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暗黒神話(旧)  作者: トウリン
変容
27/44

 未明が目を開けると、すでに部屋の中はトプリと闇に沈んでいた。

 厳重に結界を張ったりなんだりして、康平の中に潜った時には昼過ぎになっていたから、彼の中で過ごしたのは七、八時間になるか。

 部屋のドアノブにはDon‘t Disturbの札をかけてあったので、意識を失っている二人が見つかって騒ぎになる事態にも陥っていなかった。

「……ふぅッ!」

 突然に、彼女の身体の中に熱が灯る。それはすぐに四肢に広がり、未明は己の身体が変わっていくことを実感する。

 手足は伸び、身体つきは豊かな曲線を描き。

 変化は一瞬で収束するが、何度経験しても、慣れない。

 未明は一つ大きく息をすると、立ち上がって着替え始める。パツパツになってしまった服を脱ぎ、用意しておいた成人女性の身体に合った物を身に付けた。

 もう一度、康平の顔をジッと見つめる。

「じゃあね、私、行ってくるよ」

 未だ眠り続けている彼の頬に触れて一声掛けると、彼女は宿を出た。


   *


 立ち並ぶ、風車群。

 夜空に浮かぶのは、美しい満月と巨大で醜悪な影。

 それらを見上げていた未明は、小さく息を吐くと、ゆっくりと振り向いた。

「やっぱり、来たのね」

 彼女が見つめる先にいるのは、黒尽くめの巨漢――キンベルが、ゆっくりと歩いてくる。

「もちろん、来るとも。たとえ満月のお前に敵わないとしても、わが神が封じられるのをのうのうと見過ごすわけにはいかない」

「まずは、あなたを何とかしなければいけないのか」

 未明は諦めたように苦笑する。

「お前が俺を殺せない以上、俺にも勝機はある」

「やれないと思っているの?」

「傷をつけることすら恐れているお前に、俺を殺せるわけがない」

 キンベルが浮かべるのは、嘲笑だ。力が全ての彼にとって、自分の敵を傷付けることを恐れる未明は愚か以外の何者でもない。永い間戦いを繰り返してきた彼には、未明の心中など手に取るように知られているに違いなかった。

「最近、お前が連れている男は、正直言って手強いがな……奴はどうした?」

「そう訊くっていうことは、やっぱりあなたじゃないのね」

「何のことだ?」

 未明の呟きに、キンベルが怪訝な顔をする。

「いいの、こっちの話。さ、無駄話はおしまいにして、始めましょうか?」

「そうだな」

 短く答え、キンベルが剣を抜き放つ。未明ははなから武器は手にしない。力ではとうてい敵わないのだから、接近戦にするつもりはなかった。逆に言えば、満月の未明には魔術では決して勝てないキンベルは、肉弾戦でやるしかない。

「ファイ!」

 呪文とともに未明が指を鳴らすと、その音の数だけ炎の玉が現れる。同じ魔術でも威力はその個人の持つ魔力を反映するので、彼女が作り出すものは、以前キンベルが放ったものの数倍はある。

「ルム!」

 未明の命令とともに、三つの炎の玉は大剣を木の枝か何かのように引っ提げてこちらに駆けてくるキンベルへと放たれた。だが、予め防御魔術がかけられていたのか、キンベルが大剣を振って薙ぎ払うと、炎は掻き消されてしまう。

「死ね!」

「コ・デム!」

 目前に迫った巨漢が頭上から剣を振り下ろすのと、未明は防御障壁を張るのとは、ほぼ同時だった。彼女の作った壁は単なる防御だけではなく、キンベルが腕に込めた力を数倍に増強して返す。剣が彼女の壁に触れた瞬間、まるで走ってきたダンプカーに衝突したかのように、その巨体が吹き飛ばされた。そして、数メートル先の風車の柱に激突する。

「グッ!」

 呻いて、キンベルが口の中の血を吐き捨てる。その紅さに未明は唇を噛むが、いつものように逃げ出すことができない彼女には、手加減する余地がなかった。キンベルの剣を一撃でも食らえば、未明はおしまいだ。近づけないほどに容赦なく、叩くしかない。

「ビッツ・アム!」

 声とともに、頭上に振り上げた右腕を勢いよく振り下ろした。それとともに、真っ直ぐに落ちた鋭い稲妻が、キンベルを打ちのめす。

「グ……アアッ!」

 電撃を食らった大男の口から、獣の咆哮のような声があがる。

 手加減は、した。だが、これ以上戦うことはできない筈だ。

「どうする? まだ、続ける?」

 心の中でもう逃げて、と懇願しながらも、未明は冷ややかにそう訊く。

 その彼女の眼差しを悔しげに受け、キンベルはふらつきながら立ち上がった。

 ――まだ、やる気なの?

 未明の全身に緊張が走る。これ以上攻撃したら、殺してしまうかもしれない。

 ――私が逃げて、亀裂は一ヵ月後に閉じに来る?

 そう、自問する。だが、立ったキンベルはそれ以上動こうとはしなかった。

「やはり、強いな……」

 呟き、彼は空を見上げる。

「わが神よ、申し訳ありません。だが、いつの日か、きっと……。ミアカスールよ、俺はいつか必ず、わが神を解放してみせるからな」

 そう宣言し、キンベルは消え失せる。

 ホッと息を吐き出した未明は、近くの風車に寄りかかり、ズルズルとその場に座り込んだ。彼女が『グールムアール』を身に持つ限り、戦えば、勝つのは判りきっているのだ。まるで獅子がネズミをいたぶるような戦いは、気が滅入る。

 しばらくそのまま座り込んで、未明は空を見つめる。

 下で繰り広げられた己のための戦いなど全く我関せずで、空でまどろむ、化け物。

 ――自分の人生は、『アレら』の為にあった……これからも、そうなのだろうか。

 そう考えて、未明は苦笑する――あまりに当たり前のことだったから。

 確かに、この身から『グールムアール』を離すために、『ユヌバール』を――『決して壊れないもの』を探している。けれども、自分は、果たしてどれほどその存在を信じているのだろうか。

 自信が、ない。

 未明は深く溜息をついて立ち上がった。

 望月は、空高く輝いている。キンベルとの戦いで多少消耗したが、亀裂を塞ぐのに充分な魔力は残っていた。

「さて、と」

 真っ直ぐに立ち、両手を高く掲げる。

「キ・サム・エ・スト・シャム。アラーラ・ナム・ト・オル・フォル。ディ・ウァル・ズ・ユヌ・バール」

 呪文の詠唱とともに、未明の身体が光を帯び、魔力が放出されていく。それが強くなればなるほど、空に浮かぶ怪異は薄らいで、やがて完全に消え去った。次いで、次第に未明の身体の輝きも弱まっていき、光源は月明かりのみになる。

「満月でも、流石に、きつい……」

 『グールムアール』の力が最も高まる満月ではあったが、キンベルとの戦闘に引き続き、亀裂の修復では前回とは比較にならない魔力の放出を要し、彼女はめまいを覚える。

 だが、まだ、意識を手放すわけにはいかなかった。

 まだ、立っていなければならない。

「やっぱり、あんたが裏にいたのね……」

 そちらを見もせずに、未明は呟く。キンベルと戦っている時から、その気配はあった。

「バレていましたか」

 楽しそうにそう言いながらゆっくりと近づいてくるのは、アレイス・カーレン。

 未明に逃げる術はないと確信しているのか、彼は余裕の笑みを浮かべている。

「随分、回りくどいことをしたものね。私たちがここの現象に気付かなかったら、どうするつもりだったの?」

「別に、どうもしませんよ。また、別の手段を考えます」

 それでもアレイスは彼女の攻撃を警戒しているのか、未明から数歩離れたところで立ち止まる。

「あの次元の亀裂も、あんたの仕業?」

「まさか! 私にそんな力がある筈ないじゃないですか。本当に、この世界は不思議ですよね。私も、あんなに大きな亀裂を見たのは初めてですよ。」

 感心するように言うアレイスに、嘘はないようだった。

「私がしたのは、眠りの魔方陣を描いたことだけです。貴女方を招き寄せるための呼び水にするだけのつもりだったのですが……うまい具合に、彼も引っかかって下さいましたね」

「康平に何をしたのよ!?」

 まるで、何の気なしに仕掛けた罠に運よく魚が引っかかった、とでもいうような口調に、未明はカッと声を上げる。彼女の剣幕に、アレイスは少し驚いたように眉を上げる。

「昨日、シーカイの眷属に襲われたでしょう? あれは私がやりました。元々、アレらと長く接触していると、負の感情が強くなって私の描いた魔方陣の影響を受け易くなるんですよね。昨日のアレは、少し魔力を足して、その効果を強めたものでした。心に何もない人でしたら、たいした効き目はないのですけども、ね」

 よっぽど後ろめたいことがあるんですねぇ、と呆れたような口調でアレイスは続ける。だが、つい先ほどまで康平の記憶を追体験した未明には、軽く流せることではなかった。怒りのためか、それ以外の感情のためか、涙が滲む。

「あんたね! そうやって、自分の目的のために他人をいいようにして! いい加減にしなさいよ!」

「おや、まあ。貴女がそんなに激するなんて……初めて見ましたね」

「アレイス! ウィ・リム!」

 揶揄する彼の口調に、未明は感情のままに風の刃を放つ。だが。

「コ・デム」

 消耗した彼女の魔力は、アレイスの防御障壁にもろくも弾かれる。

「いいのですか、無駄に戦って? もう、意識を保っているのがやっとなのではないですか?」

 その笑みは、まるで、満身創痍のネズミをいたぶる猫だ。

「さあ、行きましょうか」

 アレイスの手が、未明に向けて伸ばされる。

「コ・デム!」

 未明は、残る魔力を注ぎ込み、防御障壁を作り上げる。

「ッ!」

 障壁に触れた指先を弾かれて、アレイスが渋面になる。だが、またすぐに優しげな笑みを作った。

「根競べですか? いいでしょう。待ちますよ。夜は、まだまだ残っていますから」

 ――康平!

 彼の言葉通り、今にも羽を生やして飛んでいってしまいそうな意識を懸命に保ち、未明は、心の中でその名を呼んだ。

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