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暗黒神話(旧)  作者: トウリン
変容
28/44

 彼にとって、そこは、心地良い空間だった。

 幾つもの声が、彼を否定する。

 ――お前を守るために、私は死んだのよ。

 ――お前には、誰も守れない。

 ――あなたが、私を殺した……。

 全て、その通りだ。自分には、何の力もない。口で格好の良い事を言ったって、どうせ、『――』を護ることなんて、できない。どうせ、無駄なんだ。

 硬い殻に包まれて、彼はぬるま湯のような自己憐憫に浸る。

 警告を発するように心の奥底にある扉を叩く音は、聞こえない振りをして。

 しかし、そうやって閉じ籠る彼に、微かな囁きが触れる。

 ――私、待ってるから……。

 その声は、誰のものだろう?

 心地良く染み込んでくるような、柔らかく、甘やかな、声。

 でも――。

 無駄だよ、俺を待っていたって、無駄だ。

 彼は首を振る。

 ――あなたを、信じてるから……。

 本当に? 何で、俺なんかを信じるんだ? ……信じられるんだ?

 ――私、行ってくるよ……。

 いいのか? 『――』を独りで行かせて。

 たった独りでこれまで戦ってきた彼女を、また、独りで行かせるのか?

 自分は、何故『――』を護りたいと思った?

 自分の為か、それとも、『――』の為か?

 彼を包んでいた分厚い殻に、ピシリとヒビが入る。

 確かに、初めは『自分のため』に『誰かの代わり』にした。けれど、今はそうではない筈だ。

 そうだ、自分は、『――』を……『未明』を、護ってやりたいと思ったんだ。

 こちらが差し出している手に気付かないようなヤツだけれど、それでも、いいじゃないか。

 未明は、俺を信じている。

 それ以上に何がある?

 その想いとともに、殻が弾ける。

 俺が護りたいから、護るんだ。

 そして、あいつも、俺が護ると信じている。

 何もない空間は目が眩むほどの光に満たされ、そして彼は――康平は、一気に浮上した。


   *


 康平が目を開けると、部屋の中は真っ暗だった。

 ここ数日というもの、いつも寝覚めは最低だったのに、今は驚くほどに頭の中がすっきりしている。訳のわからないモヤモヤやイライラも、キレイさっぱり消え失せていた。

 なんだか随分長い夢を観ていた気がする。それはまるで旅をしてきたような感覚で、その間、ずっと誰かが寄り添っていてくれたような温かさが心の奥底に残っていた。

「今は……夜明け前……? いや、もう、夜? あれ? おい、未明?」

 時間の感覚がさっぱりつかめない。声を掛けながら横を見ると、未明のベッドはもぬけの空だ。触れてみると冷え切っており、彼女がベッドを出てからかなりの時間が経っていることは明らかだった。

 康平の胸がざわざわと騒ぎ出す。

 ――また、独りで突っ走っているのか?

 そう思った康平だったが、もやに包まれていた記憶が徐々に戻り始める。

 ――いや、違う。俺がしくじったんだ。

 そう理解した瞬間、彼は布団を跳ね除けて起き上がる。

 さっさと着替えて、取るものも取りあえずに宿を飛び出した。

 身体を動かすと、夢うつつで聞いていた未明の声が頭の中によみがえってくる。

 『信じてる』。

 確かに、彼女はそう言った。

 自分がグジグジと悩んでいたのがバカみたいだ。立派な白紙委任状をもらっていたというのに。未明の方から手を伸ばしてこなくても、自分が伸ばした手に彼女が気付かなくても、それでいいのだ。彼女にとって、自分が傍にいるというのは、揺らぎないことなのだから。

 康平は車を走らせて、風車の森を目指す。そこにいるという確信があった。

 ――きっと未明は、そこで待っている。

 家々の間を抜けて開けた場所に出ると、空が良く見えるようになる。見上げた康平は、そこにあったものが消え失せていることを知った。

 ――もう、やったのか。

 だが、以前に亀裂とやらを塞いだ時は、その後意識を失った。今も同じように倒れているとしたら……キンベルやアレイスのいい餌食だ。焦りを抑えて、康平はできる限りのスピードでハンドルを捌いた。

 やがて風車の頭が見えてくる。行き当たったのは、丁度風車群の真ん中あたりで、進む方向を右にするか左にするかを選ばなければならなかった。

 どちらだろうか。

 一瞬考え、何故か躊躇いなく左を選ぶ。理由はないが、そちらに未明がいる気がした。

 そのまましばらく走らせ、車を止める。

 降りてみても、風と風車の回る音のみが響いているだけで、争う物音などは、全くない。

 単に、敵が現われていないだけなのか、それとも、未明が戦える状態にないのか……。康平の中で不安が膨らんでいく。

 ――どこにいる? 未明……。

 歩き出してみると、何かに引き寄せられているかのように足が動く。確かに、その方向で合っているような気がした。進むにつれ、その気持ちが強くなっていく。

 そして。

 ついに、康平は望んだ姿を見つける――正確には、望んだ姿と、今すぐにでも消し去ってやりたい、姿だ。

 いったい何をしているのか、風車にもたれてしゃがみこんでいる未明を、金髪男はジッと見下ろしているだけだ。

「キ・サム」

 刀を思い浮かべながら康平が唱えると、アレイスがピクリと動いた。怪訝そうに首を傾げ、ついで何かを追うように顔を巡らし、真っ直ぐに康平を見つめる。だが、武器を手にしている康平を無視してすぐに未明へと顔を戻すと、彼女に向けて何か言い始めた。

「何だ?」

 すぐに攻撃されるかと一瞬身構えた康平は拍子抜けして、思わず、そう呟いた。だが、卑怯な手段を辞さないことを公言している男のことだ。何か、企んでいるに違いない。康平は気を緩めることなく、慎重に二人に近づいた。

 そして。

「やっぱりな」

 康平は、呟く。

 彼に向けて、突如姿を現した十数体の『眷属』が押し寄せてくる。それらは決して『影』などではなく、その口吻や爪が彼を引き裂く力を持っていることは、火を見るよりも明らかだった。

 康平は、手の中の刀をMk23に変化させる。その抜群の命中精度を誇る銃の照準を、まずは一匹に合わせた。


   *


「……来てくれた」

 顔を上げる力も失われつつある未明は、ホッと、そう呟く。

 見なくても判った――彼が来てくれたことは。

 そして、身体から何かが引き出される感触に身震いする。

「ミアカスール?」

 アレイスが怪訝な声で問いかけ、未明と康平を結ぶ魔力の鎖を目で追う。

「貴女は、また、何て無茶なことを……今すぐ、それを切りなさい! その状態で続けたら、もちませんよ?」

 だが、彼の叱責に未明はうっすらと口元に笑みを浮かべて、断言する。

「イ・ヤ。私は彼を護るし、彼は私を護るのよ。どちらも一方的ではいけないと解ったの。彼は私を護ってくれると、信じてる。だから、私もこれを切らない」

「ミアカスール……」

 アレイスが苛立たしげに名前を口にする。頑迷な彼女に、呆れているのか、腹を立てているのか。

「いいでしょう。ならば、貴女の力が尽きる前に、彼を仕留めます」

「あんたが……? そんなの、できないでしょう?」

「私自身ではありません。彼らに、お願いします」

 その言葉と共に、パチン、と彼が指を鳴らす。直後、ザッと音を立てて、『眷属』の群れが現われた。

「『眷属』!? なんで!?」

 それらは、月明かりで地面に影を作るほど、明らかな質感を持っている。

「ちょっとね、仕込んでおいたのですよ。念には念を入れてね。実体化した『眷属』が勝手に彼を襲うのは、私には与り知らぬことですから」

「そんなの、詭弁だわ!」

 唇を噛み締める未明の前で、『眷属』たちは一斉に羽ばたいた。


   *


 康平は常に背後に風車の柱を置きつつ、向かってくる化け物を狙い撃つ。

 元々銃の腕には自信があるが、それを加味しても撃ち落すのは容易な敵だった。知能はないに等しいらしく、基本的には真っ直ぐに突進してくるだけだ。たまに勢いあまって風車に激突し、自爆する奴もいる。難点は数の多さだけだ。

 目前に迫ったものを撃ち落し、突き出された後続の爪を、頭を屈めてかわす。それは康平の代わりに風車の柱を掴み、そこにはくっきりと爪痕が刻まれた。横ざまに跳んで、そのまま転がりながら距離を取り、また一匹仕留める。捕まったら一瞬でお陀仏だろうが、捕まりさえしなかったら、何という事も無い。

 化け物はダウンすると跡形もなく消え失せていく。

 半数ほどを消し去った頃だろうか。

 唐突に攻撃が止み、全ての化け物が一瞬にして消え去った。

「……何だぁ?」

 思わず間の抜けた声を出した康平だったが、その目は、何かの罠ではないかと、油断なく辺りを窺う。だが、化け物どもの気配は欠片もなく、康平は銃を下げた。次の瞬間、ハッと周りを見渡し、未明たちの姿を探す。

「あの野郎!」

 康平の視線の先で、ぐったりと力を失っているように見える未明の身体は、アレイスに抱きかかえられている。

 思わずピンポイントでアレイスの頭を狙って撃った弾は、しかし、彼に触れるかどうかのところで掻き消えた。何か、魔法を使っているらしい。

「クソ!」

 毒づき、康平は走り出した。


   *


「ミアカスール、そろそろ降参したらどうですか?」

 いつもと変わらないアレイスの言葉遣いだが、そこには確かな焦りが含まれていた。

「イ……ヤ……」

 未明は、かすれた声で答える。もう、殆ど意識は残っていない。防御障壁を保つために、辛うじて繋いでいるだけだった。

「まったく……。本当に頑固ですよね、貴女は」

 溜息を吐きつつ彼がそう呟いたのが、未明の記憶に残る最後の状況だった。

 彼女の意識と共に、ふっと防御障壁が消え失せる。

「ミアカスール?」

 名前を囁いてみたが、反応がない。

「仕方ないですねぇ」

 本来であれば、これはまたとない機会だ。彼女の意識はなく、その身体を奪うのは容易だ。だが、厄介な康平とかいう男と彼女とを結ぶ鎖を切り離さなければ、間もなく彼女の命は失われてしまうだろう。

「非常に、残念ですがね。私も、別に『旧き神々』を解放したいわけではありませんし」

 そう呟いて、指を鳴らす。これで『眷属』は消え去った筈だ。

 もう一度深々と息を吐き、アレイスは、ぐったりと地面に横たわった彼女の身体を引き上げる。そうして、生気が失われた彼女に、己のそれを、分け与え始めた。


   *


 いきり立って未明とアレイスの元へ駆けつけた康平だったが、その奇妙な状況に眉根を寄せる。

 ――いったい、この男は何をやっているんだ?

 絶好の機会だったにも関わらず、アレイスは未明を連れて逃亡するでもなく、ただ、膝の上に抱き上げて頬に手を添えているだけだ。その仕草に、色気は全くない。そして、月明かりの下の彼女の顔色は蒼白で、見ているだけで不安になった。

「ちょっと、そこの貴方――康平、とかいいましたか? さっさとその手の中のものを消してください」

 彼の方を見もせずに投げられた言葉に、康平は声を上げる。

「はあ?」

「いいから、さっさとしなさい。彼女が死にますよ」

 正直言って、なんだかよく解らない。だが、アレイスの言葉の中身と、この近距離で遅れを取ることはあるまいという自負が、康平を指示に従わせた。

「キ・ナム」

 唱えると、Mk23が消え失せる。アレイスはそれを横目で見て、再び作業に没頭した。

「……何してるんだよ?」

「死に掛けの彼女を助けてます」

「何で!?」

「『グールムアール』を宿したまま彼女に死なれると、困るからですよ」

「そうじゃなくて! 何で死に掛けてんだよ! お前、いったい何したんだ!?」

「私は何もしてませんよ。したのは、彼女自身です。……まったく、無謀な……」

 康平にはさっぱり解らない。だが、確かに、未明の顔色は徐々に回復してきていた。

「どういうことなんだ?」

 この男に説明を求めるのは甚だ業腹だったが、仕方がない。

 康平の問いにアレイスはチラリと視線を投げかけ、医者が診察するような眼差しで未明の顔をためつすがめつした。そして、彼女をズイ、と康平に差し出す。彼は反射的に受け取り、胸に抱き寄せた。まだ顔色は白いが、鼓動はしっかりと感じられる。

「三日ぐらいは、安静に寝かせておいてくださいよ」

 未明を手放したアレイスは、そう言うと立ち上がり、去ろうとする。未明に気を取られていた康平は、慌ててそれを引き止めた。

「ちょっと待てって。さっきの、答えろよ!」

 重ねて答えを求める康平に、アレイスは面倒くさそうに振り返った。

「私も疲れているんですけどね……。貴方のその左手、ミアカスールはなんと説明したのですか?」

「これ? 俺に武器をやるって。俺の体力を消耗して、武器を形作るとか……」

「貴方の、ね。それで?」

「え?」

「今、貴方は疲れていますか? かなりの数の『眷属』と戦ったでしょう?」

 そう言われれば、全く疲れていない。この文様を刻んだ時、彼女は、確か、体力を消耗するから使いどころを考えろ、と言った筈だ。その体力というのは、もしや――。

 康平の中に、嫌な予感がムクムクと沸き起こってくる。

 そしてアレイスは、彼の予想通りの答えを返す。

「その左手の文様は、貴方とミアカスールを繋いで、『グールムアール』の魔力を横流しするものなんでしょう。まあ、通常であれば問題ないでしょうけど、キンベルと戦い、あれほど大きな次元の亀裂を塞いだ後では、殆ど魔力を使い果たした状態だった筈です。魔力がなくなってもそれを使い続ければ、今度は彼女の体力――生気を使い始めますからね」

「……この、バカッ!」

 こんなにぐったりしていなければ、その肩を掴んで思い切り揺さぶっていたかもしれない。だが、康平は、代わりに彼女の肋骨が軋みを上げそうなほど、抱き締める腕に力を込めた。

「まあ、後はミアカスールと話してください。私は出直しますよ。流石に、今から彼女のお相手をする体力はありません」

 いつものように消え失せないあたり、彼の消耗具合もかなりのものなのだろう。

 立ち去りかけたアレイスが、ふと足を止める。

「ミアカスールは少し変わりましたね。以前なら、こんな無茶はしなかった」

 思い出したように、アレイスがそう呟く。そして、今度こそ、去っていった。

 彼の背中を見送りながら、その言葉を反芻する。

 変わることは、未明にとって、いいことなのだろうか。多分、変わることによって、今までの彼女の『強さ』は失われてしまうだろう。

 自分は、失われる彼女の『強さ』の代わりになれるのか?

 その答えは、判らない。

 康平は未明の身体を抱き直すと、風車の柱にもたれて夜空を見上げる。

 そこには、ただ、満月だけが浮かんでいた。

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