二
新宿はよくぞここまで、というほどの人でごった返していた。
「はぐれるなよ? もし、はぐれたら駅に行ってジッとしとけ。この改札の所な。お互いに動き回ったら、絶対に見つからないぞ」
「解った……けど、凄いな。今日は祭りでもあるの?」
康平のシャツと短パンをギリギリそれらしく身に付けた未明は、人混みに目を見張っている。
やっぱり、この少女は、どこか未開の地から出てきたらしい。少なくとも、新宿在住ではない。
「ここはこれで普通だろ。行くぞ」
康平は、猫の仔を摘むように未明の襟首を掴んで歩き出す。目指すのは廉価な衣料品で有名な某チェーン店だ。そこだと、インナーからアウターまで一着千円から三千円程度で購入できるから、当座の仕度は整えられる。
「ちょ……ッ、ちゃんとついていくから、放してよ」
見下ろせば、十歳の女の子としては屈辱的な扱いに、未明が康平を睨み上げていた。
「しょうがねぇな。じゃあ、これでも握っとけ」
そう言って、康平はジャケットの裾を差し出した。二十九歳の男として、十歳の少女と手を繋いでいる絵面はあまり想像したくない。
未明は素直に裾を握ると、歩き出した康平を小走りで追いかける。
スイスイと人混みを縫っていく康平に、未明はついていくのがやっとである。
荒波に揉みに揉まれた未明がぐったりした頃、ようやく目当ての店に着く。
「よし、じゃあ、上を五枚、下を五枚、あと下着。適当に選べ」
子どもの服など見繕ったことのない康平がそう言うが、当の未明は店内にずらりと並んだ商品に立ち竦んでいる。
――店に入ったこともないのか……?
つくづく、訳の解らない子どもだ。
「行くぞ」
康平は溜息をつくと、未明に顎をしゃくって促し、買い物かごを手にした。
「あ、ちょっと、お姉さん」
近くにいた店員に声をかける。
「はい、何でしょうか?」
にこやかに制服を着たその女性が振り返った。彼女にかごを差し出しながらお願いする。
「この子に合いそうなやつを、適当に五着ずつくらい、選んでやってくれない? あ、あと下着もね」
「承りました。……サイズは……」
「わからないんで、測ってやって」
「わかりました。お嬢ちゃん、こっちに来てくれる?」
微笑みながら手招きすると、フィッティングルームに誘う。
康平は、こんな子守のような真似をする羽目になろうとは、と髪を掻き回した。未だに、この依頼を受けた経緯を思い出せないのだ。声をかけた女が、やたらと美人だったことは覚えている。だが、覚えているのは顔だけだ。
自分は、何と言われて何と答えたのか。
頼まれて、応と答えて、報酬を受け取った。
依頼は確かに成立してしまっているのだが。
「まったく……」
フィッティングルームから出てきて、店員にくっついて服を選んでもらっている未明を遠目に眺めながら、康平は再度、深々と息を吐いた。
*
取り敢えず未明の着替えは買い揃え、衣料品店を後にした二人は帰り道についていた。
帰りもやっぱり、物凄い人の波である。
荷物は半分ずつにしたが、それでも歩き難さは手ぶらだった行きの比ではない。
未明は何とか頑張って康平のジャケットの裾を握っているようだったが、不意に、裾を引っ張られる感覚がなくなった。振り返ると、やはり未明の姿がない。
「ちっ」
舌打ちをして、後戻りする。はぐれたときには駅で落ち合うようにしていたが、彼女のあの様子だと、駅に着けるかどうかが疑問だった。捜してみれば、今ならまだ捕まえられるだろう。見渡せば、栗色のお下げがチラホラと人混みに見え隠れする。
「少しは踏ん張れよ」
ともすれば人の波に埋もれてしまう小さな頭を見失わないように、康平は懸命に後を追った。
しばらく追いかけ、違和感を覚える。
未明の移動速度が、速すぎるのだ。
――まるで、誰かに引っ張られているような……。
そう感じ、康平は嫌な予感に襲われる。
未明の姉を追っているという『悪い奴ら』だろうか。
そう思った康平の視線の先で、フッと、未明が路地に消えていく。
単に、人混みから抜けようとしただけなのだろうか? いや、そうは見えなかった。
這這の体で人の波を抜け、未明が消えた路地に辿り着く。そこは薄暗く、迷路のように入り組んでいた。人の気配は、皆無だ。
「未明?」
声をかけても返事は無い。
康平の声が届かないほど奥に行ってしまったのか、それとも、応えられないような状況なのか……?
康平は、足を速めて一つ一つ路地を覗き込んでいった。
しばらく歩き、ようやく、ポツリと地面に落ちている、先ほど行ったばかりの衣料品店の紙袋を見つけることができた。