かれ、未明は取り落としそうになったフォークをワタワタと持ち直した。

「何、じゃねぇよ。さっさと食えって。冷めるぞ。……残すのか?」

 今日のメニューはカルボナーラに海藻サラダ、オニオンチキンスープである。康平の皿はすっかりきれいになっていたが、未明の前にはまだ半分以上が残っていた。

「あ、ごめん。全部食べる」

 そう言うと、彼女は一心に手を動かし始める。康平はその様子を、頬杖を突きながら眺めやる。最近の未明は、ああやって呆けている姿をよく見せた。

 ――今度は何を考えてんだか。

 また独りで何かを悩んでいるのだろうが、康平は取り敢えず待ってみようと、今は放っている。どうせ、つついてみても、笑顔でかわされるのが関の山だ。彼女の中で整理がつけば、話す気になるに違いない。

「ごちそうさま」

 食べ終わった未明はそう言って、手を伸ばして康平の分の食器も重ねていく。食事を作るのは康平、食後の後片付けは未明の仕事だ。彼女は洗い物を始める前に、彼にコーヒーを運んでくる。

「サンキュ」

「カルボナーラおいしかった。また作ってね」

 そう言って、未明がニッコリと笑う。彼女はクリームソース系のパスタが好みらしい。

 時々、この少女は今までどんな食生活をしてきたのだろうかと、心底疑問に思う。はっきり言って、未明は料理ができない。本人がやりたいと言うから、試しに食事の準備をさせてみたことはある。だが……。

 それ以来、今のような役割分担に決まった。

「ああ。次はもうちょい胡椒を強めにしてみようか」

「うん」

 未明は屈託なく、嬉しそうに頷く。その彼女からは、何を考えていたのかを推察するのは困難だった。パタパタとキッチンに行った未明は、鼻歌混じりに食器を洗い始める。

 康平はテレビをつけて夕のニュースにチャンネルを合わせ、ふと、思い出したように未明に声をかける。

「あ、そう言えば、門屋かどやのおっさんから連絡があったぞ」

 直後、ガチャン、と硬質な音が響いた。状況は、見ずとも知れる。康平は立ち上がるとキッチンに向かった。

「未明? 大丈夫か?」

「あ……ゴメン。お皿一枚割っちゃった」

 彼女は、少し、途方に暮れているように見えた。そう言いながら床に散らばった皿の欠片に手を伸ばそうとするのを、康平は制する。

「俺が片付ける」

「……ゴメンね」

「別に、安モンだろ。ほら、ちょっと退けって」

 康平が肘でつつくと、今まで犯したことのない失敗に落ち込んでいるのか、未明は大人しく数歩下がった。いつもの彼女なら、何が何でも自分で片付けることを主張しそうなものだが。屈みこんだ康平の背中に、未明はおずおずと声をかけてくる。

「……門屋さん、何て?」

「ん、ああ。明日来いってさ。なんだっけ、あれ……ヒ、イロ……?」

「『ヒヒイロカネ』? 『ユヌバール』のことで、何か?」

「じゃあねぇの……っと」

 陶器の欠片を全て袋に入れ終わると、康平はクルクルと丸める。ハンドクリーナーで細かい破片を吸い取って、終わりだ。

「いつもみたいに、『来てねぇ、じゃあねぇ』で終わりだよ。あのおっさん、人を何だと思ってるんだか」

「……不思議なヒト、だよね」

「まあなぁ。そう言や、初めて会ってからもう四、五年くらいになる筈だけどな、ちっとも変わらねぇよ。妖怪かっての」

 冗談めかした康平の台詞に、返事はない。そんなにめげているのかと振り返ったが、未明は『落ち込んでいる』というよりも、『考え込んでいる』という風情である。

「未明?」

 名前を呼ばれ、彼女はハッと瞬きをした。

「え、あ、うん。そうだね」

 そう言って、彼女は曖昧に微笑む。どこか奇妙な空気を感じながらも、康平は肩を竦めるだけにしておいた。

「ま、取り敢えず、行ってみないとな」

「うん。明日、ね」

 康平は、手を伸ばして未明の頭をクシャッと撫でてやる。手の下で、彼女がホッと息をつくのが、わかった。

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